サムライドッグ・ファイト
桃太郎は村を出て、歩き続けました。
鬼ヶ島までは陸路で四日、海路で一日ほど。長い旅にはならずとも、道中は危険で満ちています。近頃の動物たちの中には、鬼と人間の戦いを見かけると、どちらかに加勢して報酬を貰うという、いわば傭兵のような者たちまでいるらしいのです。油断はなりません。
人気のない峠道を歩いていたときのことでした。
「もし、そこを行く御仁」
すぐ近くの茂みから、何かの呼ぶ声がしました。
桃太郎は表情こそ変えなかったものの、内心かなり驚愕していました。周囲の気配を探りつつ歩いていた桃太郎に、その存在をまったく悟らせない。それだけで相手のレベルが窺い知れるというものです。
「何だ」
相手は桃太郎の前に立ちはだかり、そして頭を下げました。
犬、それもふさふさとした毛並みの柴犬です。
「失礼、私めはサムライドッグと申す者。貴殿の身のこなし、そして腰に下げた獲物から漂う血臭。相当の使い手であるとお見受けしたが、如何」
犬の不気味なまでの丁寧さに、桃太郎は警戒心を隠そうともしません。サングラスの奥の目が犬の全身を隈無く見渡し、攻撃の予兆となる筋肉の動きを見逃すまいとしています。
「それが何か」
「手合わせを願いたい」
桃太郎は、じり、と一歩退いて腰のナイフに手を添えました。
「鬼ヶ島からの刺客か?」
「刺客?」
犬は呵々大笑しました。
「はっはっは、その様な大層なものでは御座らぬ」
犬は敵意のないことを示すように両手をひょいと上げてみせました。そのまま後ろ足二本で平然と立っています。やはり只者……いや、只犬ではありません。
「私は飢えておるのです。血湧き肉躍る闘いに」
「闘いに?」
「左様。闘いの中にのみ、私は己を見出すことができる。互いの存在が激しく瞬く様な強者との闘いこそ、我が至高の喜びに他なりませぬ」
犬は体をぶるりと震わせます。
身の内より沸き立つ興奮を抑えきれない、といった様子です。
「近頃は真の強者と呼べる者が少なくなり申した」
犬は遠い目をして、がりがりと地面を引っ掻きました。
「行けども行けども軟弱な者どもばかり。鬼どもは、まあ、そこそこ楽しませてくれたものの、それでも弱い。弱すぎて話にならぬ。……のう、久々に骨のありそうな相手と出会えたのだ。もう我慢ができぬ。どうか私と手合わせを」
「いいだろう」
桃太郎は承諾しました。
鬼を弱いと断言する様子からも、かなりの実力者であることが窺えます。戦えば、負傷は避けられないでしょう。
ですが、鬼ヶ島に辿り着く前に傷を負ってしまうリスクを恐れるような軟弱な心で、どうして鬼退治などができるでしょうか。
桃太郎は拳を握りしめました。己の強さを推し量るいい機会です。
「手合わせ願おう。ただし条件がある」
犬は喜びのあまりぶんぶんと尻尾を振りました。
「何なりと」
「俺が勝ったら、犬よ、お前は俺に着いてきてもらおう。これから鬼ヶ島へ鬼退治に行くところだったんでな」
「ほう、鬼ヶ島。かねてより行ってみたいと思うていた土地だ、是非もない」
犬は大きく頷き、低く構えました。
「さあ始めよう。貴殿の練り上げてきた技術、その腰に差した獲物、その他持てるすべてを使ってもらって構わぬ。……私を愉しませてくれ」
最後の呟きを後方に落とすようにして、犬は急加速しました。さながら雷光のような軌道を描き、桃太郎の首筋へと飛びかかります。
辛うじて仰け反る桃太郎。数瞬前まで桃太郎の喉笛があった空間を、ガチンと噛み合う音を響かせ、牙が切り裂いていきました。桃太郎は仰け反る勢いを利用して地面に手を着き、身体のバネを効かせて咄嗟に足を跳ね上げます。犬の腹を蹴り飛ばすと、そのまま一回転して体勢を立て直しました。
しかし不安定な体勢からの蹴りは威力が低かったようです。蹴り飛ばされた犬は空中で体を捻って木の幹へと着地、そして間髪入れず第二撃に移ります。幹を蹴って飛び出す犬の常識外れの脚力に、大木の幹はぼこりと凹んで木屑が弾け飛びました。
自身を弾丸と化して桃太郎へと撃ち込む犬の軌道は、もはや視認さえままなりません。桃太郎は身体を横に流しつつ、犬の軌道上へと右腕を大きく振りかざしました。シャキン、と音を立ててナイフが飛び出します。
「何っ!」
閑散とした山奥に、甲高い金属音が響きわたりました。
犬は眼前に現れたナイフを、辛うじて爪で弾きとばしていました。なんという硬度を誇る爪なのでしょう。それはおばあさんが現役の頃から使っていたナイフと同等か、それ以上の硬さを持っているのです!
犬は地面を抉って着地し、桃太郎に向き直りました。
睨み合う犬と桃太郎。両者動きません。この短い攻防で、それぞれの力量を察知したのです。
「良い!」
やがて、犬が歯を剥き出して嗤い始めました。
「そちらの腕は義肢であったか……良い、良いぞ! 死線に身を置くこの感覚! これだから闘いはやめられぬ……のう、貴殿もそうであろう」
桃太郎は腰からベレッタを抜き放ちました。
それは覚悟の形。仕込みナイフという手の内も曝け出した今、自分の持てる全てで挑むという意思表示です。
「黙ってかかってこい」
犬はやや頭を垂れました。
「失礼。戦場に言葉は無用であったか。だが……」
地面を蹴り砕き、犬は突進します。桃太郎が放った三発の銃撃を体にかすらせもせず、頭上に躍り上がると爪を振り下ろしました。
桃太郎のナイフと爪が噛み合い、両者は至近距離で視線を交わします。
「先の攻防のみで私の実力を推し量れたなどとは、
犬は不敵に嗤いました。
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