花宵 4

第46話

――こ、この前はその……世話になった



「お前が玻瑠璃という娘だな。噂には聞いていたが、まさかあのようにいきなり引っ張り出されるとは、夢にも思わなんだ」



――は? 人聞きの悪い。呼んだ覚えなどなかったのに。



「いいや。お前に・・・引っ張り出されたのだ。ひとの娘よ、お前が・・・私を呼び出して、お前の助っ人をさせた・・・のだ」



――私、が?



首をかしげる玻瑠璃に、黄龍は無表情の氷の美貌にうっすらと笑みを浮かべた。




寂寂。



吉平の動きに合わせた彼の衣ずれの音くらいしか聞こえないのに、楽の音は意識の中にしっかりと聞こえてくる。彼らが式神であるのは玻瑠璃にもわかる。不思議な音色は、人間には奏でることができそうもないほど稀有に聴こえる。


そして吉平の舞もまた、見たこともない稀有なものだった。




ひらり、ひらり。




のびのびと、軽やかに振られる桜がさねの狩衣の袖が、まるで散りゆく花びらそのもののように可憐で美しい。彼の頭上では小さな白い守り龍が、烏帽子に絡みつくように楽し気にくるくると舞っている。


へぇ、と玻瑠璃は心の中でつぶやく。舞は苦手だと言って今までいくら頼んでも一度も見せてはくれたことはなかったが、これはなかなかななものだ。守り龍も喜ぶほどの清らかな気の流れを発している。



突然、合奏が乱れて中断される。鞨鼓を鳴らしていた式神が、玻瑠璃に驚いて手を止めて叫んだ。


「おい、吉平殿、あれあちらで、玻瑠璃殿が見ておられるぞ!」


「えっ? あっ!」


吉平は舞を止めて玻瑠璃のほうを見て驚く。彼は赤面して耳まで赤く染める。


「見っ、見たな?」


玻瑠璃はふんと鼻で笑い、胸を反らせてゆっくりと歩み寄る。


「なんだ、見たら悪いのか?」


「見……みられると、恥ずかしいじゃないか」


「ならば庭ではなく曹司の中ででも舞えばいいだろう。それよりその舞は、どこの異国の舞なのだ?」


「……知らない。花霞に習った」


「ふうん……桜の精の舞か。どうりで美しいな」


カラス顔の小さな楽人たちは花びらの塊から小さな竜巻となり、花闇に散って消えてしまった。



吉平と玻瑠璃の間に、ちらちらと小雪のように花が降る。







黙。






まるで桜の花々が地に落ちるかすかな音まで耳に届いてきそうだ。実際、最近の玻瑠璃にはそんな些細な音までよく聞こえるようになっていたが。



玻瑠璃はため息を漏らす。


「なぁ、吉平。最近はお前、私のところには遊びに来ないな」


「え? ああ、ちょっと忙しかった、から……?」


「まだ、気にしているのか?」


羅城門に駆けつけたはよかったが、玻瑠璃を助けるどころか紀隆世の一撃を喰らって簡単に気を失ってしまったことを。


「い、いや……べつに……そういうわけでは……」


もごもごと呟くと、吉平は黒い池面に浮かぶ無数の花筏に視線を落とした。



あの日以来、吉平は物思いにふけることが多くなっていた。落ち込むこともある。神家のご神剣を抜くことができた僧都殿の時のように、絶対に玻瑠璃を助ける自信があった。しかし彼は羅城門では何もできなかったばかりか、玻瑠璃に(珠王丸の手伝いもあったが)背負われて帰ってきた。


もちろん、男として妹分の玻瑠璃を助けられなかったことが問題なのではなかった。彼は玻瑠璃のほうがはるかに自分よりも強い神力を持っていることは認めていたし、自分が劣っていることも認めていた。彼はただ、己の未熟さを思い知り、その事実に耐えられなかったのだ。


たった十五歳の吉平が未熟者であることは当然のことだし、己の実力を思い知るのは悪いことではない。しかし、自分が気を失っている間に玻瑠璃が神龍を呼びつけたということを聞くと、なんとも虚しく、悲しい気持ちになってしまった。


稀代の陰陽師・安倍晴明の長子としての誇りや自信がないわけではない。だからこそこの数日、焦りや不安、劣等感に何度も押しつぶされそうになった。玻瑠璃のもとへの足が遠のいたのは、顔を合わせるのが恥ずかしかったし、自分が情けなかったからだ。そんな自分を、彼女に見せたくもなかった。


「あれっ? は、玻瑠璃、それ……」


吉平は初めて、玻瑠璃の足元が宙に浮いていることに気づいて息をのんだ。彼女は肩をすくめて口の端を上げる。


「あの日以来、こんなこともできるようになったんだ」


「あの日……から?」


「うん。もう少し力が安定すれば、空も飛べるかもしれないな。久米仙人のようになれるかもな。すだまになって飛んでいくのは心もとないからな」


「そう……すごいな」


「お前だってすごいさ。うちのご神剣を鞘から抜いたんだ」


「あれは……たまたまさ」


「たまたまなものか。あれはたまたまで誰にでも抜けるような、そんなかわいいものではないのだ」


「え?」


「気の波長が合わなければ、いくら神力が強くても言うことを聞かない。触れただけで気分が合悪くなったり、恐怖にかられる者もいる。万が一、鞘から抜くことができたとしても、柄を握っていられない者もいる。あれは穢れを嫌うので使い手に邪心や悪意があれば、ただの刃物よりもひどい代物にしかなりえない。かなりの頑固者だしな」


「確か、父上も似たようなことをおっしゃっていらしたな」


吉平は微かにこくこくとうなずく。玻瑠璃はふわりと飛んで吉平の前に降りた。

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