一番誰かを想える人 3/7 ~あり姐vsオーシャン~

 数日後、講義棟の一階は大勢の学生が人だかりを作ってざわついていた。授業と授業の間の休み時間はいつも騒がしくなるが、今日のざわつきは性質が違う。

 いそべえと宮ちゃんは授業が終わって二階の教室から出たところでそのざわつきに気付き、二人で一階におりた。

 講義棟の脇には救急車が停まっている。他の学生達の会話を聞きとると、どうやら一人の学生が大けがをし、意識を失っているらしい。

「大丈夫かな」

 宮ちゃんはいそべえに「うん…」とだけ返した。そういえば宮ちゃんは、噂話やなんかをヒソヒソ楽しむのがあまり好きではない。いそべえはそれを思い出して、体の向きを変えた。

「まあ、今俺達に出来る事はないよね。とりあえず少し離れようか」

 ところが、宮ちゃんは人だかりの中央を見つめたまま、「あ」と口を開いた。いそべえが宮ちゃんの視線を追うとそこには

「二人ともいたの。何があったか話す。ほんっとにね、ありえないよ」

 あり姐がいた。二人はあり姐に連れられ、美術棟の裏へと向かった。

「あり姐、あの事故見てたの?」

 あり姐はいそべえに深くうなずいて見せた。

「全部じゃないけど。私が二階に上がろうとして階段の近くまで来たら、上から男女がケンカしてるような話声が聞こえて、次に女の子の叫び声。で、その女の子が転げ落ちてきたの。地面に思いっきり頭打ちつけて、血が出てきて。だから私、すぐに救急車呼んで」

「女の子って誰?」

「それは知らない子。でも、ケンカしてた彼氏はオーシャンだったの」

「ええっ?!」

 いそべえとあり姐の会話を宮ちゃんはずっと無言で聞いている。

「さっきも言ったけど、救急車も私が呼んだの。救急車が来るまで、オーシャンはただ立ってるだけで。私が電話で呼んでるその時も…」

 あり姐の声が一瞬震え、目には涙がにじんできた。

「慌てて階段駆けおりてきて、私に向かって『俺が悪いんじゃない』って。私が電話してるその脇で! 目の前で、自分のせいで怪我して、血を流してる人がいるのに! 意識もないのに! しかも、それが自分の彼女なのに! ほったらかしで!!」

 声の大きさも震えも次第に大きくなっていく。目には何とかこぼれずに引きとめられている涙。いそべえも宮ちゃんも、初めて見るあり姐の涙に絶句してしまった。

「ほんっとありえない! ほんっと……ほんっと、ほんっっと何なのあいつ?! 信じられない! 私絶対許せない! ほんっとに絶っっ対許せない!!」

 声を裏返しながらそう言うと、あり姐は二人の間を縫って早足で歩いて行ってしまった。

 次の日から、オーシャンは大学に来なくなった。



                  *



「大学には来た方がいいでしょ。誰かに怒られるとしても、あれだけの事をやったら当然。それを怖がって自分の学業に支障が出たら意味ない」

 あり姐は誰かにオーシャンの話を振られたらしく、またコメントをしている。

 今日は朝早くからミズプロの話し合いだった。今回はダイコクがいなかったため、話し合いは特に荒れなかった。


 話し合いが終わって、あり姐軍団がオーシャンの話をする傍ら、宮ちゃんと、たまたま別の用事で研究室にいたいそべえは、その会話に入らずに、黙ってそれぞれ本を読んでいた。

「オーシャン、結局何をしたの?」

「それは私も見てないけど。でも聞いた話によると、彼女を殴ったらしいの」

「ええっ!」

「それで彼女がバランス崩して、階段を落っこちたって」

「なのに、自分で救急車も呼ばなかったんだ!」

「そうなの! ほんっとありえない」

「あいつ、今のままじゃいつか人殺しちゃうよね」

「まあね、そこはでも、オーシャンもわざと階段から落としたわけじゃないみたいだし、ちゃんと学ぶ力はある人だと思うから。でも、彼女殴るなんてほんっとありえない!」

 噂によると階段から落ちた彼女は、幸いにも命に別条はなく、もう退院もして大学に来ているらしい。オーシャンと別れたかどうかは、誰も知らなかった。

「ねえいそべえ! ああいう人どう思う?」

いきなりあり姐にそう聞かれて、いそべえはハッと顔を上げた。

「『ああいう人』って…まあ、救急車呼ばなかったのは、あり姐が先に呼んでるのを見たからだろうね。他の事も、とにかく気が動転してたんじゃないかな」

「まあね、それは確かにあるかも。あの時のオーシャンの顔思い出してみると。でも、大学に来なくなっちゃうのっておかしい。逃げだよそれは。宮ちゃんは?」

「うーん、人を怪我させちゃうのは、悲しいよねえ。オーシャンが今どうしてるのかは、俺も気になるよ」

 明らかに言葉を探り探り話す宮ちゃんに対して、あり姐はあてこすりのように「はあーっ」とため息をついた。

「宮ちゃんが言うのって、そういうあたりさわりのない事ばっかり。自分の意見はっきり言いなよ。宮ちゃんは頭いいし、私と考え方違うと思うから、どんな事考えてるのか気になって聞いてるの。こういう時はきちんと自分の意見言わないとダメでしょ」

「あ、うん。そうだねえ……」

 やはり自分の意見を言いかねている宮ちゃんに、またあり姐が何か言おうと口を開いた瞬間、宮ちゃんを呼ぶ声が背後から飛んできた。

「みやもっさーん。なんか、ダイコクが呼んでますよー」

 池谷君の声だ。研究室の入口付近にいるらしい。

「今行くよー」と答えて宮ちゃんは机から離れ、研究室の入口へと見えなくなった。目で追ういそべえの耳に、脇からあり姐の声が飛び込んできた。

「宮ちゃんって、ほんっとに自分の意見言えないよね。人の話とか一発で理解するし、誰かを褒めるのも上手いし、紫が好きだから服に入れるってこだわりあって、それを貫いてるし。それだけ頭よくて、自分があるんだから、絶対自分の意見持ってるはず。どうして言わないのかほんっと不思議。あの人も小学校の先生になるつもりなんでしょ? あんなつかみどころない、あたりさわりのない事ばっかり言ってて、子供に何教えるつもりなんだろ」

「確かに」と誰かが同調した。

「優しいのと笑ってほったらかすのって別でしょ。宮ちゃんは絶対優しい。でも今のままじゃ、子供に『この先生優しい』って気付いてもらえないでしょ。それじゃ悲しすぎる」

「あ、みんなちょっといい?」

 宮ちゃんが帰ってきた。あり姐もさすがに一旦話をとめる。

「今、ダイコクが来て、ミズプロはやめるって。いそがしくて出来なくなったみたいなんだよ」

「え、マジ?」と誰か。

「ホントに忙しいからなのかなあ。この前あり姐にイタイとこ突かれて、嫌気がさしたんじゃないの?」

 菅波さんだ。苦笑いであり姐の反応をうかがっている。

「まあね、もしそうだったとしたら、私が悪い。正直私も、もう少し違う言い方とか話し方とかあったと思うし。今は反省してる」

「え、でもさあ、それとミズプロやめるとかは別なんじゃない? それにあり姐は間違ったこと言ったわけじゃないんだし。しかも」

 いそべえが大きめの声で菅波さんを遮った。

「忙しいからって言ってたでしょ」

 あり姐軍団はよくこうやって、ちょっとしたきっかけで誰かの悪口大会を始める。それが、いそべえが彼女らをよく思っていない理由だ。だが、その悪口大会にストップをかける人が、あり姐軍団の中にはいる。実はその人とは

「まあね。私もそう思う。憶測の話をひたすら展開しても不毛」

 あり姐なのだ。

 軍団のメンバーが、あり姐が普段から批判している人の悪口を始め、他のメンバーも同調する。そこであり姐がストップをかけて、悪口大会終了。いつもそんな感じだ。

「私そろそろ行くわ。今日ボランティアなの」

 あり姐はそう言ってカバンをグイッっと勢いよく肩にかけると。「じゃあね」と一言言い残して、研究室を出ていった。

 ボランティアとは学校ボランティアの事だ。あり姐は大学から近い小学校でボランティアをしている。この日はそのためにあえて授業を一つも入れていないらしい。



 その頃詩織は、美紀と一緒に取っている授業が終わって、そのまま教室でおしゃべりしていた。次には授業を取っていない。

「んでね。先生が『とりあえずやってみ』って言うから、そんまま素焼きしたんよ。したらやっぱ割れちった」

「へえ。なんでさ、素焼きすると割れちゃうの?」

「ま早い話が、形に無理あったんよ。んで、焼くと水分飛ぶじゃん。そすっと、厚さにムラあったりすっと…」

 美紀は田端先生との不和から、彫刻研究室には行かなくなった。というか、行けなくなってしまった。陶芸の永瀬先生とウマが合うようで、最近は陶芸にはまっている。

「でもしたら、先生が『まだいける。割れたまま釉薬かけて、最後までやってみろ。意図せず出来た物もむやみに捨てるな』って。んで」

「ほら行くよ美紀。いつまでやってんの」

 突然、後ろからあり姐の声が美紀の髪を引っ張った。美紀はあり姐と同じ学校でボランティアをしているのだ。

「えもそん時間…? あホントだ!」

 美紀がノートやペンケースを片付け始めると、あり姐は詩織を笑顔で照らしながら話しかけた。

「垣沼さんはどこかでボランティアやってるの?」

「いえ、やってないです」

 詩織は相変わらずあり姐に敬語を使っている。どうしてもあり姐の雰囲気に委縮してしまう。

「今度うちに来てみない? 春学期の『初等教育の方法論と実践史』で講話に来てくれた皆川先生って覚えてるでしょ?」

 その授業は詩織とあり姐、それに美紀、あり姐軍団も一緒だった。皆川先生の事は詩織も覚えている。ズバズバとモノを言い、テレビでたまに見る新興企業のカリスマ社長みたいな雰囲気の、若い男の先生だった。

 講話の終わりに自身の務める小学校のボランティアを募集していたのだが、あり姐は講話で皆川先生に惚れ込み、すぐにボランティアを申し出たらしい。ボランティアを通して皆川先生にさらに惚れ込み、美紀にも激しくボランティアを勧め、二人で一緒にやる事になったのだ。

「皆川先生って子供の事ほんっとよく分かってる人なの。すごく勉強になる」

「…ちょっと考えてみます」

 詩織は皆川先生の、相手のペースを無視する態度が好きになれなかった。学校全体がどんな風かは分からないが、何となく気が進まない。

 やんわりとした断り文句をあり姐はしっかり察してくれ、それ以上は勧めなかった。



                  *



 詩織と、同じく次は空きコマのいそべえ、宮ちゃんの三人は、講義棟一階にある学生ラウンジでおしゃべりをしていた。

 特にそういう予定はなかったのだが、研究室では残ったあり姐軍団がオーシャンの悪口大会を始め、いそべえと宮ちゃんがたまりかねて詩織の所にやってきたのだ。

「私正直言うと、あり姐さんはちょっと苦手だな。だってさ、怖いんだよ」

 いそべえの隣に腰かけている詩織は、閉じた手帳の上でボールペンをパチパチ出したり入れたりしている。

 自分が先に反応すると詩織と二人だけでしゃべってしまう、と予想したいそべえは、一瞬の間を作って、宮ちゃんが先に反応するよう仕向けた。

「うん…根は優しいんだけどねえ」

「でもさ、厳しすぎるよ。傷ついてる人いるよきっと。いそべえに聞いたけどさ、ダイコクさんがミズプロやめちゃったんでしょ? それさ、やっぱりあり姐さんに言い負かされたのが原因だよきっと」

「うーん、でもねえ、本人は忙しいからだって言ってたし。俺もきっとそうだろうなあって思ってるよ」

 どんな意見とも一定の距離を置く宮ちゃんが、珍しく誰かを「フォロー」している。いそべえは宮ちゃんが気になって、あえて黙って詩織とのやり取りを見ていた。

「そうかもしれないけどさ、とにかくミズプロの試作制作やったあの日、ダイコクさんすごく悔しかったと思うよきっと。だってさ、あり姐さんの言い分にもツッコミどころあったもん。あんな言い方しなくてもって、私も思った」

「言い方がキツすぎたっていうのは、あり姐も自覚してるんだよ。本人も『反省した』って言ってたよ」

「ふうん…」

「あり姐はねえ、この大学には、田端先生に憧れて来たんだよ。偶然見た田端先生の個展で感動したんだって。田端先生本人にも、そこで会ったらしいよ。それで入学してすぐ田端先生がいる彫刻研究室に入り浸って、先生の影響受けまくってて、だから言い方とかが、よけいにキツくなっちゃってるんだよねえ」

 宮ちゃんがこんなに何かを「解説」「説明」しているところは見た事がない。いそべえはだんだんニヤニヤと笑顔がわいてきた。

「ホントにねえ、根は優しいんだよ。いつも色んな事に一生懸命だから、熱くなっちゃうんだろうねえ。それにあり姐は、実はすごく繊細なんだよ」

「ふうん」

 とは言っているが、詩織はあまり納得していない様子だ。



                  *



「ねえ宮ちゃん、あり姐の事好きなんだよね?」

 いそべえは得意のニヤニヤ顔でそうたずねた。それを聞きたくて、詩織と別れて二人だけで、大食堂にお昼を食べにきた。

 ストレートな質問をされて、宮ちゃんは顔を赤くした。

「うーん、もしかしたらそうかもねえ。自分でもよく分からないよ」

 質問から少し距離を置いている。だが否定はしていない。好きだと見てまず間違いないだろう。

 いそべえはさらにニヤニヤ顔になって、宮ちゃんと軽く笑い合った。

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