一番誰かを想える人 4/7 ~あり姐vs…?~
「やばくない? ちょっと信じらんないよね」
「そうだよね。昼ドラみたい。ていうかさ、同じ美術科の学生として…ほんっと恥ずかしくない?」
「うわー悪意あるわその言い方!」
あり姐軍団は、あり姐抜きで朝から噂話を楽しんでいた。話はずっとヒソヒソと小声で行われている。あり姐がいない時はいつもこうだ。
今日はこれからまたミズプロの話し合い。いそべえはミズプロには参加していないが、製環研究室にいた。昨日の夜、宮ちゃんに「来てくれないか」とお願いされたからだ。理由は分からない。
研究室に宮ちゃんが現れた。
「おはよう。お待たせしました。じゃあ話し合い始めるよー」
全員イスや体の向きを整える。
「もう本番直前だけど、メンバーが加わります」
「え、今から?」「誰?」と誰か。
「ダイコクが都合付けられたみたいで、本番だけでも参加したいって言ってくれました。あとオーシャンも、今からでもやれるかって聞いてくれたから」
オーシャンは最近また大学に来るようになっていた。本人によると、彼女とは別れていないらしい。授業にも普通に出席しているし、前と同じに戻っている。
二人の参加を宮ちゃんが知らせても、誰も何も言わなかった。いそべえには少し意外だった。二人の参加ではなく、あり姐軍団が何も言わない事がだ。「今さら?」とか、誰かが言いそうな気がしたのだが。
「二人とも今朝は来られないって事で、当日のみの参加を希望してるんだよ。ダイコクは元々メンバーで、大体分かってるし、オーシャンも当日のみなら多分、問題ないよね?」
やっぱり誰も何も言わない。
「あれ…あり姐はまだ来てない?」
宮ちゃんがそう言うと、誰かがクスクス笑った。
「多分あの子、来ないと思うよ」
広村さんはそう言いながら他の軍団メンバーをチラリと見た。まわりの反応をうかがっているようだ。
「え、そうなの? じゃあ今日の話し合い終わった後に、内容を連絡…」
「いや、そうじゃなくて、ミズプロもうやらないと思うよ。っていうかこの先、大学来られるのかなあの子?」
広村さんは話しながらいちいち他のメンバーの様子をうかがっている。いそべえからすると、じれったくて仕方ないが、あり姐軍団のメンバーはみな、自分から話をする時いつもこうだ。
宮ちゃんはどうしたらいいか分からないらしく、無言だ。いそべえもわけが分からず、彼らのやり取りをひたすら見守るしか出来なかった。
「え、ひょっとしてさあ、宮ちゃん何も知らない? あの子ね…」
「あ、ちょっと待って! 宮ちゃんにそれ言っていいの?」
「えー、だって隠せなくない? どうせどこかで知るでしょ」
あり姐軍団はみんなニコニコして楽しそうだ。楽しい話題であるようにも聞こえないのだが。
「あの子ね、ボランティア先の先生と不倫したんだよ!」
「言っちゃった!」と誰か。やっぱりクスクス笑っている。
「一晩過ごして、ホテルから二人で出てきた所でね、よりにもよってその小学校の副校長先生に見つかっちゃったんだって!」
笑いは音量そのままに、強くなっていく。
「それがおとといの朝なんだけど、あの子おとといも昨日も大学来てなかったよ。バイト先の塾にも来なかったって」
「……」
宮ちゃんはただただ立ち尽くしている。
「そんな事やっちゃったらさあ、恥ずかしくて大学来らんないよね。ほんっとに!」
「やめなって!」と笑いながら誰か。
いそべえは宮ちゃんがいたたまれなくなり、笑うあり姐軍団にとっさに切り込んだ。
「ねえ! 話し合いしなくていいの?」
話し合いは、全然「話し合い」にはならなかった。宮ちゃんが当日のタイムスケジュールや工程の確認を淡々とし、その他の議題に、リーダーがいなくなったあり姐軍団は「いいと思います」をひたすら繰り返した。話し合いが終わり、研究室に宮ちゃんといそべえ二人だけになると、宮ちゃんはいそべえの向かいに座った。
「いそべえ、急に呼んでごめんね。意味分からなかったでしょ?」
「俺は全然かまわないよ。まあ確かに、まだ呼ばれた意味は分かってないけどね。…あり姐の事、びっくりだね」
いそべえがそう言うと、宮ちゃんは意外な言葉を返した。
「実は俺、それは知ってたんだよ」
「え、そうだったの? どうして?」
「美紀から教えてもらったから。だからねえ…今日の話し合いが不安で。いそべえには何をしてほしいわけでもなくて、いてくれれば俺が強い気持ちになれるって思ったんだよ。だから昨日連絡する時も、どんな風に言ったらいいのか分からなくて、きちんと理由説明しなかったんだよ。ごめんね」
「ああ…まあ、それは別に気にしなくていいよ」
美紀は色恋沙汰に関してはかなり情報が早く、勘も鋭い。宮ちゃんがあり姐を好きだという事は、ほぼ間違いなく、いそべえより前に気付いていただろう。
加えて美紀は、あり姐とも仲がいい。何かしらのつながりですぐに情報を手に入れ、宮ちゃんに出来るだけソフトに(と信じたい)伝えたのだろう。
だが、さらに加えて美紀は、基本的に後先考えない。情報をつかんで、とにかくすぐに宮ちゃんに教えて『だから明日の話し合い頑張れ』とか、雑な応援で済ませたに違いない。それで困った宮ちゃんはいそべえに連絡してきた。これで合点がいく。
「でも、あり姐が話し合いに来ないっていうのは、考えてなかったなあ」
宮ちゃんは前髪を手でまくし上げながらそう言った。表情はいつもと大差ないが、普段やらないこの動作には、動揺が現れている。
「大学にもバイト先にも来てないって言ってたね」
「うん。あり姐、本当はすごく繊細だからねえ。苦しんでるだろうなあって思うんだよ。大丈夫かな…」
「うん。心配だよね」
いそべえにとってはどちらかというと、仲良しの宮ちゃんがまず心配だ。でも、あり姐、つまり女の子がらみだと、いそべえは自分が助けになれる自信がなかった。こういう時に頼りになりそうなのは…
「…ねえ宮ちゃん、今日の夜、岡本食堂行かない?」
「え…いいけど、どうして?」
「思いきって悠さんにも事情話して、相談に乗ってもらおうよ。あの人、頼りになるよ」
宮ちゃんは「うーん…」と唸りながら首を下げた。他人の意見に「難色」を示すのも、宮ちゃんには珍しい反応だ。
「でもねえ……悠さんってどんな人? 俺まだよく知らないから…」
「すごく優しいよ。下手な根性論とかにも走らないしね」
「そっか…」
どうやら決めかねている。確かに、こんな大雑把な説明では安心できないのも当り前だろう。
「じゃあまず、しー坊に悠さんの事色々教えてもらおうよ。俺より悠さんの事ずっとよく知ってるからね。悠さんに話すかどうかは、それから決めても遅くないんじゃないかな」
「ああ…うん。そうだね。そうするよ」
「悠の事かあ…。んー、難しいな」
詩織はフライドポテトを口に突っ込みながら唸った。三人は授業が終わった後の大食堂に来ている。これから岡本食堂に行くかもしれないから、詩織の前にあるのはフライドポテトと唐揚げ二個、えんどう豆スナックにマシュマロ一袋だけだ。
「もちろん優しいよ。それにさ、頭もいいよ。本人はそう思ってないみたいだけど。でもさ…」
ここで詩織の言葉が止まった。宮ちゃんが「うん?」と聞くと、詩織は口に入れた唐揚げをお茶で流し込んで、さっぱりと言った。
「宮ちゃんはさ、どんな事が不安なの? それによってはさ、悠には言わない方がいいのかもしれないよ」
宮ちゃんは考え込んだ。詩織もいそべえもじっと待つ。
「具体的にこれがっていうのがあるわけでもないんだよねえ…。でも、とにかくあり姐にこれ以上嫌な思いさせたくないんだよ」
「じゃあさ、取りあえず今はやめておこう。でもさ、岡本食堂には行こうよ。別に話さなくたっていいじゃん。何度も悠に会って、宮ちゃんが悠の事信頼できたら、その時話せばいいんだからさ」
「ああ…そっか。うん。そうだね。お腹すいたし、あり姐がどうって事はひとまず置いといて、難しく考えずに行こうか」
そう言って宮ちゃんはすぐ立ち上がった。「ひとまず置いといて」と言っているが、早く悠に会ってみて、早く何かを始めたい、という気持ちが見て取れる。詩織もいそべえもすぐに立ち上がった。
*
「悠と私、その後河原で大泣きしながら話したんだよ。悠が子供の頃の話とかさ。今考えるとさ、そんな事やってる場合じゃないでしょって言いたくなるけどね。でもさ、あの時の悠には必要だったんだよきっと」
詩織は岡本食堂までの道のりで、宮ちゃんに思い出話を聞かせていた。
「やっぱり悠はその子には勝てなかったんだよ。もうさ、すごかったよ。私も首絞められてさ、もう少しで本当に死ぬところだったもん」
「ええ……もう凄すぎて、ちょっと想像つかないよ」
「そうだよね。とにかくさ、悠もすごく傷ついた事あるんだよ。だからさ、少なくとも、あり姐さんに嫌な思いさせないように気は使ってくれるよきっと」
岡本食堂に到着し、いそべえが入口の引き戸をがらりと開ける。「こんにちは」と言いながら入店して暖簾をくぐると、いそべえはびっくりして息を呑んだ。続けて入った詩織も宮ちゃんも、いそべえの後ろで「あ」と小声でつぶやいた。
カウンター席に座っている女の子二人、それは美紀とあり姐だ。その二人に悠が優しく笑って何か言っている。
「あ、いらっしゃい」
悠は三人に気付くとそう言って、二人の元を離れて歩いてきた。
あり姐はチラリと三人に目をやり、すぐに顔をそむけた。美紀があり姐に何か言っているが、声が小さくてここまでは聞こえない。
「座敷に行ってくれる?」
悠に促されて三人は座敷に上がり、あり姐と離れたテーブルについた。三人ともどうしたらいいか分からず、とりあえず注文を考える。
「私は黒ゴマ唐揚げ定食にしようっと」
「俺は…アジフライかな。宮ちゃんは?」
「うーん……」
決めかねている。だが、それは色んなメニューに目移りしているからではないだろう。あり姐の事が気になって仕方ない、つまり食事どころではないのだ。いそべえはそれを察してすぐにレールを敷いた。
「ささみカツ食べてみなよ。これ、JUSTICE(大学の広報誌)に写真載ったんだよね」
「あ、そうなの。じゃあそれにするよ」
詩織が悠を呼んで注文を告げる。
「私は黒ゴマ唐揚げで、いそべえはエビフライ」
「いやいや、アジフライ」
「で、宮ちゃんは鶏カツ」
「ささみカツだよ」
伝票を書く悠のさらに向こうで、カウンター席の美紀とあり姐が立ち上がった。
「悠さーん」
美紀に呼ばれて悠はレジへと向かった。美紀達がレジで支払いをするのを遠目に見ながら、宮ちゃんは腕をもぞもぞ動かしている。声をかけようか迷っているようだ。
あり姐は、悠ではなく美紀にお金を渡し、自分は逃げるように店から出て行ってしまった。「あ…」と宮ちゃんは何か言いかけたが、タイミングだけでなく声量も、あり姐に届くようなものではない。
残った美紀は、支払いを済ませると「ごめん」というように手で三人に合図を送り、あり姐を追って店を出ていった。
「悠さん、美紀とあり姐に、さっき何か言ってましたよね」
アジフライ定食を受け取りながら、いそべえが聞いた。
「ん? いつでも来てねっていうような事しか言ってないよ」
「え、そうなんですか?」
今度は詩織が黒ゴマ唐揚げ定食を受け取る。
「あのさ、他にはどんな話したの?」
「うーん、私はお店の店員だから立場上、お客さんとした話はむやみに他の人には言えないな。でも、たいした事は話してないよ。美紀ちゃんに頼めば多分教えてくれるんじゃないかな」
最後に宮ちゃんがささみカツ定食を受け取った。
「あの、悠さん……どこまで知ってるんですか?」
「何も知らないよ。本当に」
宮ちゃんもいそべえも、話題が見つからずに取りあえず食べ始めた。静かに食べる二人をよそに、詩織はトイレへと立ち上がった。実は本当はトイレに行きたいわけではなく、他に目的がある。
宮ちゃんは食べるのが遅い。いつもではなく今日、異常なほどに遅い。いそべえが全部食べ終わっても、まだ半分にも達していなかった。詩織は黒ゴマ唐揚げをとっくに食べ終わって、追加の単品ロースカツとフライドポテト、モツ煮込みまでたいらげている。
いそべえも詩織も、たまにとりとめもない話をパラリとして、それが終わるとしばらく黙る。それを繰り返していた。
宮ちゃんがようやく八割方食べ終わったあたりで、悠に言った。
「悠さん、僕…また来てもいいですか?」
悠は微かに優しく微笑んだ。
「またおいで。一人でもいいよ」
静かな悠の声が、お客さんの少なくなった店内に柔らかく響いた。
*
店を出ると夜風が冷たい。「うー」と詩織がマフラーに顔を沈める横で、宮ちゃんがこぼすように言った。
「悠さんには、相談したいなあ。今日はタイミングつかめなかったけどねえ」
いそべえが自分の自転車のストッパーを外し、自転車のハンドルを握って宮ちゃんに視線を戻した。
「よかった。それ聞いて俺、少しだけ安心したよ」
「え?」
二人が話す横では、詩織が自分の自転車の鍵をカチャカチャとしつこくいじっている。それが忙しくて、まだ二人の会話に入ってくる気配はない。
「力を貸してもらえる人が増えるのって、いいよね。『一人でもいいよ』って悠さん言ってたから、俺やしー坊には言えない事も、宮ちゃんには言えるのかもしれないよ」
「でも、悠さんが二人に…特にしー坊に言えなくて、俺になら言える事なんてあるのかなあ」
詩織は自転車のストッパーを「いよっ」「あれっ?」と何度もガチャガチャしつこく蹴飛ばしている。それがうるさいので、終わるまでいそべえと宮ちゃんは一旦話をとめて待った。
「よいしょ! はあ。あるよきっと」
自転車に苦戦しながらもちゃんと二人の話を聞いていたらしい。
「だってさ、私とかいそべえより、宮ちゃんの方があり姐さんと仲いいっていうか…あり姐さんの事を想ってるでしょ? それは悠、気付いたよ絶対。だから『一人でもいいよ』って言ったんだよきっと」
三人は自転車を押しながら歩き出した。しばらく方角は一緒だ。
「私さ、トイレに行く途中、あり姐さんのいたカウンター席をチラ見してみたんだよ。どれくらい食べたのか、どうしても気になったから。そしたらさ、ほとんど食べてなかった。食べられなかったんだよきっと。それってさ、すごく苦しんでるからだよきっと。私も、あり姐さんに何かしてあげたいな」
「うん」といそべえもうなずく。
「美紀が必ずさ、私達の誰かに何か話してくれるよ。これからちゃんと進んでくよきっと。だからさ宮ちゃん、心配だろうけどさ、何とかなるよきっと。私とか悠の事はさ、もうさ、好きなように使って!」
「ふふっ」と誰かが笑った。
「ありがとう。少し勇気湧いたよ。ミズプロにも戻ってこられるように、俺も直接あり姐にアプローチしてみるよ」
宮ちゃんと別れた後、いそべえと詩織は二人で自転車を押してアパートに向けて歩いていた。自転車に乗ってしまうと話が出来ない。いそべえが詩織を送る時はいつもこうだ。
「しー坊、あり姐の事怖いって言ってたよね」
「うん」
「まだ怖い?」
「ううん。消えてなくなった」
「そうだよね…俺も少しショックだったんだよね。あり姐があんな風に、人から逃げるようにしてるなんて」
「うん」
「悠さんは、本当に何も知らないのかな?」
いそべえはそれがまだ信じ切れなかった。悠を疑っているわけでもないが、優しさゆえの嘘をついているという事も考えられる。詩織と悠は、お互いの嘘をある程度まで見抜けるくらいの間柄だ。その詩織は確信を持っているらしく、聞かれてすぐにこう言った。
「知らないよきっと。悠は、岡本食堂を居場所にしていいよって事を言葉でかどうか分からないけど伝えて、後は本人に任せてるって感じだと思うよきっと。余計な事はほじくらないよ。だってさ、悠もそんなにあり姐さんと話した事ないはずだしさ」
「そっか」
アパートの入口に到着し、いそべえが「じゃあまた明日ね」と言うと、詩織は「また明日」の前にこう言った。
「あのさ、さっき私が宮ちゃんに『私と悠の事は好きなように使って』って言った時にさ、なんかスケベな事考えたでしょ。笑ってたよね」
「え、考えてないよ」
「ふうん」
とは言っているが、詩織は納得していない…というか全然信じていない様子だ。
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