覆物

第19話

うららかな春の午後。




 土御門西洞院にある安倍家の西の対から、少女のいら立ち混じりの声が青い空に抜けてゆく。


「あああああ、もうっ! 違うちがうちがーう!」




 簀子縁には四人の少年がいる。


 最年長とみられるのは、白の狩衣、内側の単が蘇芳色で梅襲ねといった清楚なコーディネイトの上衣に、二藍色の袴姿の吉平。十五にしてはまだどちらかと言えば幼い印象が強い。少女とも見まごうほどの繊細で美しい顔立ちは、父の幼少期を知る人たちから生き写しだと言われる。


 あとの三人は、水干姿の童たち。


 山吹色の水干に海老染めの袴の玻瑠璃。鮮やかな衣の色合いが彼女の白い肌や灰色の瞳を引き立てていて、美童にも美少女にも、どちらにも見える。男装をしているがひとの目を欺くためというわけではなく、ただ動きやすさを重視してのことだ。お転婆な少女は男所帯で注意されないのをいいことに、袿姿よりも水干姿を好む。


 その隣で三尺ほど宙に浮かんでいる白い水干に白い袴の、人間で言えば十二、三歳ほどの神秘的な雰囲気の少年は珠王丸。中世的で美しい顔立ちをしているが、人ではなく宝珠の精霊である。



 そして珠王丸と同じかあるいは少し幼いほどの、玻瑠璃よりも小柄な少年。青の水干に藍色の袴は吉平の弟で今年十二になった次郎である。兄の吉平よりはきかん気な少年らしさが華やかな容貌によく表れている。


 四人は円形に座し、ひざ元にはたくさんの書類が煩雑に広げられ、それらの上には漆塗りのはこが蓋を閉じたまま無造作に置かれている。


「いいか、お前たち。もっと全身の気をてのひらに集めてみろ。手のひらから筥のなかのものが発する気を感じ取るんだ。そうすれば筥の中身など容易く知ることができる!」


 玻瑠璃は華奢な指をそろえて床をばしばしと叩いて、厳しい師匠ぶりを発揮する。吉平・次郎の兄弟はそれに対し正反対の態度を見せる。




 まず、兄の吉平はふう、とため息をつきどうにかその感覚を想像しようとする。弟の次郎は赤く可憐な唇を尖らせてふてくされてみる。


「ならば、お前がまずはやって見せてよ、玻瑠璃」


 玻瑠璃は次郎の言葉を鼻でフンと笑い飛ばす。


「仕方がないな。次郎よ、よーく見ておけよ!」


 自信満々に胸をとんと叩く玻瑠璃を見て、珠王丸は傍らの吉平にこっそりと耳打ちをする。


覆物ふくもつは幼いころから玻瑠璃のお得意の遊びで、百発百中、外れたことが一度もないのだ」


 吉平はへぇ、と感心して目を大きく見開いた。




 覆物とは、筥などに入った見えないものを念視して充てる遊びのことである。入れ物に触れたり持ち上げたり、振ったりしてはいけない。手を翳しただけで、中の物体の気を感じ取るのだ。


 優れた術者になると、中身を当てるだけではなくあらかじめ入れられたものを別のものに変えてしまうこともできるのだ。吉平と次郎の父・晴明にも、覆物に関する逸話がある。




 晴明がまだ十代のころ。


 その神力を試そうとした興味本位の公卿たちが法力の高い法師を呼び寄せて、晴明と覆物で対決させたことがあった。


 対戦相手の法師は、晴明とは親子ほども年の離れた高名な術師。筥の中には夏みかんが九つ。法師は先攻でそれをぴたりと言い当てた。そして晴明の番になった。彼は涼しい顔をして言った。


「ねずみが、九匹」


 その場にいた、中身をあらかじめ知る者たちは晴明の負けを悟ってがっかりした。しかし、いよいよ蓋を開けてみるとなんと中には萱ネズミが九匹、ころころと飛び出てきたのだ。夏みかんを筥に入れたはずの公卿は仰天し、対戦相手の法師は晴明の神力には自分の力が及ばないことを悟って悔しがった。


 その日の晴明は筥にも夏みかんにも触れることなく、中身をネズミに変化させたのだ。



 玻瑠璃は目を閉じて呼吸を整える。



 体中を血管のようにめぐる気の道——経絡。それらを通って腹の丹田(気のたまる場所)から胸、そして額の丹田へと気をめぐらせる。気が一つの球状になることをイメージすると、次第に額の丹田がぼうっと温かくなってくる。



 右手を筥の上に翳す。額から肩、腕を通り、気は手のひらにじんわりと広がる。それは指先一つ一つにみなぎってゆく。


 目を開ける。


 手のひらに四角いかたちの気が感じられる。それは筥だ。もう少し奥の気を感じようとしてみる。


 うーん……


 小さな、白い……? 三つ。白、いや、銀色か。


 頭の中には美しい調べがぽろん、ぽろろんと響く。


「あー……」


 玻瑠璃は灰色の瞳を細めて笑んだ。


「わかった」


 彼女の自信に満ちた笑顔に、吉平と次郎は身を乗り出した。



「琴爪だ。三つある」


 次郎は筥の蓋を開けて目を輝かせ、感嘆の声をうわーと上げる。はたして、銀箔が張り付けられた琴爪が三つ、無造作に入れられていた。


「す、すごいな……」


 吉平も感心のため息をつく。


 次郎は珠王丸を振り返る。


「珠王丸、こっそりと中身を玻瑠璃に教えたりしていないよね?」


「もちろんさ、次郎」


 珠王丸は苦笑しながら首を横に振る。


「疑り深い奴だなぁ、お前は。ズルは一切なしさ。気だよ、気。珠王、また別のもの入れてきてくれ。今度はもっと難しいもの」


 玻瑠璃は筥を珠王丸に押し付けた。珠王丸は三人が見えないところに行く。


「ううん……いまいち、まだよくわからないんだ。なぁ、どうしたらそんな正確に気を感じ取ることができるの?」



 

 次郎は好奇心いっぱいの大きな瞳で玻瑠璃を見つめる。


 十二歳の安倍家の次男は、とにかく気が強くて負けず嫌いで好奇心が旺盛である。感情をはっきりと表し、裏表が全くない。人懐こく、大人たちにも物おじせずに自分の意見を言う。かわいげがあるので、生意気とは思われない。そういうところが、賀茂保憲に気に入られているのだろう。


 保憲はよく冗談に、次郎を養子にくれと晴明に言う。いずれ自分の娘と結婚させて、賀茂家を継がせようとまで考えているらしい。



 次郎とて安倍晴明の血を引いている。ただ、まだ十分ではない。


 彼の目下の目標は、新たに現れたもの凄い神力の持ち主——玻瑠璃を打ち負かすことである。


 日は浅いが、玻瑠璃はそんな次郎がかわいくて仕方がない。どこか自分に似たところがあるからだろうと次郎は思っている。


「仕方がないな。それでは特別に教えてやろう。次郎も吉平も、片方だけてのひらを上に向けてみて。私が今からお前たちに気を送ってみる。お前たちはそれぞれ自分の気をてのひらに集中させておくんだ」


 次郎に請われていい気になった玻瑠璃は、わざと尊大にそう言った。素直な兄弟は目を閉じて、言われた通りてのひらを上に向けて差し出す。コホン、とかわいらしい咳払いをして、玻瑠璃は二人のてのひらに、左右それぞれの手を翳して気を送る。


 二人のてのひらは、玻瑠璃のてのひらのしたでじんわりと熱くなり、微弱な電流が流れたようなこそばゆい痺れが、彼らにもはっきりと感じられた。




「うわっ、来た!」


 次郎が歓喜の叫びをあげる。


「うん、まるで炭火にあたっているようだ」


 吉平も思わず口元をほころばす。


「ふふ。もっと集中してごらん。私の気の色とか、ほかに面白いものとか見えるから」


 玻瑠璃の言うとおり、吉平はさらに自分の手のひらに意識を集中させる。


 じっと見つめていると、やがて玻瑠璃の手から青白い光ぼんやりと出ているのが見えてきた。それはやがて小さな光となり、ふうわりと宙に浮いてくるくると回転しながら、やがて小さな白いヘビに変わった。




「うわっ?」


 吉平は驚きのあまり、思わず手を引っ込めた。


「あはは。吉平、お前、驚きすぎっ! 見鬼のくせにこのくらいのことで!」


 玻瑠璃は天井を仰いで笑う。吉平は自分でも顔が赤くなるのがわかる。


「だ、誰だってヘビは驚くだろう」


 吉平はふいと顔をそらす。次郎も同じものを見ていたはずだが、彼はまだ純粋というか何にも物おじしないので、むしろ楽し気にくすくすと笑っている。


「すごいなぁ、玻瑠璃は。よし、今度は私が当てる!」


 筥をもって戻ってきた珠王丸を見て、次郎は意欲を表した。珠王丸は筥をそっと床におろすと言った。


「玻瑠璃、吉平殿、晴明殿がお呼びだ。次郎は私と遊んでいよう」


「さぁて、師匠はなんの御用かな?」


 玻瑠璃は口元で両手を合わせてぽんと叩く。




 次郎はすでに珠王丸と覆物の続きを楽しそうに始めている。


「行こう、吉平」


 玻瑠璃は吉平の手首を取るとぐいぐい引っ張った。


 吉平はふう、と浅く息をつくとおとなしく手を引かれて玻瑠璃に従い渡殿を歩き始めた。

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