ピッグ・ブラザーズ

「お母さん、これからどうしよう」

「そうね」

 母ヤギはしばし考え込みました。

 群れで行動する狼は、極めて残忍で狡猾です。三匹の死骸をどう処理しても――たとえ燃やして地面に埋めたとしても――鼻が利く狼たちに見つかるのは時間の問題でしょう。そして見つかってしまえば、報復は確実です。

「少なくとも、ここにはいられないわ。ここにいたら、きっと狼たちの仲間が来てしまう。狼は執念深いから、きっと報復されてしまうわ。お母さんは強いけど、大量の狼が群れで襲ってきたら、あなたを守りきれるとは限らない」

「僕……僕も戦うよ。戦えるよ」

 ベルデは言い張りました。三匹の狼を殺したのは、他ならぬベルデです。彼が兄と姉たちの死体を操り、狼たちを返り討ちにしたのです。

「ありがとう。でもね」

 母ヤギはベルデを抱きしめ、説いて聞かせます。

「お母さんは、あなたに戦ってほしくないのよ。あなたが手に入れた魔女の祝福は、死んだ者を思い通りに動かす術。死者の尊厳を踏みつける、本来なら決してあってはならない術なのよ。……死霊魔術師ネクロマンサーはね、強いけれど危ういの」

「でも……お兄ちゃんたちもきっと、狼に勝ちたい、やり返したいって思ってたはずだよ。僕はその手助けをしただけなんだよ」

 ああ、幼いベルデ。彼は、死霊魔術師ネクロマンサーとしての器が成熟する前に力を手に入れてしまったのです。母ヤギは祈りました。いつかこの子が大きすぎる力によって身を滅ぼすことのないように、と。そして決意しました。そうならないよう教え諭し、正しい道へと導くのは、母である自分の役目であると。

「いいこと、その力はどうしても必要なときにしか使ってはいけないよ」

「……はあい」

 まだ納得はしていないようでしたが、ベルデはしぶしぶ頷きました。

「豚のおじさんたちのところに行きましょう。きっと助けてくれるわ」

 たちまち、ベルデの顔が輝きます。

「豚のおじさん! 僕、もう名前覚えてるよ。ウーヌスおじさん、ドゥオおじさん、それからトレースおじさんだね」

「まあ! よく言えたわねえ」

「えへへ」

「そうよ。三匹のおじさんのところに行きましょう。あの人たちならきっと助けてくれるわ」



 深い森には一本の道が通っています。道から少しだけ外れて森の奥に分け入れば、花畑や熟練の猟師の小屋、綺麗な水を湛えた湖などがあります。道の周辺は、比較的安全です。

 先日不審火によって焼失した小屋からは、そこに住んでいた猟師の白骨死体が発見されました。小屋からは、生前の猟師が愛用していたマスケット銃が消えていました。同時期に行方不明になった孫娘の死体はどこにも見当たらず、人々は「狼に食われたのだ」「魔女に攫われたのだ」と気味悪そうに噂するのでした。

 人間が通した道は、森の表層付近をくぐり抜けるだけ。鬱蒼と茂った中心部は狼の縄張りで、そのさらに奥は魔女の住処です。森の中では何が起こるかわからない――老人たちは、今日も孫に語って聞かせます。道を外れてはいけないよ、と。森の怖さを知らなければ、この地で生きていくことはできないのです。

 とはいえ道から外れなければ、森に呑まれることはありません。

 道に従って森を抜けると、一面の野原が広がっています。

 野原の先はなだらかな丘陵地帯。草原のところどころに潅木の茂みがあり、抜けるように青い空との対比は、まるでWindowsの壁紙のようです。ずっと向こうまで続いているその丘の向こう側には、これまたどこまでも続く海が広がっています。

 さて、この丘陵地帯には三匹の豚が住んでいました。

 名前をウーヌス、ドゥオ、トレースといい、仲の良い兄弟でしたが、性格はまったく違っていました。

 一番上のウーヌスは、管理栄養士でした。木の枝を組んで、隙間には干し草を詰め込み、そこに住み始めました。住んでみると案外快適でしたし、何より手を伸ばせば干し草が食べられるのは幸せな環境でした。

 二番目のドゥオは一級建築士でした。木を削り、丸太を組み、快適なログハウスを建てました。床下の間接照明によってシックなお部屋を演出する、まさに匠の技です。

 三番目のトレースは学者でした。彼は真面目だったので、研究の合間に泥をこねて焼き、煉瓦を作って組み上げ、漆喰で固めました。出来上がった煉瓦の家は、三匹の中で一番頑丈でした。

 さて、ある日のことです。

「ごめんください」

 家の中でゴロゴロしていたウーヌスの耳に、何やら声が聞こえました。

 誰かが家の前に立っているようです。

「はーい」

 起き上がって家の外に出たウーヌスは、目を疑いました。

 燃えています。赤い頭巾を被り、肩にマスケット銃を担いだ人間の少女が、目の前で轟々と燃え盛っています。

「うっ、うわああ!」

 ウーヌスは家の中に駆け込み、水を溜めていたバケツを抱え上げ、戻って少女にぶちまけました。ぼしゅっ、と急激に熱せられた水蒸気が膨張し、周囲が白い煙に覆われます。

「だだだ大丈夫!?」

 白い煙の中から、困ったような声が聞こえました。

「あー、いや、すまない。私は何ともないんだ。最初に言っておけばよかったな」

 煙を払って姿を現した少女は落ち着いて燃えながら答えます。

「ほ、本当に……? すごく燃えてるけど、痛くないのかい?」

「ああ、問題ない」

 少女は頷きました。

「いくつか聞きたいことがあってここに来た。答えていただければありがたい」

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