シックス・スケープゴーツ

 お母さんのふりをして家の中に入ろうとしていた狼たちは、どこかに行ってしまったようでした。

「声、聞こえなくなったね」

 ベルツが言いました。

「いなくなったんじゃない?」

 スリが答えます。

「よかったねえ」

 オリがほっとしたような顔をしました。

「それはどうかな?」

 後ろから聞こえた声に、オリはぎょっとして振り向きます。

 なんということでしょう!

 そこにいたのは、煤と欲に塗れた三匹の狼でした。煙突の中を滑り降りて、家の中に侵入してきたのです!

「きゃーーーっ!」

 オリは悲鳴を上げました。

 冬ならば、暖炉には火が入っていました。上から入ってくることなどできなかったでしょう。ああ、しかし、今は寒い季節ではありませんでした。暖炉には火が入っておらず、しばらく掃除もされておらず、それゆえに誰もが見逃してしまっていたのです。ここから家の中へ入ってこられるということを。

 驚きと恐怖で誰もが立ちすくむ中、動いたのは長男のゴリでした。

「みんな逃げろーーっ!」

 大事な弟と妹を守るように立ち塞がります。

「ほう、いい度胸だな」

 感心したような口調の狼。

「お前は俺が相手をしてやろう」

 その隙に動いたのは、長女のウルディンでした。固まってしまって動けないモレとスリを抱いて、真っ先に外へと駆け出していきます。

 オリとベルツはわずかに遅れて、怖くて動けないベルデを引きずるようにして扉へ向かいましたが……。

「逃がすかよ」

 しかし、その行く手をもう一匹の狼が遮ってしまいました。

 三匹の狼のうち一匹はゴリと向かい合い、もう一匹はウルディンたちを追いかけて外へ。そしてもう一匹はオリ、ベルツ、ベルデの三匹の前で舌舐めずりしています。絶体絶命です。

「さて、誰から食ってやろうか」

 三匹とも、あまりの恐怖にがたがた震えるばかりでした。

 ゴリはあっという間に狼に組み敷かれ、首を踏みつけられて身動きがとれなくなっていました。長男といっても、まだ子ヤギ。若いとはいえ大人の狼に、一対一で敵うはずもありませんでした。

「やめろっ、そいつらには手を出すな!」

 それでもゴリは叫びます。無駄と分かっていても叫ばずにはいられないのです。

「そんなことを言われてもなあ」

 狼はニヤリと笑うと、足にぐっと力を入れました。

 パキリ。

 頸骨を踏み砕かれ、ゴリは白目を剥いて息絶えました。

「お兄ちゃん!」

 ベルデを守るように抱きしめていたオリが、それを見て甲高い悲鳴を上げました。

「やかましいぞ」

 狼の爪がオリの心臓を貫きました。

 ベルツとベルデの顔に生あたたかい鮮血が飛び散ります。

「ひっ……」

 目の前で姉が息絶えるのを見たベルツは、涙を流しながら、それでもベルデに覆いかぶさりました。まだ小さな末っ子を、この子だけでも、と守ろうとしました。

「健気だねえ」

 狼は笑って、ベルツの喉に爪を突き立てます。

 ベルツの全身から力が抜けていきました。ベルツも息絶えました。

 あまりにも、あまりにもあっさりと殺されていく兄と姉。自分を守ろうとして命を奪われた兄と姉。ベルデはその重さを感じていました。自分の上に覆い被さっていた兄と姉の身体が力を失っていくのを、その肉体が命を失って「もの」へと変わっていくのを、全身で感じていました。

 ベルデの目から涙が溢れ出しました。堪えきれない嗚咽が喉から漏れました。

「さーてと」

 そのとき、開いたままの扉から、風に乗って声が流れてきました。

「助けて……お願い……」

 ウルディンの声でした。そのあと、何かが空を切る音が聞こえました。

「ぎゃあっ」モレの悲鳴。

「やめて! やめて! お願い!」

「ぐぎゃっ」スリの断末魔。

「ああ……そんな……」

 ひゅっという音。何かがどさりと地に落ちた音。

 そして、何も聞こえなくなりました。

「うう……ううう……」

 ベルデは嗚咽を噛み殺します。もうおしまいです。殺されて、食べられてしまうのです。あの優しかった兄や姉たちのように。

 そのときベルデの中で、何かが切れました。

 どうせ殺されるのだったら。どうせ食べられてしまうのだったら。

「うっ……うう……」

 ベルデは泣きながら、兄と姉の死体を押しのけて立ち上がります。

 兄たちと姉たちの敵討ちを。たとえできなくても、狼の身体に傷をつけることだけでも。それさえできなくても、このままおとなしく食べられることだけはしない。

 ベルデの目に闘志が宿ります。

「おっ、反撃か? いいぞお坊ちゃん、やってみろよ」

 狼たちはか弱い子ヤギを侮っていました。他の六匹と同様に、抵抗してもすぐに殺せると思っていたのです。事実、その通りでした。子ヤギのベルデは末っ子で、小さくて、弱くて……誰よりも、兄や姉たちが大好きでした。

 狼たちが見誤っていたのは、子ヤギがその胸に抱く想いの強さでした。目の前で愛する者たちを無惨にも傷つけられ、奪われた悔しさ。愛する者たちを永遠に喪った哀しみ。ベルデを打ちのめす運命に対しての、途方もない怒り。すべてが混ざり合い、彼を傷つけ、打ちのめし……そして、立ち上がらせました。

「ほれほれ、かかってこいったら」

「殴ってみるか? 蹴ってみるか?」

 狼たちの挑発に、ベルデの激情はついに頂点に達します。

「黙れ」

 ぞわり。

 全身に怒りを宿した幼い子ヤギから、凄まじい鬼気が放出されました。

「お前たちだけは……許さない!」

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