エア・エクスプロージョン

 引き連れてきた軍勢は潰走し、鬼ヶ島は沈没しました。

 もはや鬼狼同盟には、もう最後の切り札しか残っていません。しかし、その切り札は魔女のお墨付き。油断はできません。

――与える祝福はそれぞれの状況に合わせて選んでるんだけど、彼に与えた能力は、たぶん全祝福の中でも最強だ。

 魔女の言葉が真実ならば、九割がた勝利に傾いたこの戦況でさえも一瞬でひっくり返されるかもしれないのです。

 そして今。

 モモタロウの力がベールを脱ぐときが来たのです。

「いいだろう……この能力は使いたくなかったが、仕方ない」

 モモタロウの全身から鬼気が立ち昇りました。完全に優位に立っていたはずの桃太郎が、思わず一歩下がって構えてしまうほどの圧力です。

「まずは褒めてやろう。これを使わざるをえなくなるまで俺を追い込んだのはお前が初めてだ。誇れ」

 モモタロウは腰の剣を抜き、天に向けて力強く伸ばしました。

「俺が魔女の祝福を今まで使わなかったのは、温存していたのもあるが……正直に言うと、使いたくなかったからだ。これはコントロールに気を遣う」

 モモタロウの剣先へと何かが集まっていきます。あれは一体なんでしょう。不可視のエネルギーのようなものが剣の先端周辺へと集まっていくのが、桃太郎にははっきりと感じ取れました。

 剣の先の空間が歪んでいきます。やがてその歪みは凝縮し、全天を覆い尽くすほどに巨大になりました。

「俺の能力は極めてシンプルだ。ただ――だけ」

 大気が蠕動しました。これから起こる破壊の予感に、意志持たぬ空間さえもが震えたのです。

「簡単に死んでくれるなよ?」

 集められていたのは、空間がゆがんで見えるほどぎゅうぎゅうに圧縮された空気の塊でした。

「空爆」

 桃太郎が咄嗟に丸まって耳を塞ぎ、防御姿勢をとった瞬間。剣が振り下ろされ、空気が爆散しました。

 圧縮された空気が一気に解放され、膨張して元に戻ろうとします。そのあまりに急激な体積変化は気圧の歪みを連鎖的に引き起こし、戦場にいたすべての兵士たちの鼓膜を破らんばかりに震わせました。

 轟音とともに周囲の空間に凄まじい暴風が吹き荒れ、半径数百メートルの木々が、モモタロウを爆心地として一斉に外側へと薙ぎ倒されます。

 桃太郎は吹き飛ばされて地面を転がります。至近距離で暴風を喰らい、全身の皮膚が裂けて出血していました。

 火炎をともなう爆発ではありません。自動車のタイヤがパンクするのと同じように、圧縮された空気が膨張しただけです。それが圧倒的質量の空気で、かつ圧倒的な速度でおこなわれた結果、恐ろしい規模での破壊を引き起こしたのです。

 煙が晴れた後、すっかり更地になった戦場には、いたるところに負傷者が転がっていました。衝撃による負傷――脳を揺らされ、その多くは立ち上がることもできません。

 しかし桃太郎は血を吐き捨てて立ち上がり、右腕を回して異常がないことを確かめます。

 爆発に備えるときは耳を塞いで口を開け、目を閉じる。耳を塞がなければまず間違いなく鼓膜をやられます。口を開けなければ体内で高まった空気圧により、目玉が飛び出してしまう恐れがあります。

 鉄則はときに命を救います。桃太郎は衝撃に全身を揺さぶられていましたが、この防御姿勢と体の前に翳した右手によってなんとか五体満足で立ち上がることができたのです。

「ほう、生きていたか」

 声は後ろから聞こえました。

 モモタロウは、吹き飛ばされた桃太郎の背後まで一瞬で移動していたのです。

 その異常なスピードの正体は、空気圧の減少です。モモタロウは、自分の移動経路の空気を予め高山のように薄くしておきました。それは空気抵抗の減少を意味します。達人どうしの闘いにおいては、空気抵抗の有無さえもが勝敗を分けるのです。

 元のスピードが同じなら、空気抵抗の少ないほうが早く動けるのが道理。桃太郎が腰を捻って突き出した拳を悠然と避けると、モモタロウは、左手をぶんと振りました。

「頑丈だな。それならもう一発やろう」

 今度はごく小規模……桃太郎だけを狙ってピンポイントで圧縮空気が膨張します。津波のように空気が押し寄せ、桃太郎は逆らわずに後ろへ倒れこみました。うまく受け流しています。

 しかし、これは殺傷を狙ったものではありませんでした。桃太郎の体勢を崩すのが狙いです。

 桃太郎が起き上がったとき、モモタロウの姿はもうありませんでした。

 またも後ろへ回り込んでいるのです。無防備な桃太郎の首筋へ、モモタロウの剣が伸びました。

「何だと?」

 次の瞬間。

 甲高い金属音を立てて、モモタロウの刃は受け止められています。桃太郎の右腕の義手が、その刃を掴み取っているのでした。

「お前が隠していた真の力は賞賛に値する。しかし、俺もあのときと同じだと思うなよ」

 ばきり、と桃太郎の腕が刃を掴み潰しました。

 モモタロウは一旦飛び退って距離をとります。

「今の一撃、本気で俺を仕留めようとしていたとは思えない。空気のコントロールに力を注いでいたから攻撃が疎かになったか? それとも、俺を舐めてかかっているのか?」

 桃太郎は右腕をぼきぼきと鳴らしました。

「空気を操って王様気取りか? あまりがっかりさせてくれるなよ、兄弟。空気ぐらい俺だって操れる」

 桃太郎は腕をぶんっと振りました。腕は風を起こし、モモタロウの服の裾を微かに揺らします。

 モモタロウは桃太郎の挑発をまるで意に介していないように、嬉しそうな笑みを浮かべました。事実、嬉しいのです。一度はその弱さに失望した桃太郎が、こうやって強敵として目の前に立ちはだかってくれるのが。

「べらべらとよく喋る……いいだろう、手加減が無用だというのなら本気でやらせてもらうまでだ。俺を楽しませてくれよ」

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ももたろう戦争 紫水街(旧:水尾) @elbaite

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