花宵 5

第47話

「なぁ、吉平。私は顔相はあまり得意ではないのだが、お前は将来きっと、晴明殿のような陰陽師になれるさ。お前のそのまっすぐな心の美しさは、本当にすばらしいもの。だからもっと自信を持て」


「……」


「播磨にいたころの私は、愚かなほど幼かったよ。おばば殿や姉さまに甘えていたし、己にも甘すぎた。でも二人を殺されて、もう二度と会えなくなって、いろいろなことを学んだ。あんな美しく清らかな結界の中で育ったのに、私の中にも激しい憎しみやみにくい復讐心があったことを、知ることができたしな」


わざとおどけた口調の玻瑠璃の言葉を、吉平は素直に受け取って微笑んだ。


玻瑠璃は吉平の顔にやっと笑顔が浮かんだことに内心安堵した。彼はやはり、目元のあたりが晴明によく似ている。


「うん、そうだな。修行して、もっともっと強くならなくてはな。まずは、己に克つことからしないとな」


吉平は夜空を仰いだ。薄紅の桜の切れ間に、下弦の月と満天の星空が広がっている。視線を戻すと、彼は玻瑠璃に微笑んだ。


「今回、つくづく思い知らされたよ。私はまだまだ弱いね。お前が神龍を呼びよせたと聞いて、焦って不安に押しつぶされそうになった。おかしいな。お前のほうが実力は遥かに上だと、自分で認めていたはずなのに」



玻瑠璃は何も言わずに微笑み返し、右手を空へ上げるとぱちりと指を鳴らした。


すると、池のほとりに青白い小さな炎が現れて、二人の足元をほのかに照らし出した。


「なぁ。もっと、先ほどの舞を見せてくれないか?」


玻瑠璃の言葉に吉平は首を横にぶんぶんと振る。


「だだだだだ、だめだよっ! 恥ずかしいじゃないかっ!」


「そう言うな。こんな美しい花月夜など、めったにないのだぞ。もしかしたら、一生に一度きりかもしれない。さぁ、式神たちに命じて楽を奏させて、舞ってくれよ」


吉平はずいぶんためらっていたが、玻瑠璃のまっすぐな澄んだ灰色の瞳に見つめ続けられて断れなくなり、ついに諦めて舞うことにした。


彼が仕方なく袖をひとふりすると、先ほどの小さな楽人たちがまた現れて合奏を始めた。


玻瑠璃は羽鳥と聞きほれる。妙なる音色は確かにこの世のものと思えないほど美しいのに、一方ではただの静寂でしかない。


緊張のため息を深くひとつつくと、吉平は観念して一歩踏み出して袖をふわりと宙に挙げた。



「ああ、珠王よ。なんて美しいのだろうな……」



玻瑠璃は自分の懐に入れたままの宝珠にそっと話しかけた。


宝珠の中に閉じ込められている珠王丸は、主の許しが出たとは思っていないのか、それともへそを曲げて聞こえないふりをしているのか、出てきてともに見物する気はないらしい。あるいは吉平の舞の気の美しい波動が伝わっているのか、袋の中で微かに七色に光っている。


「ふふ。『青海波せいがいは』も目じゃない素晴らしさだ」


吉平の烏帽子に、狩衣の袖や肩に、ひらりひらりと花びらが落ちかかる。彼が袖を振るたびに、それらは再び宙に舞いあげられてくるくると回転し、ひらめきながら池に地に振り落ちる。


さらさらと風になぶられ、翻弄され、再び舞い上がりさらわれてゆくか、水面に落ちて花筏となる。



吉平の烏帽子には、絡みつくように小さな白いヘビがくるくると体をうねらせていて、まるで舞を舞っているように見える。



玻瑠璃はふと、決意に至る。


晴明殿に、訊かなくては。


野相公も神泉苑の黄龍も、何も明かしてはくれなかった。あの日……幸せだっひびを永遠に失った日から、播磨の神家が邪悪な男にめちゃくちゃにされてしまった日から、彼女の運命は一変した。もしかしたらそれは、すでに決まっていたことなのかもしれない。


鹿島から異変を知らせるためにはるばる播磨までやってきた老亀の万寿丸は、玻瑠璃の母が鹿島で巫女を務めていた時からの知り合いなので、玻瑠璃の父親については何か知っているはずだ。しかし、やはり何も教えてはくれない。


珠王丸。生まれたときに、玻瑠璃が手の中に握っていたという小さな宝珠。玻瑠璃の分身で、守護精霊でもある。肌身離さず、常にともにいる存在。そんな彼も、玻瑠璃には肝心なことは何も話してくれない。そんな風にさせているのは……


玻瑠璃の母を知る人物。きっと、いや絶対に父についても知る人物。玻瑠璃が生まれた日に都からやって来て、手に握っていた宝珠を精霊化して人の形を取れるようにして玻瑠璃を守護させた人物。稀有の力を持つ陰陽師であり優れた天文博士でもある、玻瑠璃と同じ灰色の瞳を持つ男。


いったい彼は、玻瑠璃とはどのような関係になるのか。


晴明。


安倍晴明。


一時の親代わりでも後見人でもない本当の彼は、何を知っていてそのことを話してくれていないのか。




下弦の月は南中を過ぎてだんだんと傾き始めた。


花冷えもない穏やかな春の夜、満開の桜の花の下。


かならず、答えてもらわなくては。


玻瑠璃は物思いにふけり、花陰でそっと唇をかみしめた。

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