ちっぽけなこと 5/5
いよかんのあの絵は、公募展に出したものの落選。落ち込んでいたところ、不憫に思った書道専攻の友人が、うちの展覧会で飾らないかと誘ったらしい。だから書の中に一枚だけ絵があったのだ。言い方は悪いかもしれないが、要はお情けでの展示。
全員が美術館から出ると、美紀が振り返って手を挙げた。
「あたしと一緒にご飯食べ行く人!」
どうしようかな、とみんな何となく一瞬迷う。
「いよかん! 来いよ。無理?」
「二人は嫌です。三人以上なら」
正直だ。美紀は嫌な顔もせず、すぐに「詩織!」
「一緒に行こよ」
「うん。じゃあ行く」
「おっし。あり姐は?」
「パス。疲れたから帰る」
「あそ。いそべえは?」
「ゴメン。この後は無理」
「マジかよ! じゃあ宮ちゃん」
「あ、いや……」
行きたくなさそう。あり姐と一緒にいたいのだろう。
「来いよ!」
宮ちゃんが渋々うなずくと美紀は「おっし!」と手を叩いた。
「これで三人。 いよかん!」
「……分かりました。行きます」
いよかんが返事をすると、美紀はいよかんの肩をぐいっと抱いて歩き出した。いよかんの方はちょっと鬱陶しそうにしている。詩織が悠の方に振り返った。
「悠は?」
「私は帰る。ちょっと用事あるから」
ご飯グループがいなくなり、美術館前には悠とあり姐、いそべえ、それに阿部君だけになった。全員駅に向かうので、一緒だ。
「ちょっとトイレ行ってくる」
そう言ってあり姐が美術館へいったん戻って行った。あり姐の姿が見えなくなると、いそべえが口を開いた。
「悠さん、あり姐最近、岡本食堂に行ってるんですよね?」
「うん。お昼にまかない食べに来てるよ」
「悠さん、あり姐にどんなこと話してるんですか?」
「え、そうだなあ……」
さっと記憶をたどってみるものの、特にこれと言って特別な話はしていない。
「天気とか、世間話とか、その程度だと思うよ。黒川君、何か気になる事ある?」
「そうですね……あり姐さっき、いよかん呼びつけて、朱木さんの彼氏と言い合ってたじゃないですか」
「ああ……あの子は彼氏じゃなくて、ただのうちのバイトだけどね」
「あ、そうなんですか。それで、その時あり姐がいよかんの手を握ったのが、すごく印象に残ったんですよね。以前だったら、あんなことしなかったと思うんですよね。なんか……優しくなったなって」
確かに悠から見ても優しくなった気がする。いそべえは悠が何か話をして、それであり姐が優しくなったのだと思っていたようだが、そうではない。悠には一つ心当たりがあった。
「たぶん、阿部君のおかげだよ」
「阿部君? あり姐と一緒に何かやったとか?」
阿部君は突如として自分の名前が出たことに驚いたらしく、いそべえの後ろでオドオドしている。
「阿部君、まかない食べる時、いつもあり姐と一緒なんだよ。あり姐が何かしてあげると、ありがとうございますって言うし、あり姐が何か言うと、ただ聞いてたり、たまに少し笑ったりするし」
悠は思っていたことを言葉にしてみたが、阿部君がやっていることは、本来誰でもやる普通のことばかりだ。聞いていたいそべえは、どういうことかよく分からなかったらしく「あー……」と、いかにも取りあえずな相槌をうった。
「何かこう……阿部君に、優しくしてる自分を認めてもらってるって感じがあるんだと思うよ。それがちょっとずつ自信になってるんじゃない? ちっぽけなことだけど。阿部君がちゃんと感謝の気持ちを表してくれてるからね」
悠が阿部君の方を見ると、阿部君は「え……」と呟きながら、恥ずかしそうに笑った。
帰り道、駅までの道のりであり姐は、黛君のことを「傲慢」「想像力ゼロ」などなど、徹底的に批判していた。やっぱり、あり姐はあり姐。許せない相手は絶対に許せない。同じように自分の事も、許せるようになるまでには相当時間がかかるだろう。
「阿部君、またね」
あり姐はそう言って阿部君に笑いかけ、帰って行った。これからも岡本食堂に来てくれるようだ。
「はい。じゃあ……また……」
阿部君の声は、いつもよりちょっと大きくなっていた。
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