第三話 一番誰かを想える人

一番誰かを想える人 1/7 ~宮ちゃん~

---  大丈夫だよ。私達はあなたの居場所を守ります。だから、安心して。 ---


 手紙の初めにはそう書いた。悠、詩織、美紀、いそべえ、それにもう一人の連名だ。みんなで届けにきた。扉についている郵便受けに投函する。インターホンを押しても出てきてくれなかったが、まず間違いなく、扉の向こうにいるはずだ。

 この話の発端は一か月ほど前にさかのぼる。



                  *



「宮ちゃん、今日ご飯食べに行かない?」

「お、いいね。行くよ」


 宮基鎮(みやもとまもる)、通称「宮ちゃん」はいそべえと仲がいい美術専攻の二年生だ。


 この学年には元々、男子が四人しかいない。袴田牧人(はかまだまきひと)通称「ハカマン」が留学に行った今、残された男子はいそべえ、宮ちゃん、そしてもう一人。

「オーシャンも来る?」

「俺は用事あるから」


 菅原智弘(すがわらともひろ)、通称「オーシャン」。この三人だけだ。


 別に女子と男子で仲たがいしているわけではないが、何となく昔から男子でつるむ事が多かった。だが、いそべえは詩織と付き合い始めてから、詩織と仲がいい美紀とつるむ時間が長くなり、今日は久しぶりに宮ちゃんとオーシャンと久しぶりにゆっくりおしゃべりしたかったのだ。



 結局、宮ちゃんといそべえの二人で岡本食堂に向かった。宮ちゃんは初めて行くらしい。

「ここのチキン南蛮、本当に美味しいんだよね。他のメニューも美味しいけど」

「そうなの。じゃあチキン南蛮にしてみるよ」

 宮ちゃんはいつもニコニコしていて優しい。いそべえもそうだが、宮ちゃんがいそべえと違う所は、誰のどんな意見にも同調せず、ある程度距離を置く。でもどんな意見も否定せず、それゆえにどんな場所でも等しく受け入れてもらえている。

 分かりやすく一言で言うなら「人畜無害」だ。

「悠さん、お疲れ様です」

「黒川君、いらっしゃい。彼は友達?」

「そうですね」

「こんにちは。宮基です。いそべえ、この店員さんと知り合いなの?」

 宮ちゃんは目を丸くした。

「うん。悠さんはしー坊の親友だから、俺も仲良くしてもらってるんだよね」

「へえ。学外の知り合いがいるって、何かカッコイイよ。うらやましいな」

「宮ちゃんだって、もう悠さんと知り合いって言っていいと思うけどね」

「ホント? えっと、悠さん、僕もたまに来ていいですか?」

 お店の店員にお客が、また来て「いいですか?」って。

「ダメなわけないじゃん! 他の友達もいっぱい連れて来て」

 宮ちゃんはいそべえお勧めのチキン南蛮定食、いそべえは鶏カツ定食を注文し、久しぶりのおしゃべりが本格的に始まった。

「宮ちゃん、ミズプロはどうなの?」

 ミズプロというのは宮ちゃんがリーダーを務める「光の水族館工作教室プロジェクト」の事だ。針金で作った魚に毛糸を巻きつけ、中に仕込んだLEDライトの光と影で、水族館を作る。魚の制作と、設置及び鑑賞がセットになった工作教室だ。

「いやー、なかなか話がまとめられないよ。今日も話し合いあったんだけどねえ、もう、あり姐とダイコクが相変わらずバチバチなんだよ」


 真田ありさ(さなだありさ)通称「あり姐」はいそべえ達と同じく二年生だ。「姐」というイメージ通り姉御肌で、かなり我が強い。悠と同じくらい背が高い事も影響して、相手に威圧感を与えてしまう事があり、詩織も彼女を怖がっている。根は優しいのだが、ズバッと辛辣な物言いをするため、よく人とぶつかっている。


 大黒友香(おおぐろともか)通称「ダイコク」は後輩の一年生だ。いつもそわそわ、あわあわしているが、自分の考えはしっかり持っている。あり姐と基本的な考え方が違うようで、二人の間にはいつも目に見えない溝がある。


「あり姐が『熱帯、とか、深海、みたいに、ゾーンをいくつも設定した方が鑑賞が楽しい』って意見を出したんだよ。そしたらねえ、ダイコクが『それだと子供が作る作品が縛られちゃう。それに子供が希望するゾーンが極端に偏ったら大変。鑑賞より工作に重点を置いて考えるべき』って、真っ向から反論したんだよ」

「あー、あの二人がそんなぶつかり方したら…」

「そうなんだよ。みんなの話し合いというより、二人の論戦になっちゃったよ。もう白熱! お互い一歩も譲らなくて。でもねえ、あり姐の方が口が強いから、なんとなく優勢、みたいな雰囲気になっちゃってねえ。ダイコクは納得いかないまま黙っちゃった。で、そうなるとみんなも逆に、あり姐に賛成しづらくて、次の話し合いに持ち越しにしたよ。上手くまとめられなかったんだよねえ俺。いそべえならどうする?」

「えー難しいな…。俺も、他のメンバーにゆっくり丁寧に意見を聞く、くらいしかできないかもね」

「あー。俺、それもやらなかったなあ。次の話し合いでやってみるよ」

 悠が定食を持って現れた。

「はーいお待たせ。二人ともなんか難しい話してるね。これでエネルギー補充しな。まずチキン南蛮」

「ありがとうございます。うわホントだ。タルタルソースがボリューム満点で超美味しそうだよ」

「そうなんだよ。まずそこなんだよね。さすが宮ちゃん、よく分かってるね」

 岡本食堂のチキン南蛮は宮ちゃんにも気に入ってもらえたようで、しばらく食事に集中していた。半分ほど食べ、少し落ち着いてきた所でいそべえがまた話を始めた。

「宮ちゃん、今日は紫が見当たらないけど」

 宮ちゃんは着ているジャケットの胸のあたりをひっくり返した。紫の裏地だ。

「え、裏地?! 外から見えない所でもいいの?」

「うん。俺はそれでも満足なんだよ。身に付けてるんだって自己満」

 宮ちゃんは紫色が大好きだ。毎日必ず紫をどこかに取り入れたファッションをしている。ペンケースも紫、ノートも紫。そのくせカバンは茶色がいいという、妙なこだわりがある。

「改めて聞くけど、何でそんなに紫好きなの?」

「いや、それは自分でもよく分からないよ。でもねえ、画面の中で主張できる色で、それでいて上手く使えばどんな画面でもなじめる色で…。俺はそう思ってるから好きなんだよ」

「宮基君、それ深層心理が表れてるのかもよ」

 悠はテーブルに寄って二人の話に入り込んだ。今日はそんなにお客の入りが多くない。せっかくだから今のうちに宮基君と話して仲良くなって、常連さんになってもらいたい。

「そうかもしれないですよねえ。僕、小さい頃からずっと好きなんですよ」

「宮ちゃん、自分の意見をあんまり主張しないよね。紫は主張できるから好きっていうのは、それがあるのかもね。俺はそれ、宮ちゃんのいい所だと思うけど」

「そうかな。でもねえ、自分ではもっと主張したいなって思ってるんだよ。だけどねえ、タイミングがうまくつかめなかったり、ただ何となく怖かったりって感じで。あり姐とかはすごいよ。俺、ああいうのがうらやましいんだよ」

「でも宮基君、真田さんは逆に、心のどこかで宮基君をうらやましがってるかもよ?」

「え、悠さんって、あり姐の事知ってるんですか?」

「うん。会ったことある。あんまり詳しくは知らないけど、私の印象でもこう…曲ったことが大嫌いって感じだったな。顔立ちも雰囲気もクールで、自分の意見をズバッと言って。だから『あり姐』ってあだ名、確かにぴったりだよね」

 他のお客さんに呼ばれ、悠は一旦テーブルを離れた。

「そういえば宮ちゃん、オーシャン今日来なかったけど、また彼女といるのかな。知ってる?」

「多分そうなんじゃないかな。最近昼休みも一人でどっか行っちゃうよ。まあ、付き合い始めたばっかりだからね」

 オーシャンは最近、初めてらしい彼女が出来たばかりだ。いつも一人でいてサークルにも入っていないオーシャンがどこで彼女と知り合ったのか、どういう経緯で交際開始に至ったのか、美術専攻の多くの学生が不思議がっていた。その筆頭があり姐だ。

「宮ちゃん覚えてる? オーシャンに彼女出来た時、あり姐が『あんな男と付き合う女の子なんているんだ。どこがいいと思ったんだろ。ほんっと分からない』って言ってたの」

「覚えてるよ。あり姐節炸裂って感じだったよねえ」

「ちょっと失礼すぎるよね。オーシャン別に悪いヤツじゃないのに」

 あり姐はオーシャンを美術専攻の学生としても、人としても全く認めていない。オーシャンの方もそれを薄々感付いていて、この二人の間にも常に見えない溝がある。

「あの時気になったんだけど、あり姐、ひょっとして陰で俺とかしー坊の事もなにか言ってたんじゃないかなって。宮ちゃん何か聞いた?」

 宮ちゃんは夏にいそべえがリーダーとなっておこなった別の工作教室で詩織と知り合っている。詩織は当時、自分の仕事を上手い事やっていたので、それを見ていた宮ちゃんは「すごいね」と大雑把ではあるが詩織を評価してくれていた。

 あり姐は夏の工作教室に参加しておらず、詩織のその活躍を見ていない。どう思っているのか、いそべえは少し気になっていた。

「うーん…。あのねえ…」

「やっぱり何か言ってたんだ。気になるから教えてよ」

「まず、しー坊の事は『どんくさいって言葉をあれほど見事に体現出来てる子ってそういない』って言ってたよ」

「あっははははははは!」

 笑ったのは悠だ。おしぼりを持ってテーブルに戻ってきた。空いた食器を片付け始める。

「どんくさいか! はっきり言うね。思わず笑っちゃったけど、詩織には秘密にしておこう。傷つくかもしれないから」

「ねえ宮ちゃん、あり姐、俺の事も何か言ってたんじゃない? 俺がしー坊と付き合い始めた時に」

「言ってたよ。『垣沼さんはオシャレでいそべえは地味だから、プラマイゼロ。そういう意味ではお似合い』って」

 そんなトコつつくのか。いそべえは思わず吹きだした。

「辛口コメントだね。まあ、俺は自分が地味だって自覚してるから、いいけどね」

「真田さんって、そうやって何にでもコメントする子なの?」

 テーブルを拭く悠のために、宮ちゃんはお盆や薬味の乗ったトレーを持ち上げてくれた。

「そうですねえ…でもどっちかっていうと、みんなが彼女にコメントを求めるんですよ。あり姐はハッキリ自分の意見を言うし、頭もいいので、言う事は的確なんですよねえ」

「ありがと。そうなんだ。じゃあ、『あり姐軍団』みたいなのが出来上がってるんじゃない?」

「さすが鋭いですね悠さん。その通りなんですよね」

 いそべえは声に重みを持たせてそう言った。あまりよく思っていない雰囲気を醸し出している。「前々から思っていた」という感じでいそべえは続けた。

「あり姐が『右』って言うと、全員右向くんで、左向いてる人はそばにいづらくなっちゃうんですよね」

「ふーん。私が高校生の時にも、女子の中にそんな集団あったな。大学生になっても女の子って、案外変わらないんだね」

「そうですね。まあ、はっきり言って、男の方もたいして高校生から変わってないと思いますけどね」

 宮ちゃんが「ふふふ」と笑ってうなずいた。

「そうだよねえ。あ、そうだ。いそべえ、明日五限から製環研究室でミズプロの試作やる事になってるんだよ。来ない?」

「え、俺も一緒に作っていいの?」

「うん。一緒に作って、意見聞かせてよ」

 工作教室の話に戻ったタイミングで、悠はまたテーブルを離れた。他にも片付けないといけないテーブルがある。

「五限終わった後からでも大丈夫なら行くよ。ちなみにミズプロって、他には誰いるっけ?」

「あり姐とダイコク、菅波、太田、あと広村なんだよ」

 いそべえに不安がよぎった。このメンバー構成は

「ダイコク以外、あり姐軍団だね」

「そうなんだよねえ。偶然なんだけど。だから、俺だけだと怖いっていうのもあるんだよ。いそべえいてくれたら心強いよ」

「うーん、俺が何か出来るとも思えないけど…。でも、とにかく行くよ」

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