キャッチャー・イン・ザ・スカイ

「あれが鬼ヶ島なんですねっ」

 猿が桃太郎に話しかけます。

「ああ、俺も行ったことはないがな」

「私も未踏の地でござる」

 犬も感慨深げに呟きます。

 一行は、砂浜の上に立っていました。目の前に広がる広大な海……そして、その向こうにぼんやりと浮かび上がる、禍々しき鬼たちの根城。

「さて、如何にして行けばよいのでしょうか」

 犬もさすがにこの距離を泳ぐことは難しそうです。桃太郎が近くに船でもないかと首を巡らせた、そのとき。

 音もなく、大きな影が頭上より舞い降りました。その速度たるや、砂の大地に突き刺さるがごとし。直前でギリギリ反応し、首を捻った桃太郎の頬がすっぱりと裂けて鮮血が砂の上に飛び散ります。

「ぐっ!」

 影が桃太郎をかすめました。鋭い刃物ですっぱりと切られた頬……首を捻っていなければ、おそらくその傷は致命的な深さにまで達していたでしょう。

「桃太郎殿!?」

「桃太郎さんっ!」

 犬と猿が狼狽の声を上げ、慌てて戦闘準備に入ります。

 桃太郎はよろめきながらも義手を振って仕込みナイフを一閃しますが、羽を掠めるだけにとどまります。途中で切り取られた一枚の羽がひらりと砂浜に落ち、ぬらりと輝きました。その美しい深緑の光沢には見覚えがあります。

「雉だと……?」

 雉は美しい毛並みを持つ鳥。かなりの速度で走ることができますが、飛ぶことは苦手なはずです。人間にとって、最も狩りやすい鳥のうちの一種であると言われているほどですから。しかし、この鳥は……。

 その影は大きな翼の一振りでふたたび天高く舞い上がり、急降下。地面すれすれを這うように飛び、一直線に桃太郎を狙います。横転して躱す桃太郎。雉は外れたと知るや翼を打ち下ろし、再び天空へ。

 高速の垂直離着陸による連続奇襲……最初の接近を誰にも気付かせなかったことからも、只者、いや只鳥ではないことがわかります。

「何者だ!」

 襲い来る雉は太陽を背にしているために、逆光となってその姿を正確に捕捉することができません。桃太郎の誰何に答えることもなく、ただ執拗に桃太郎を狙い続けます。

「おのれ、桃太郎殿ばかり狙いおって……」

「ワタシの大事な桃太郎さんを……絶対に許せませんっ」

 狙われないがゆえに爪を交えることさえできない猿と犬は歯噛みして悔しがりつつ、頭上の影を睨みつけます。

 それにしても、なんと鮮やかな奇襲でしょう!

 ふとその姿が霞んだかと思うと、それは次の瞬間空気を切り裂いて飛びかかってきます。逆光でその姿を捉えにくいため、攻撃に移ったことを把握するまでにどうしても生まれてしまう一瞬の隙。それを利用して距離を詰めるその動きは、放たれた矢のように一直線です。

 しかし、桃太郎は不敵に微笑みました。

 グラサンの奥の目がキラリと光ります。

 そうです。いくら速くとも直線的な攻撃なら、桃太郎は犬との戦いで順応済みなのです。

 桃太郎が腰から抜いたナイフを鳥の軌道上に滑らせました。

 ナイフが雉の喉元を切り裂く直前、しかし、鳥は大きな翼を打ち下ろしました。強烈なダウンストリームが雉の体を押し上げ、ナイフを余裕で回避します。一振りのパワーが果てしなく大きいのです。

 鳥の体の大部分を占めるのは、人間でいうところの胸筋。羽を動かす筋肉が非常に発達しているのです。さらに骨は空洞でしなるようにできているため、強靭さと軽さを兼ね備えています。鳥は、その体のすべてが「空を駆ける」ことに特化した種族なのです。

 雉が翼を一度振り下ろすごとに、その速度は飛躍的に増し、さらには飛行軌道がほぼ直角近くまで折れ曲がります。まさに自由自在、天駆ける高機動兵です。それを細いナイフで捉えるのは至難の業だと言えるでしょう。

 それからまた数度の特攻。斜めに急降下してくるときもあれば、足元をくぐるように伸び上がってくることもあります。そのすべてが、正確に桃太郎の体を穿ち抜こうとしているかのようです。犬も猿も桃太郎を守ろうとはするものの、鳥の自由自在な飛行に手も足も出ません。

 しかし狙われている桃太郎は、かすかな違和感に気付いていました。

 桃太郎の命を狙っているわけではなさそうなのです。当たれば致命傷となる部分を狙っているわけではなく、それとは違うどこか……おそらく、目的は何か別にある。そう直感した桃太郎は次の攻撃をギリギリまで近づいて躱し、その狙いを見定めることにしました。

 雉の急降下、そして突撃。

 ナイフを構え、迫り来る雉の嘴と爪を注視する桃太郎。

 一瞬の攻防。

 桃太郎の腰を爪で切り裂き、雉は勝利の雄叫びをあげて舞い上がりました。その爪に握られているのは、桃太郎の巾着……そう、キビダンゴが入った袋です!

 雉の狙いは、どうやらキビダンゴだったのでした。

「これが狙いか。鬼ヶ島からの刺客だろうとそうでなかろうと、敵なら殺すまで」

 桃太郎は腰からベレッタを引き抜き、逃げ去ろうとする雉に向けて連射しました。キビダンゴの袋を奪い取られた際についた傷は薄皮一枚に抑えています。桃太郎の度胸と動体視力がなせる業です。

 六発入りの弾倉が一瞬にして撃ち尽くされ、その一発が片方の翼を撃ち抜きます。予想外の連射を、さすがの雉も避けきれなかったのです。

 雉は一声鳴いて明後日の方向へ逃げ出しました。

「追うぞ」

 雉の飛んだ軌跡は、地面に落ちた血と羽からはっきりとわかります。点々と地面につく染みを辿って、桃太郎たちは海岸線を辿り、近くの山へと分け入っていきました。

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