デンジャラス・パーリナイ

「近う寄れ」

 大広間に、凛とした声が響き渡りました。

 桃太郎は傷を庇いながらゆっくりと歩を進めます。やがて近づいてきた玉座は金、銀、珊瑚に彩られ、夜光虫の放つ光と相まってなんとも幻想的な雰囲気でした。そしてその中央に腰掛ける乙姫は、玉座でさえ霞んでしまうほどの美しさです。絢爛豪華な衣装を身に纏い、玉髄のように白い肌と血のように紅い唇が、まるで冬の朝の空気のようにぴんと張り詰めていました。

「あなたが乙姫か」

「いかにも」

 桃太郎は膝を折り、頭を垂れました。

「俺は桃太郎という。この度は命を助けていただき、感謝のしようもない」

「礼はよい。深海で行き倒れる者など生まれて初めてだったからの、物珍しかっただけじゃ」

 乙姫は口元を隠して上品に微笑んだ。

「傷はもうよいのかえ」

「立って歩けるぐらいには。……俺はどのくらい眠っていた?」

「一週間」

 桃太郎は、ぐらりと体が傾ぐのを感じました。

「道理で……」

 ぐっと踏み止まりますが、腹のほうは抑え切れませんでした。ぐるるる、と大音量で腹が鳴りました。なにしろ一週間ずっと眠っていたのです。ミネラルたっぷりの海洋深層水を点滴されていたので生きながらえていただけであって、現在桃太郎は深刻なカロリー欠乏に陥っていました。

「……すまないが、何か食べるものを持っていないか」

「うむ、今まさに用意させておる途中じゃ。もう少し待つがよい」

 ちょうどそのとき、大広間の扉が開き、手にお盆を持った魚たちがぞろぞろと入ってきました。先頭にいるのは、さっき桃太郎を案内した鯛です。

「乙姫様、宴の用意ができました」

「客人は空腹のようだ。すぐに始めよ!」

「かしこまりました」

 鯛が鰭をパンッと鳴らしました。

 たちまち、色とりどりの海藻を身に纏った踊り子、いや、踊り魚たちが大広間の中に入ってきました。海藻の衣装はとても際どく、大事な部分をわずかに隠すのみで他は剥き出しだったのですが、桃太郎はさすがに興奮しませんでした。

「これより、竜宮城に代々伝わる踊りをお見せしましょう。MUSIC START!!!」

 カッ、カッ、カッ、カッ。

 打ち合わされるドラムスティック。そして、大広間に溢れ出す音の爆弾。

 最大限に歪んだエレキギターの音色が鼓膜を揺らし、キーボードが思わず口ずさんでしまいそうなほど軽快なメロディを奏でます。それは、どこかで聞き覚えのある曲のロックアレンジでした。

 踊り魚たちがバンドの前に並び、一糸纏わぬ……ではなく一糸乱れぬ踊りを披露します。序盤から激しいダンスに目を奪われていると、舞台袖からさっきの鯛がマイクを鰭に颯爽と登場し、歌い始めました。


 ♫ 毎日 毎日 僕らは鉄板の

   上で焼かれて 嫌になっちゃうよ


 桃太郎は、どうしていいかわからずにぽかんとしてそれを眺めていました。

「あの……乙姫殿……著作権……」

「しっ。今からサビじゃ」

「それと腹が減って……」

「待つがよい。じきに飯が出る」

 仕方なく、桃太郎は魚たちの踊りを眺めることにしました。しかし、あまりにもおいしそうな魚です。桃太郎の目には、だんだんと刺身が踊っているように見えてきました。今にも涎が垂れそうです。

 そのときです。

 一匹の踊り魚が、振り付けを間違えて周囲の魚とは逆側の鰭を動かしてしまいました。

「あっ……」

 踊りを間違えたその魚は、その瞬間にダンスの輪から弾き出されてしまいました。そして、哀れなほどにがくがく震え始めました。

 舞台袖から目立たないように出てきたブラックバスがその魚をどこかへ引っ張っていきます。

 バンドの音楽は最高潮に達し、魚の声をすっかりかき消していましたが、桃太郎の耳には確かに「刺身にしないで! お願い! 刺身にしないで!」という悲鳴が聞こえていたのでした。

 ダンスは他の魚たちによって、何事もなかったかのように続けられます。

 呆然とする桃太郎の前に、料理が運ばれてきました。

「おお、料理がきたぞ」

 薄造りにされた刺身が、大皿の上に美しく盛り付けられています。

「今さっき捌いたばかりの新鮮極まるお造りじゃ。ようく味わって食べるがよい」

 乙姫がくっくっと笑います。まるで菊の花のように盛り付けられた刺身の中央には魚の頭部分が飾りとして載せてありました。それは、明らかにさっき振り付けを間違えた魚の頭でした。

 その表情は、まだ恐怖に引き歪んでいました。

「どうした?」

「いや……この魚……」

「いいから食うてみよ。驚くほどに旨いぞ、なにしろ踊りの稽古で身がしっかり引き締まっておるからのう……」

 桃太郎はとても申し訳ない気分になりながら、刺身を口に運びました。

 それは確かに絶品でした。脂の乗った身が、きゅっといい歯応えを残して喉へと滑り降りていきました。後には、何とも言えない上品な余韻が喉から口にかけて漂うばかりです。

「うまい……」

「そうじゃろ、そうじゃろ」

 乙姫は嬉しそうに笑い、自身も刺身を口に運びました。


 やがて宴が終わり、魚たちが退場した大広間はしんと静まり返っていました。結局、あれから二匹が振り付けを間違って刺身になりました。魚たちはあの制度があることで決して間違えまいと練習に精を出し、結果としてより高レベルなダンスを披露することができるのだそうです。

 腹がくちくなって満足そうな桃太郎に、乙姫が手招きします。

 近づいた桃太郎の頬に、乙姫は、そのたおやかな指をそっと這わせました。耳元に口を寄せ、桃色に錯覚するほど甘やかな吐息に乗せて、言葉を紡ぎます。

「さて、桃太郎よ。お主の命を救った見返りとして、少々頼みがあるのじゃが……」

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