ジンジャーブレッド・ハウス

 魔女の後を追って森の奥へと進んでいった一行の目に飛び込んできたのは、なんと、お菓子でできた大きな家でした。

「素敵だろう? お菓子の家さ!」

「うわあーーー!!」

 興奮したベルデが叫びます。

「おいしそう!」

「そうだろう? せっかく頑張って作ったのに、誰も気付いてくれないからさ……一度だけ人間の兄妹が訪ねてきたことがあったけどね。親に捨てられたとか言っててね、かわいそうだったから今も一緒に住んでるよ」

「そいつらにも『魔女の祝福』を与えたのか?」

「いいや? 魔女の祝福を与える対象はちゃんと選んでるよ。……っていうか、何も玄関先で話さなくなっていいじゃないか。とりあえず中に入ろう、絶品のジンジャーブレッドクッキーが待ってるよ」

 魔女はクッキーでできた扉を押し開けます。

「ただいまー」

 間延びした声の挨拶です。

「おかえりなさい……あら、お客様!」

 家の奥からぱたぱたと走ってきたのは、赤ずきんと同い年くらいのかわいらしい少女でした。ピンク色のエプロンを身に着けています。

「私、グレーテルといいます。お客様なんて何年ぶりかしら、さ、どうぞどうぞ」

 通された客間には、クッキーのテーブルとビスケットの椅子がありました。

「さ、座ってくれたまえ」

 魔女と向かい合うようにして、二人と一匹はビスケットの椅子に腰掛けます。椅子は思ったよりも頑丈で、軋みもせずに体重を支えてくれました。

「今ヘンゼルがお茶を淹れてくれるから、もう少し待っていてくれ」

「悪いが、あまり長居するわけにもいかない。この子の母親だって心配しているだろうからな」

 桃太郎がベルデを指します。

「むむ、確かに。じゃあお茶を待たずに話を始めようか……どうして私は、君たちをここに連れてきたと思う?」

「はい!」とベルデ。

「お菓子の家を見てほしかったから!」

「やあ、すごいじゃないか! 正解だよ、ベルデ。君にはクッキーをひとつ余分にあげよう」

「やったあ!」

「さて、そこの二人はどう思うね?」

「……私が、魔女とは何者か問うたから」

「それもある」

 魔女はフードの奥で笑いました。

「私は魔女だ。森の奥深くで魔法の研究を続けてきた結果、ほんの少し君たちよりも上の次元に来てしまった魔女さ」

 そのとき、テーブルにことりとお茶のカップが置かれました。

「こんにちは、お客さん」

 青い目をした美少年が、お茶とお菓子を運んできたのでした。さっきのグレーテルと顔が似ていたので、これが魔女の言っていた兄妹なのでしょう。

「ありがとう、ヘンゼル」

「いえ。それでは、ごゆっくり」

 全員分のお茶とお菓子を配り終えたヘンゼルは二階へと上がっていきました。

「さあ本題だ。まずは君たちの頭の中に、世界があると想像してくれたまえ」

 魔女は湯気の立つお茶をずず、と啜ります。

「その世界は君たちが作った。だからその世界の出来事なら何でも知っているし、ちょっと念じるだけで簡単に何かを変えることができる。望んだことは何でもできる。もっとわかりやすく言うなら、君たちは作家で、世界とは君たちが紙の上に綴った物語だ。君たちがひとつの文章を付け加えるだけで、たとえば世界を滅ぼすことも可能なわけだ。私の言ってる意味、わかるかい」

 特に返事はありませんでしたが、魔女は構わず先を続けます。

「じゃあ、君たちが今生きているこの世界にも、そういう全知全能の存在はいるのか? ……いるんだな、これが。俗に言う『神様』ってやつだ。私はね、神様になりたかったんだよ」

 赤ずきんがぴくりと身じろぎしました。

「ああそうか、君、炎に包まれる前は神様に毎晩祈りを捧げていたんだってね」

「どうして、それを」

「私はこの世界のことを何でも知っている。それはもちろん、君たちのことも含めてだよ。赤ずきん君の祖母のことも、ベルデ君のお兄さんとお姉さんのことも、それから桃太郎君の兄弟のことだってね」

 魔女は小皿のクッキーを手に取りました。

「私は昔からずっと魔法の研究を続けていた。幼い頃の夢が叶って魔女になれたときは、そりゃもう嬉しくて、大喜びで研究に没頭したよ。何十年か経てば、魔法で私に敵う者はいなくなった。それでも私は研究を続け、次々に魔法を開発していった。ところが。あるときから、いくら研究を続けても成果が上がらなくなってしまった。限界だったんだ」

 クッキーが魔女の口の中に消えていきました。

「だから私は、まったく別のベクトルから魔法の研究をおこなうことにした。魔法だってこの世界の枠組みの中にある。だから、どうしたって出来ることは限られてくる。……それなら、この世界の枠組みそのものを書き換えてしまえばいいと思わないかい? 私は、この世界に直接干渉できる力を手に入れようとした。魔法の限界を突き破るため、世界を突き破ろうとした。つまり、神様になろうとしたんだよ」

「なれたの?」

 ベルデの問いに、魔女は首を振りました。

「なれたといえばなれたし、なれなかったといえばなれなかった。度重なる実験の結果、私は中途半端な存在になってしまったんだ。この世界のことなら何でも知っているし、この世界を書き換えることだってできるようになった。でも、私は神様じゃなかった」

 魔女は肩を落としました。

「私より高次の存在がいたんだ。そいつが本当の神様で、この世界を創り出したやつで、私もそいつが描いた世界に出てくる登場人物の一部に過ぎなかったんだ。わかるかい? 私は本物の神様によって、偽物の神様の役を押し付けられただけに過ぎなかった。この世界が紙の上あるいはインターネット上に綴られた一つの物語だとしたら、作者こそが本当の神様なんだ。私がいくら頑張っても、所詮は紛い物だったんだ」

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