水の少女

第4話

新しく赴任してきた目代は、大黒様のごとき好々爺であった。


 清水康頼の顔を見た瞬間、玻瑠璃は自分の杞憂を笑い飛ばした。



 玻瑠璃は八乙女やおとめといって、神前で舞を奉納する役目を神妙に果たした。その後は八雲の計らいで、寝殿において歓迎の宴がつつがなく始められた。美月が筝の琴を弾き、社の楽士たちも神楽を披露する。目代の従者たちに酒がふるまわれた。



 宴もたけなわとなると、玻瑠璃はそっと抜け出して自分の対の屋に戻った。人気のない暗い渡殿の欄干に寄り掛かり、懐から小さな赤い絹の袋を取り出し口のヒモを緩め、そっと語り掛けた。


「おい、珠王」


 小さな袋の中がぽうと光る。玻瑠璃が生まれた時に握り締めていた宝珠はウズラの卵にも満たない大きさだったが、彼女の成長に比例して今では少し大きくなり、山鳥の卵くらいの大きさだ。今の珠王丸の大きさからして、もうそれ以上は大きくならないだろうと思っている。



「なんだ?」


 玻瑠璃の目の前に、手のひらに載るくらいの大きさの珠王丸が現れた。


「目代は人のよさそうなおじじ殿であったよ」


 微笑む玻瑠璃に珠王丸は苦い顔をした。


「ううん、たしかに本人は見るからに善人で、出世欲さえ感じなかったがな。私は先ほどからお前の懐の中で、なにやら重たい邪気を感じてぞくぞくと身震いが止まらなかったのだが」


「なに?」


 珠王丸は玻瑠璃の目の前からひょいと飛び降りる。すると体が十二歳ほどの童の大きさになった。


 彼は角盥つのだらいに水を張って持ってくると、それに手のひらをかざした。玻瑠璃は水面を覗き込む。そこには、寝殿でなお続いている宴の様子が映し出されている。



「ほら……あれ。あの男だ。ずっと気になっていたんだ。目代の清水康頼の隣に坐している、あの目つきの悪い若い男……」


 玻瑠璃は珠王丸の指さす男の姿を覗き込んでああ、と呟いた。


「あれはな、目代の息子だ。親長ちかながというらしいぞ。たしかに、あのおじいの息子にしては邪気がすさまじいな。小一条大納言の随身らしいぞ」


「お前はあの男から何も感じないのか?」


「うーん、これと言ってなぁ。あまり近づきたくない感じはするが」


 二人の視線の先には、一人の男が坐している。


 二十代の後半、やせ形で浅黒く、目つきが鋭い。陽気に飲んで人々と談笑する父親とは、似ても似つかない冷たそうな雰囲気の男。誰とも会話するでもなく、ちびりちびりと隅で酒をすすっている。


「うむ。本当に何も感じないのか、お前? 目的のためには手段を択ばぬ野心家という感じだが。何とも言えない嫌ぁな気だ。私は……近づきたくはない」


 珠王丸はぶるりと身震いした。


「ふうん。穢れを嫌う宝珠の精霊のお前がそう言うのであれば、そうなのであろうな。確かに、良い印象とは言えないしな」


 玻瑠璃は首をかしげた。確かに親長は目つきは鋭く、日に焼けて肌が浅黒い。しかしそれは小一条家という上位貴族の家の警備の仕事をするものとしては、仕方のないことなのかもしれない。


「とにかく、あの男には気を付けたほうが良い」




 不浄を嫌う宝珠の精霊の言葉に間違いはなかったと知るまでに、そんなに時間を要することはなかった。




 あくる日。


 播磨の守の目代の遣いが、八雲を訪れた。


 宴の礼と、あらたな要件のためらしい。


 八雲は寝殿の祭壇の前で使者と四半刻ほど対談し、使者が帰るとすぐに美月を呼び出した。



 その半刻ほどの後、美月が暗い表情で玻瑠璃のもとを訪れた。釣殿で珠王丸と双六をしていて玻瑠璃は、珍しく沈み切った美月の表情を見て驚いた。


「どうしたのだ、姉さま。おばば殿に叱られたのか?」


 珠王丸が差し伸べた円座わろうだにふわりと座り、美月はひざの上の自分の握り締めた両手をじっと見つめている。玻瑠璃は脇から姉の顔を心配そうにのぞき込んだ。

「まさか。あなたではあるまいし……叱られはしないわ」


 ふう、とため息をついて美月は言った。


 欄干の上に浮いたまま胡坐をかいていた珠王丸は玻瑠璃の隣に降り立った。


「そうさ、お前と違って美月殿は叱られるようなことはなさらないさ」


「黙れ、珠王め。それでも、おばば殿に何か良からぬことを言われたのだろう?」


「ええ。先ほど、神の目代の使者がいらっしゃっていたでしょう? 宴の礼と、もう一つは、私への縁談でした」


「はぁ?」



 玻瑠璃と珠王丸は同時に間抜けな声を上げた。


「実は昨夜、目代の息子が私を見染めて、ぜひ妻にしたいと大巫女にお申し込みなさったのです」


「なんだ、それ。それで、おばば殿はなんと?」


 玻瑠璃は灰色の瞳を動揺で見開いて、美月のほうに身を乗り出した。


「あなたもよく知っているでしょう? 私たちは自分の意志で、伴侶を選ぶことができるわ。大巫女……おばあさまは、良縁だとは思うが、私の好きにしてもよいとおっしゃられたの」


 玻瑠璃ははっと息をのみ、次の瞬間、うつむく暗い表情の姉を覗き込んでにやりと笑う。


まの字・・・であろう、姉さま」


 美月は顔を上げ、真っ赤に頬を染めて玻瑠璃を見た。


 神家の社の雅楽士で横笛の奏者の高階正成たかしなのまさなり


 優しくやわらかな物腰の、十八になる青年。美月と玻瑠璃の幼馴染であり、幼いころからの美月の想い人。



「――ということは、美月殿、清水殿の申し出は断ったのでしょう?」


 珠王丸の問いに美月は首を縦に振った。


「ええ、それにしても妙な話です。昨夜私は琴を弾くためにあの場におりました。でも、ただの一度も清水親長殿に話しかけられたことも、目が合ったことさえもなかったのですよ」


「ふうん、妙だね。姉さまはあの男を見てどう思った?」


「そうねぇ。切れ者とのうわさですけど、なんだかとても冷たそうに見えたわね」


「あはは、正成殿とは似ても似つかぬ感じだよな。姉さまの好みはまの字のような優男だからなぁ」


「玻瑠璃!」


 美月は耳まで紅珊瑚のように真っ赤になって、玻瑠璃の肩をぱしっと叩いた。そういうところはまだまだ少女らしいうぶな感じが抜けてない。


「いてっ。でも姉さま、十年もぐずぐずしていてはいけないよ。まの字は鈍いのだから、早く手を打たないと」


「そうだな、美月殿。いくら自由に夫を選べるとはいえ、そうしてほかにも申し込みが来て、断り切れなくなってはなにか支障が生じるやもしれぬし」

 玻瑠璃と珠王丸はくすくすと笑いながら美月をからかった。



「第一、姉さまはおくてすぎるのだ。私が歌を代筆してまの字に送ってあげようか?」


「えっ? そ、それはよせ、玻瑠璃。お前の歌だとすぐに知られる」


「そうよ……あなたの歌はその、あまりにも、なんていうか……万葉調なのだもの」


 苦笑する珠王丸と美月に向かって玻瑠璃は目をすがめる。


「なにそれ、どういう意味?」


「ええ……よく言えばおおらかで大胆、悪く言えば技巧が乏しく直接的……」


 美月の言葉に珠王丸は腹を抱えて笑い転げる。玻瑠璃はぷうと頬を膨らませてじろりと珠王丸を睨んだ。


「あほ珠王め。私だって、素晴らしい歌の一首くらい……」


「で、でもね、そういう歌は自分のためにつくりなさいな。あなたは私のことをおくてだとからかうけれど、自分はどうなの? 好きな相手もいないではないの?」


「ふん。よいのです。宿曜すくようで占うに、今年、三年後、四年後あたりが出会いの年回り。今年私に待ち人が来ずとも、三、四年後ならばちょうどよい」


「宿曜ねぇ。それで、相手は誰で、どこにいるの?」


「さぁ? でも、都にいるといいなぁ」


「なぜ? あなた、都にあがりたいの?」


「ああ、行ってみたいな。田舎と違って楽しいのだろうなぁ。だが……なぁ」


「なぁに?」


 苦笑する玻瑠璃に美月は小首をかしげる。



「私の生まれは極端に水性すいしょうが強すぎる比和ひわというやつです。釣り合う伴侶を見つけることはとても難儀なことらしいのです」


「水性?」


「五行で言う、水ですよ、美月殿。もくごんすい。万物を表す要素です。人は生まれた年、月、日、時刻によって、持ち合わせているのです。だがまれに一つか二つだけの要素のみを重ね持って生まれてくるものがいるのです。玻瑠璃はそれが極端なのです。たった一つのみに偏っているということはその要素を強く受け継いでいるだけではなく、他者に対して与える影響も強力だとうことなのです」


「つまり、玻瑠璃は水の要素だけが強いから、相剋も逆相剋も、相手に対する影響が常よりは強いということね」


「そうなんだ。私の場合、生まれ年が土性で、あとはすべて水性なのだ。もしも相剋の相手の木は水を欲するが、多すぎると腐らせてしまう。土性は水の流れを止めるが、水が強すぎると押し流されてしまうだけで大凶だ。火も弱ければ水で消されてしまう。だが相生だろうが相剋だろうが金か火の極端な比和のものならば、強い水の影響を押さえてくれるだろう、ということ」


「大凶とは……?」


「相手の命をも、奪い取るかもしれないということですよ、美月殿」


「えっ?」


 美月は袿の袖で口元を覆った。玻瑠璃は平気な様子で肩をすくめた。


「昔、おじじ殿がまだご存命の時に教えてくれたのです。私は水性が強すぎるから、火性の強すぎるものを夫にするとよいとね。だが私の水性とつりあうくらい火性が強いものなど、めったにいないらしいのですが」


 他人事のようにくすくすと笑う玻瑠璃を見て、美月はちょっとあきれる。


当麻たいまのおじいさまがおっしゃたのなら、きっとそうなのでしょうね」


「はは。私は別に気にしていない。会える時は会える。姉さまとまの字は相生だな。ああみえてあの人はあちこちで狙われているんだ。早く手を打たないと、誰かに取られてしまうよ」


 真っ赤になった美月は、色気のない忠告に素直にうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る