花宵 3

第45話

「うん、別にお前は呪を用いて私に命じたわけではない。自らも知らずのうちに私を呼んでしまったのだろうな。雨龍からお前のことを聞いたときはあいつの買いかぶりすぎだと思っていたが、私が間違っていたようだ」


玻瑠璃は浅いため息をついて目を伏せた。



――そこがわからないのだ、雨龍がなぜ認めてくれているのか。私は巫女かんなぎの血を引くが、父親はどこの誰なのかわからない。それに、お前があの唱聞師の気を喰らい雷を落として私を助けてくれた時から、私の中で今までに感じたことのないすさまじく強い気があちこち駆け巡っていて落ち着かない。なにをどうしても制することができない。これは何ゆえに、そして私は何者ゆえなのか。なぜお前を呼ぶことができたのか。どうか、教えてほしいのだ。



玻瑠璃は真剣な表情で黄龍を見上げた。二組の灰色の双眸が合わさる。黄龍は優美な微笑を浮かべながらうなずいた。


「そうさな。私が教えてもよいのだが……晴明がお前の後見うしろみとして名乗りを上げたからには、やはりあやつの口から聞くのが筋というものであろう」


玻瑠璃は苛立ちに目をすがめる。



――ほら。みんなそれだ。それなのに、肝心の晴明殿もはぐらかす。堂々巡りじゃないか!



「まあ、そう怒るな。私を呼びよせたということは、あの男が封じていたお前の力が目覚め始めてしまったということだから、今ならばきっと教えてくれようぞ」


黄龍は幼い子をなだめるようにゆっくりとした口調で続けた。


「私がお前に言えることは、お前は望めば何にでもなれるということだ。巫女として神家みわのいえを再興するもよし、唱聞師やら陰陽師やらになるもよし。誰そのさいになるもよし。ちっぽけな虫けらのような小悪党を一思いにひねり殺すもよし……」


玻瑠璃の片眉がピクリと上がる。



――それは……今の私ならば、ひとりでも清水親長を簡単に殺すことができるということか?



「おい、慌てるな。そのことについてもよぉく、晴明と話し合うがよい。それはお前の今後を左右するほど、重要なことだからな」



――意味がわかなない。



「下手な憶測をするよりも、あやつを捕まえて尋ねてみよ。きっと、お前の気は晴れようぞ」


黄龍ははらりと白無地の扇を広げてその陰でうっすらと微笑んだ。そして玻瑠璃に背を向けると、首をひねり顧みて言った。


「そのあとならば、いつでもここへ遊びに来るがよい。待っているぞ、娘よ」


音もなく水面の少し上を渡ってゆくと、彼は池の中心辺りで姿を消した。



――なんだ、結局はまた振り出しか。



玻瑠璃は唇を尖らせて不満そうに野相公を振り返った。


「なぁに、あの気難し家の黄龍がお前を気に入っているという確認が取れたさ。それにやはり晴明に訊くのがよいとわかったであろう? もうそろそろ戻るがよい。あまりすだまのままふらふらと出歩くなよ?」


野相公は何か反論したげに口を開きかけた玻瑠璃を天高く上げると、指先ひとつで彼女の生き霊を晴明の邸のほうへ矢のように飛ばしてしまった。






「……っ!」


玻瑠璃は持たれていた脇息から顔を上げて弾かれたように目を覚ました。


「あれ? 今のは……夢?」


部屋中、桜の花びらで埋まっている。


玻瑠璃はのろのろと立ち上がり、小さく肩で息をつくと右の袖を宙に翻した。すると床や畳の上に散らばっていたおびただしい量の花びらは、弧を描き横向きの小さなつむじ風に乗って一斉に渡殿を越え庭のほうへ飛んで行った。


彼女は綾羅にまだらに埋まる渡殿に出る。


庭先の桜の満開の枝々が軒下まで伸びていて、見て褒めてくれと言わんばかりに春の宵に浮かび上がって見えている。


枝の下の花陰でそっと目を閉じ、気配を捕らえようと試みる。そして再び目を開ける。


「うん……やはりまだ陰陽寮からお戻りではないか」


晴明はまだ帰宅していないようだった。彼の気配がしない。


玻瑠璃はため息をついてかあ欄干の上にひらりと飛び乗った。そこから庭に散る花のごとく飛び降りた。しかし地面の上ではなく、彼女の裸足の両足は一尺ほど宙に浮いたままだ。


くすりと笑い、彼女は独り言をつぶやく。


「ふふ。こんなこともできるようになったぞ」


そしてそのまま、月陰の庭をそぞろ歩く。


「ん……?」


玻瑠璃は首を傾げ目を見張る。


静寂の満開の花の陰。


池のほとりの花霞の本体である桜の大樹のもと。


身の丈が一尺ほどの、全身白装束の小さな楽人が四人。篳篥ひちりき竜笛りゅうてき鞨鼓かっこに琵琶。車座に座り、音もなくひそやかに・・・・・・・・・合奏している。彼らは真っ白なカラスのような顔をしているが、体は人間のようだ。


今までに聴いたこともない、優美で緩やかな曲が頭の中にしみこんでくる。微風に震えてふるりと枝から離れた花びらたちが、小さな楽人たちの上に舞い落ちる。


そして彼らの傍らでは、吉平が散る花のもとで無心に舞を舞っている。


白い直衣のうしに白い指貫さしぬき水沓みずぐつや烏帽子もすべてが白い。夜の中にぼんやりと発光する、美しい公達。



彼は水面の上を滑るようにゆっくりと歩んでくる。そして一枚岩の上に立つ、玻瑠璃と野相公の三尺ほど手前で歩を止めた。


玻瑠璃はすでにその男が誰なのか気づいてはいたが、間近でその男の瞳の色を認めて驚きを飲み込んだ。


彼の瞳の色は、玻瑠璃や晴明と同じ灰色をしていた。



「お前が呼んだのか、野狂よ」


なまめかしい公達姿の神龍は無表情のまま少しだけ顎を引いて、無表情のまま言った。抜けるような白い肌、中性的な美しさ。


「客人とは、この娘のことか? なぜすだまなのだ」


彼は玻瑠璃を一瞥した。野相公はうん、とうなずく。


「ああ。先日の礼を言いたいと言うので、連れてきた。うっかり抜け出た中身だけ・・・・だが」


野相公は玻瑠璃の背を人差し指でとん、と押し出した。彼女は野相公をちらりと振り返った。彼は口をへの字に曲げて軽くうなずいた。


黄龍はともすれば青くも見えるほど深く澄んだ灰色の目でじっと玻瑠璃を見下ろした。



玻瑠璃はおどおどと黄龍を見つめ返す。

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