言えないことは… 3/12 ~詩織、岡本食堂で話し込む~
その頃、岡本食堂は大賑わいだった。どこかのサークルの学生が集団でやってきたためだ。騒がしい店内の片隅で、近藤君(常連の学生。通っている大学は詩織達とは違う)がカウンター席で静かに牛すき定食を食べている。その隣には詩織がいた。
「近藤さん、宝洋軒って知ってます?」
「ああ、知ってますよ。カレー屋ですよね」
詩織は岡本食堂にちょくちょく来るようになり、近藤君や香田さんとも顔なじみになっていた。
「私この前、テラ盛り食べたんですよ」
「え、垣沼さん一人でですか?」
「はい。さすがにお腹いっぱいになりましたけど」
そう言いながら詩織は唐揚げを口に放り込んだ。
「ほーいうおんがーほふぇ、はわいうわいえっふぁ?」
「飲み込んでからしゃべりな」
悠がお冷のお代わりを運んできた。本当は悠に話を聞いてもらいに来たのだが、忙しさのせいで代わりに近藤君の相手をさせられる事になってしまったのだ。(本当は近藤君が、悠の代わりに詩織の相手をさせられているのだが)
「男の人からすると、大食い女子って可愛くないですか?」
「いや、別にそんな事はないと思いますけど……人の好き好きじゃないですか?」
「ふーん。なんか、友達にのせられて食べに行ったんですけど、あそこ記念写真飾るじゃないですか」
「あー、そうでしたっけ…」
「そうなんですよ。だから今、私の写真飾られてるんですけど、あそこうちの学生いっぱい行くから、恥さらしてるのかなって思って」
「いや、恥なんて事は…」
近藤君は少し面倒くさそうに相手をしているが、詩織の話は止まらない。
「大盛りのお店に女の子連れて行くのって、同じ男としてどう思います? しかも写真飾られちゃうのに」
確かに宝洋軒に行こうと言い出したのはいそべえだが、詩織もノリノリだったし、写真を飾ってもらって嬉しそうにはしゃいでいた。
「そういう女の子が好きって男もいるでしょ」
悠が近くを通り抜けざまにそう言った。さっきから枝豆だのなんこつ唐揚だのを何度も往復して運んでいる。
「でもさ、そうじゃない男の人もいるよねきっと。って言うか女の子だって来るのにさ。それなのにさ…だってさ、写真飾られちゃうんだよ? 学生が大勢来る場所に!」
「はがしてもらうとかは出来ないんですか?」
近藤君がそう言うと、詩織は首を傾けた。
「んー、どうですかねえ……」
そう。詩織は本当は写真が飾られている事なんかどうでもいい。ただ単に、いそべえに説教された事が気に入らないのだ。だが、説教の内容が間違っているわけではないし、悪いのは自分。それが分かっているから、こういうつまらない事に文句をつけるしかなくなる。
客がほとんどいなくなっても、詩織はまだしゃべっていた。しかも、話題はずっと同じ。「写真が飾られちゃう大盛りのお店に女の子連れて行くってどうなんだ」これをひたすら違う言い方で繰り返している。
もう近藤君も帰ってしまい、話は悠が聞いていた。
「だってさ、私大学に他に知り合いいないわけじゃないんだよ? それにさ、先生でもあそこ好きな人いるらしいし」
「まあ、誘うときに気遣いはあってもよかったかもね」
悠は詩織の隣で適当に返事をしている。
「男の子とかが来てさ、テラ盛り挑戦して、失敗してさ、写真を見たら女の子が! とかなったらさ、引くよねきっと。その女の子を大学で見つけた日にはさ、もうさ! 引くよきっと!」
「引きはしないと思うけど、驚くかもね」
「引くでしょきっと。もしかしてさ、分かっててわざとやったのかな?」
「え、何が?」
「いそべえさ、わざと私を連れて行って食べさせてさ、恥をさらさせようとしたんだよきっと」
絶対濡れ衣だ。
「馬鹿な私がまんまと引っかかってさ、喜んでるよきっと。今頃宝洋軒でさ、ニヤニヤしながら私の写真眺めてるよきっと」
いそべえがニヤニヤしながら詩織の写真を眺めている、という景色だけは、はっきり悠の頭に浮かんできた。悠が笑いだすと、詩織はさらに語りに熱を込めた。
「だってさ! いそべえって普段からやたらニヤニヤしてさ、何考えてるのか分からないんだよ! もうさ、やたらニヤニヤニヤニヤ! こんなだよほら」
詩織がいそべえのニヤニヤ顔の真似をして見せた。大げさに口の両端を引き上げて、全然似ていない。
「テラ盛り食べてる時もさ、私は食べるのに夢中で見なかったけど、ニヤニヤしてたでしょきっと」
「してなかったよ。まあ、詩織が食べてるとこはゆっくり見たかったんだろうね。黒川君、テラ盛りが来る前に大急ぎで自分のカレー食べてたから」
「きもい!」
「こらっ!」
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