バイナリ・コード
「自分自身を2進数の配列に置き換えること?」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士は頷きました。
「その通り。コンピュータ上にあるすべてのデータは2進数、つまり0と1で表してある。コンピュータに電流が流れている状態を1、流れていない状態を0としてその切り替えでありとあらゆる計算をおこなっているわけだな」
桃太郎は頷きます。
「すべてのデータは2進数で表せる。例えば10進数の9は、2進数では1001となる。アルファベットは26文字だから、aを0000としてbは0001、cは0010……というように決めていけば英文だって0と1で表せる。もっと文字が多い言語だって原理は同じだ。それだけでなく、0を白、1を黒とすれば0と1の行列はドット絵になるし、それを発展させて色を増やせばカラー写真だって0と1の塊だ。無論、膨大なデータ量になるがね。ここまでは理解できたかな」
桃太郎は再度頷きます。
「本来、生きた一人の人間のすべてを2進数なんかで表そうとすれば、0と1がほぼ無限に続くことになる。どんなコンピュータだって、0と1から人間を再現することなんてできやしない。じゃあ、それにもかかわらず、もし私自身を二進数で表せてしまったら?」
「……生きた人間ではない、ということ」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士は首肯しました。
「そう。それは私が、人間と呼ぶにはあまりに小さなデータの塊であるということの証左に他ならないのだ。それによって示される事実は、私は今ここに実際に存在しているのだという認識を粉々に打ち砕く。0と1で表せてしまうということはつまり、コンピュータ上に構成された虚構の世界に生きていることに他ならないからだ。真実を知ることに怯え、今まで試そうともしてこなかったが……」
「それを俺に試してはくれないか」
「正気か?」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士は桃太郎を見つめます。
「自分のすべてが虚構だとわかってしまうかもしれんのだぞ」
「たとえ俺が虚構だとしても、俺の意志が有限の0と1の数列で表せるようにちっぽけなものだったとしても、それは俺が歩みを止めていい理由にはならない。この世界が虚構のものだったとしても、このまま苦しむ人々を放っておく理由にはならない。頼む」
桃太郎は、頭を下げました。
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士はしばらく黙りこんだあと、顔を上げます。
「いいだろう。君の覚悟を受け取った」
「では」
「うむ。こちらに来なさい」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士は桃太郎をひんやりとした地下室へと案内しました。そこには巨大なコンピュータが設置してありました。先程感じた涼しさは、冷却用のファンによる冷房だったのです。
「スーパーコンピュータ『京』だ。二位じゃダメなんです」
「何の話ですか」
「いや、何でもない。いいか、仮に君が実在していれば、データ量が大きすぎるため変換はできない。エラーが出て、一瞬で終わるだろう。だが、もしも君が虚構の存在であれば……」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士は『京』を指し示します。
「君は0と1から成る数列に変換され、この『京』の中に入力される」
桃太郎は深呼吸しました。
もしも彼が『京』の中に入れてしまったら。それは、今まで生きてきたこの世界がすべて虚構であったということなのです。もしも入れなかったら。それは、魔女に対抗する手段が完全になくなってしまったということなのです。
どちらに転んでも苦しい道が待っています。
「覚悟はいいかね?」
「ああ……やってくれ」
ガウス・フィボナッチ・デカルト・フェルマー・ピタゴラス・ニュートン・パスカル・オイラー・ライプニッツ博士はモニターに向かい、キーボードで何かを入力しました。そしてEnterキーを叩きます。
その光景を最後に、桃太郎の目には何も映らなくなりました。
0
1
10
11
100
101
110
111
1000
1001
1010
1011
1100
1101
1110
1111
10000
1111
1110
1101
1100
1011
1010
1001
1000
111
110
101
100
11
10
1
0
(ここは……?)
ふと気がつくと、桃太郎は真っ白な空間の中を漂っていました。手も足もありませんでした。あるのは複雑に絡み合った0と1の配列のみ。それが自分を構成するすべてでした。
(成功したのか。ということは、俺もやはり虚構の存在であったのだ)
桃太郎は落胆を憶えましたが、すぐに思い直します。虚構世界であれば、改変の余地があります。あの魔女に打ち勝つ可能性は残されているのです。
桃太郎は、強くイメージしました。これまで自分が生きていた世界を。生まれ、育って、戦い抜いてきた世界を。
次の瞬間、桃太郎の前に不思議な数列が姿を現しました。
(カ、ク、ヨ、ム……?)
インターネット上の小説投稿サイト。その中に溢れる膨大な小説の中の、たった一つ。「ももたろう戦争」と書かれたファイル。それが、桃太郎が今まで生きてきた世界でした。その、たかが数百キロバイトのファイルの中に、世界が入っていたのです。
魔女の言った言葉が、頭の中に蘇りました。今の桃太郎に頭という概念はありませんが、数列の中で桃太郎の思考を司る部位が明滅しているのです。
――私より高次の存在がいたんだ。そいつが本当の神様で、この世界を創り出したやつで、私もそいつが描いた世界に出てくる登場人物の一部に過ぎなかったんだ。わかるかい? 私は本物の神様によって、偽物の神様の役を押し付けられただけに過ぎなかった。この世界が紙の上あるいはインターネット上に綴られた一つの物語だとしたら、作者こそが本当の神様なんだ。私がいくら頑張っても、所詮は紛い物だったんだ――
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