マジック・バレット

 狼と対峙したおばあさんは、素早く毛布を撥ねのけます。右手に握るは隠し持っていた護身用リボルバー、小型とはいえ至近距離の戦闘なら威力は十分です! 

「舐めんじゃないよ!」

 孫娘を守るべく、弾けるような音とともに灼熱の弾丸が複数個吐き出されました。

 狼は咄嗟に身を屈めます。頭上を通り過ぎた弾丸は、狼の体毛を数本削り取っていきました。回避が数瞬遅れていれば、狼の脳天には風穴が空いていたでしょう。

「ババア!」

 さらに撃ち込まれる弾丸を躱して横に転がります。火薬の爆発によってライフリングに生成される超高圧空間から押し出される弾丸の速度は、音速の比ではありません。第三、第四の弾丸が狼の頬を掠めて飛び去りました。第五の弾丸を躱しきれず、狼の二の腕の皮膚が削り取られて血が飛び散ります。圧倒的です。

「ぐっ!」

 飛び退いた狼は、すんでのところで上体を仰け反らせました。六発目の弾丸が、さっきまで頭があった空間を穿っていきました。

 二秒足らずで六発の弾丸を撃ち尽くしたおばあさんは、流れるような動作で再装填。次の瞬間には、音を立てて回転するシリンダーに新たな弾丸が六発完全にセットされていました。なんという早業でしょう!

 もちろんその間、狼は手をこまねいて見ていたわけではありません。二足歩行では勝てないと悟った狼は四本の足で床を掴み、極限まで撓められた筋肉を一気に解放して跳びました。本来の四足歩行形態へと戻った狼の危険度は、今までの比ではありません。

 床から天井、天井から壁。四本足の猛獣が、隙あらば喉を噛み千切ろうと牙を剥き出しにして跳ね回り、おばあさんの死角に潜り込もうとします。狼の脚力の前では、重力などあってないようなものです。

 それに対して滑らかなまでの動きで放たれた最初の弾丸は、狼の体毛を焦がして背後へと抜け、壊滅した食器棚にとどめの一撃を加えました。食器棚が倒壊してガラスの割れる音は、さらなる銃声によってかき消されます。

 おばあさんの射撃は正確無比でした。跳ね回る狼の数秒先の軌跡が見えているかのように、着実に追い詰めていきます。

 それは長年の戦闘経験が生み出す『先読み』の技術。野生との戦いにおいて、相手の動きを見てから反応していては遅れをとってしまいます。相手の目線から、動きから、筋肉のわずかな膨張から、次の動きを予測。熟達した予測は、もはや未来そのものを映し出すのです。

 人呼んで『魔弾の射手デア・フライシュッツ』。それが凄腕の猟師であるおばあさんの通り名でした。

 二発目、三発目、四発目と正確になっていく照準に、狼も迂闊には近づけないどころか、逆に距離を取らざるをえなくなりました。

 灼熱感に次ぐ灼熱感、間を置かず至近距離から襲い来る無慈悲な銃弾の連撃。

 狼は大きく飛び退き、息を吐きます。

「……すげえな、あんた」

 おばあさんの早業に、さしもの狼も瞠目しました。野生の狼の俊敏さを以てしても、この老女が放つ弾丸を躱して近づくことができないのです。

「どうした? もう終わりかい?」

 余裕の笑みを浮かべるおばあさんに、狼はただ戦慄します。

「あたしの弾が切れるのが先か、あんたの牙があたしに届くのが先か。勝負は始まったばかりじゃないか、ほれ、どっからでもかかってきな」

 おばあさんは手招き代わりに弾丸を二発、狼の足元にぶち込みました。そして素早く再装填。リボルバーの回転式の弾倉には、一度に六発しか入らないのです。

(クソッタレ……再装填の隙もありゃしねえ、化け物ババアめ)

 狼は薄く笑いました。

(だがな……あんたには致命的な弱点があるんだぜ)

「ふーむ……あんたと戦ってたらあの娘を喰い逃しちまう。ってことで、悪いが勝負はお預けだ。じゃあな」

 狼は近くの窓から外へと飛び出しました。

「……待ちな!」

 さしものおばあさんも焦って窓から身を乗り出し、走り去る狼を撃とうとしました。それが間違いでした。

 狼は赤ずきんを狙いに行くと見せかけて、窓の下にその身を潜めていたのです。

 おばあさんが見せた唯一の隙を、狼は逃しませんでした。鋭い爪が伸び上がり、狙い違わずおばあさんの喉を掻き切りました。

「ごぶっ!」

 大量の血塊を吐き出すおばあさん。狼はその頭を思いきり蹴り上げます。窓から身を乗り出していたおばあさんは、のけぞって室内へと倒れ込みました。

 扉をくぐって悠々と狼が姿を現します。

「おうやおやおや、おばあさん、ひどい怪我だねえ。一体どうしたんだい」

「あ……は」

 おばあさんは掠れた声で何事かつぶやきました。切り裂かれた喉からの弱々しい発声。地獄の痛みが伴っているはずなのに、それでも言うのです。繰り返し、繰り返し。

「……きん……は」

「え? 何だって? 聞こえないよ、もっと大きな声で言ってくれなきゃあ」

「赤……ずきん……だけは」

「ああ、そうだな。かわいいかわいい孫娘だもんなあ? だが……」

 狼はおばあさんの耳元でそっと嘲笑うように囁きました。

「やなこった」

 ひとしきり哄笑すると、おばあさんの心臓に爪を突き立てます。

 おばあさんはわずかに目を見開き、そしてぐったりとなりました。心臓から血が噴き出して、ベッドのシーツにまだら模様を染め付けました。

 ああ、哀れはおばあさん。狼の奸智に殺されてしまったのです。これで狼は何にも邪魔されず、赤ずきんを貪り食うことができるでしょう。

「さて、赤ずきんが来るのを待つかね」

 狼はニヤリと笑い、ベッドに腰掛けました。

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