花闇

しえる

第1話

夢の中で玻瑠璃はるりは舌打ちをした。



 ちっ。


 またこの夢か。


 茫漠ぼうばくたる虚空こくう


 上下左右もわからない真っ白な空間に彼女は佇んでいる。




 身の丈に少し余るほどのつややかなぬばたまの黒髪は、紅梅(濃いピンク)のうちきの肩や海老染め(エンジ)のはかまの裾にはんなりと垂れかかり、まるで夜の川の流麗のようだ。


 華奢すぎて、未完成の美しさは少女のものとも少年のものとも見える。


 雪氷ゆきごおりでできたような白い肌。


 紅をさしているわけでもないのに血のように赤い唇。


 そして冬の雪曇りの空のような深く透明な灰色の瞳。




 玻瑠璃はおずおずと、裸足の右足を一歩前に踏み出した。



 はらり。


 はらり……



 うす紅色の淡雪かと見まごう桜の花びらが、どこからともなく散りまどって、彼女の足元で吹きだまる。


 綾羅りょうらの花だまり。


 玻瑠璃がまばたきした時、一陣の風が突如吹きおこり吹きだまった花びらをすくい、絡め上げ、舞い上がらせた。それは遠心力で小さな竜巻となり、彼女の目の前に人のかたちを作り上げた。


 らせんを描き舞い上がる花びらの塊の中に、うす色(薄紫)の狩衣かりぎぬはなだ(青灰)の袴姿の一人の男が姿を現す。


 ほっそりとあてやかな感じの、中世的な美しい若い男。


 あたかも、姉の美月が持っている絵巻物の男君主人公が、そのまま現実世界に抜け出してきたかのような非現実的な美しさ。


 男は、扇の陰ではんなりと微笑する。



 お前は……だぁれ?



 玻瑠璃は囁くようにそっと問いかける。


 男はただ優雅に微笑するだけで、何も答えてはくれない。


 その代わりに、彼は左の袖に右手を差し入れてスモモほどの大きさの半透明の珠を取り出すと、それを玻瑠璃の手のひらの上にそっと置いた。


 ひんやり。ずしり。


 あ、


 水晶だ。




 玻瑠璃は首を傾げる。


 これは……どういうことだ?


 目の前の男を見上げる。しかしすでにその姿は花吹雪の中に消え失せている。


 彼女はあたりを見回す。


 やがて男の姿を探すことをあきらめ、視界はぼんやりと霞んでゆく。


 

 ひらり、ひらり。


 ひら……



 呆然と立ち尽くす彼女の周りに、淡い紅の花びらが降り注ぐ。


 永遠に、永劫に舞い降りる。


 それでいて、足元に積もりすぎることなく。


 ひらひら、ひらり……




 そこでいつも、夢のふちから半ば強引に引き戻されてしまう。




 ああ、またあの男の正体をつかむことができなかったのか……

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