アナザーワン・ピーチボーイ

 桃太郎はナイフを構え、フェザーは爪を剥き出しにして羽に力を込めました。

 周囲の鬼たちは大小様々な武器を手に、じりじりと距離を詰めてきます。今やそれは間合いの一歩外、一歩踏み込めば互いに致命傷を与え合えるほどの極近距離でした。

 場の緊張が高まります。

 そして双方が一斉に動き始めようとした、その刹那。

「待て!」

 鋭い声がフロアに反響しました。

 今まさにぶつかろうとしていた桃太郎と鬼たちは、ぴたりとその動きを止めました。

 こつり、こつり。声の主がゆっくりと廊下の向こうからやってきます。そのシルエットが完全に現れたとき、鬼たちが全員その場で直立し、敬礼をしました。

「主がお待ちだ」

 それは巨体の鬼でした。筋骨隆々、裸の上半身にごつごつと浮き出た筋肉が、他の有象無象の兵とは明らかに異なる雰囲気を醸し出しています。どうやらかなりの上層、鬼の首魁に近しい者であるに違いありません。

「貴様が桃太郎だな」

 桃太郎は葉巻を咥えました。

「そういうお前は誰だ」

「私のことなどどうでもよい。黙って聞け」

 鬼は高圧的な態度を崩しません。

「主は貴様を連れてくるよう仰せになっている。本来ならば問答無用で殺しているところだが、どうやら主は貴様に興味があるらしい。さあ、自分で行くか、無理やり連れて行かれるか選ぶがいい」

「ほう……」

 桃太郎は目を細めました。

 目の前の鬼はかなりの使い手です。その鍛え抜かれた筋肉、武器を携帯していないところを見ると、おそらくは体術の使い手でしょう。周囲を鬼たちに囲まれた状態で、フェザーを守りながら戦えるような相手ではないことが、桃太郎にははっきりとわかりました。

「いいだろう。案内しろ」

 もとより、鬼の首魁を探し出して倒すためこのビルに突入したのです。それを向こうのほうから案内してくれるというのですから、こんなうまい話はありません。

「ほう、命知らずなやつだ。では、ついてこい」

 鬼は歩き出しました。階段を登り、

 桃太郎はフェザーを促し、悠然と歩き始めます。罠の可能性は考えませんでした。そんなに回りくどいことをせずとも、配下の鬼たちと一斉に襲いかかってくれば済む話だからです。

「言っておくが……主は私の数倍強いぞ。私が貴様らをこうやって案内するのも、あの方ならば貴様らごときに負けはせぬという確固たる自信があるからだ。それに、ここに来るまでにそれだけ傷を負っているようでは、私にさえ勝てはしないだろう。せいぜい命乞いでもするのだな」

 桃太郎は挑発には乗りません。

「べらべらとよく喋る奴だ。弱い犬ほどよく吠えるというが、鬼もそうなのか?」

 先導する鬼の背中から、ぞわりと鬼気が立ち昇りました。

「確かめてみるか?」

 どうやら乗せられやすい鬼のようです。

 ここで戦闘が始まるのなら、それはそれで好都合。周囲を囲んでいた鬼たちがいなくなっただけでも勝算はかなり上がっています。

「その筋肉が見掛け倒しじゃないといいがな」

 桃太郎は挑発を返しながら、静かに全身の筋肉を撓ませます。目の前の鬼の初動を見逃さず、最適手の反撃を繰り出すために。

「……ふん」

 どうやら威嚇はしたものの、戦闘を始める気はないようです。

 緊張状態を保ちながら、それでも鬼は桃太郎とフェザーを先導して歩いていきます。歩くにつれて照明の数が減っていき、周囲はどんどん暗くなっていきました。

 何回か角を曲がった頃、桃太郎が言葉を発します。

「お前が言っていた主とやらがこの鬼ヶ島を統べているのか?」

「そうだ」

 鬼の口調が変わりました。

「あの方は素晴らしい! 強さ、頭脳、配下に対する慈悲、すべてを持ち合わせた王の器。貴様らごとき虫ケラの及びもつかない高貴なお方だ」

「おいおい、褒めすぎだ。俺はそこまでの器ではないぞ」

 突如、暗闇から声が響きます。

「主!」

 鬼が叫び、立ち止まってその場に跪きました。

「連れてまいりました」

「よくやった」

 パッと照明が点きました。

 そこはまさに王の間とでも呼ぶべき荘厳な空間でした。赤い絨毯が敷かれ、点灯した照明はどれもきらびやかな装飾が施されています。

 そして、こちらに背を向けて大きな椅子に座っている男が一人。桃太郎はそれを見て、不審そうに眉を潜めました。椅子の陰に隠れて全身は見えず、頭のみが見えているのですが……その頭には角が生えていないのです。

「人間……か……?」

「そうだ。俺は、人間だ」

 椅子が回転し、男が全貌を見せた瞬間、桃太郎とフェザーが驚きのあまり呻き声を上げました。

 そこにいた男の顔は、桃太郎と瓜二つだったのです!

「ようこそ桃太郎、我が兄弟よ。俺がこの鬼ヶ島を統べる者だ」

「てめえ……何者だ!」

「おいおい、初対面の相手に向かって『てめえ』とは無礼な奴だな」

 桃太郎とそっくりな男は薄笑いを浮かべて立ち上がります。見れば見るほど、すべてが桃太郎とそっくりでした。見ている桃太郎でさえ、自分がもう一人いるとしか思えないほどでした。

「いいだろう、改めて名乗ろう。俺はモモタロウ……桃から生まれたモモタロウだ。初めまして、桃太郎」

 桃太郎の顔を冷や汗が流れ落ちていきます。

「何が何だかわからねえ、って顔してるな。いいだろう、兄弟のよしみで説明してやる」

「俺に兄弟はいない」

 桃太郎が静かに否定します。

「おいおい、それを決めつけるのは些か早計ってもんだ。お前、自分の親を知らねえだろう」

 桃太郎は言葉に詰まりました。

 確かに、おじいさんもおばあさんも自分を育ててくれただけ。血は繋がっていないのです。 

「まあ、俺も親の顔なんて知らんがな。それでもお前と俺は兄弟だ。そう言える理由を説明してやろう」

 モモタロウは話し始めました。

 それは二人の物語。

「十六年前のことだ。とある山奥で、川上から大きな桃が流れてきた――」

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