ブレス・オブ・ウィッチ

「お前たちだけは……許さない!」

 何をすべきか、ベルデは知っていました。今の今まで知らなかった知識が、呪文が、まるで天から舞い降りてきたかのようにベルデの頭の中に浮かび上がりました。

「深き冥界より戻り来たりて今我の名の元に集うべし」

 ベルデは何事か、口の中で呟き始めました。

「血は我が契約、肉は我が誓い。暫し躰を与えよう。暫しの刻を与えよう」

 低い声で呟いているそれは、呪文。それ自体が強い力を持つ言葉たちです。言葉には魂が宿っていて、強い思いを込めた言葉は現実となる――古来より、人はそれを言霊と呼び表しました。

「ゴリ、ウルディン、オリ、ベルツ、スリ、モレ」

 ベルデは、死んだ兄と姉たちの名前を呼びました。名前にも力が宿っていると言われており、真の名を知ればその相手を従わせることができるという伝承は世界中に存在しています。

「蘇れ我が血を分けた兄弟たちよ」

 ベルデは声高らかに叫びました。

「今一度現世の地を踏み、仮初の身を朱に染め、汝の敵を喰らい尽くせ」

 その叫びに呼応するように、不気味な唸り声が鳴り響きました。この世のものとは思えないほど悍ましい響きです。

「GRUUUUUUU」

 さすがの狼たちもいささかたじろぎ、不安げに顔を見合わせます。

「こいつ……何をしてやがる」

「殺せ! 早く!」

 狼の一人がベルデに飛びかかろうとしましたが、その寸前でぎょっとしたように振り向きました。音が聞こえたのです。それは、子ヤギたちの身体がみしみしと軋む音でした。

 子ヤギの死骸が、動いています。

「GUORUUUAAA」

 それも六匹全部が。確かに命を奪ったはずの子ヤギたちが、息絶えたはずの喉から禍々しい唸り声を発し、足を動かし、立ち上がろうとしています。

「何を……何をしやがった!」

 死した者が蘇る、あり得べからざる光景。狼たちはただ呆然としてそれを眺めていました。

 やがて血塗れの六匹は、虚ろな目を狼たちに向けました。

「ひっ……」

 狼から悲鳴が漏れました。

 六匹の子ヤギは深い虚無を湛えた眼窩から血を流し、彼らへとにじり寄ります。

 ヤギの死骸など見慣れているはずでした。肉食の狼は、獲物を殺すことで命を繋いでいます。目の前で蠢く死骸も、彼らにとっては食料に過ぎない……そのはずでした。しかし、そんな彼らが今、恐れ慄いていました。足が震えるのを感じていました。一刻も早くこの場から逃げたしたいとさえ思いました。

 本来なら、存在してはいけないはずのもの……身の毛もよだつほどの強烈な、そう、違和感とでも呼ぶべきものがその眼窩から溢れ出していました。

「自らが噛み裂いた者どもに噛み裂かれるがいい。お前たちに安らかな死など与えられぬものと思え」

 ベルデは冷徹に言い放ちました。

「GUOOAAAAA!!!」

 ヤギたちは裂けそうなほど大きく口を開き、狼たちへと襲いかかりました。



 数時間後。

 湖のほとりの一画は、血に染まっていました。

 狼に嬲られ、殺された六匹の子ヤギが地面の上に並べられていました。その横に佇むのは、最後に残った子ヤギのベルデ。そして、買い物から帰ってきてその惨状を目の当たりにした、母ヤギでした。

 少し離れた場所には、全身至る所に咬み傷を負い、絶命した三匹の狼の死骸が転がっていました。

「お前だけでも……お前だけでも、無事でよかったわ」

 母ヤギは、ベルデを抱きしめました。

「母さん、僕は……」

 ベルデは、言い淀みました。

「なんだい?」

「僕は、どうなっちゃったの?」

 母ヤギは、悩ましい顔でベルデを見つめます。

「あなたはね……を受けたのよ」

「祝福?」

「そう」

 母ヤギは、森の中で語り継がれてきた伝説を、最愛の息子に語って聞かせました。

「森の奥深くには魔女が住んでいると言われているわ。魔女はいつもこの世界のすべてを不思議な水晶球で覗いていて……深い絶望と激しい怒りを同時に味わった者を見つけたら、力を与えるの。それは全身を覆う炎であったり、指先から迸る雷であったり。まるで悪魔の呪いのような、あるいは神のご加護のような――それが『魔女の祝福』。あなたが受けたのは、それよ」

「僕……僕、兄さんと姉さんの死体を動かしたんだ。自分の思い通りに動かしたんだ」

 ベルデは震えが止まりませんでした。

「怖い。母さん、僕は怖い」

 何が怖いのか、ベルデにはまだ言葉にすることができませんでした。体の震えは、母ヤギに抱きしめてもらっても止まることはありませんでした。



 ちょうどその頃、群れから失踪した三匹の狼の安否を確認するため、新たな狼が湖畔へと向かっていました。

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