黒龍・白龍

第13話

おそるおそる見上げてくる息子に、晴明はふと笑みを漏らす。


「残念だが、おれの知る限りおれの子は、お前と次郎だけだな」


「でも……あの子のあの瞳の色は……」


「ああ。そうさな、しいて言えば同族・・ということにはなるな。おれの子ではないが、孤児となったからには実の子のように思うことにする。昔、あれの祖父には高野山で世話になってな。何かあれば孫をよろしく頼むと言われていた」


「はぁ……見鬼であることは私も同じですが、あんな強い式神を従えているあたり、私よりもさらに神力は強そうですね」


「あれは式ではない。あの子が生まれたときに握りしめていた宝珠の精霊だ。それをおれが人の形がとれるように呪をかけた。まぁ、神力はお前よりもはるかに上だな。陰陽寮の者でも、かなうやつがいるかは怪しいな。光栄でも危ういかもしれない。それに……」



晴明は息子の瞳をじっと覗き込んだ。


「お前が今朝見た夢。その中に出てきた黒い龍。あれは、玻瑠璃のことだな」


「は?」


「白龍はお前の眠っている力。玻瑠璃がそばにいることで、お前自身も気づいていない力が、感化されて引き出されるであろうという予知夢だったのであろうな」


「……」


「まあ、未熟者同士、競い合うがいいぞ」


そう言い終わると出仕の準備があるからと、晴明はその場を去っていった。


吉平はぼんやりと父の遠ざかる後姿を見送った。あの子が女で、しかも私の夢の中に表れたあの黒龍だなんて?



桃の木の精霊たちは、自分たちを途方に暮れた表情で見上げている吉平の様子があまりにも愛らしいので、ついついうれしさのあまり枝を小刻みに揺らしてくすくすと笑ってしまった。




「おお。すごい。すごいぞ、珠王!」


東の対。


部屋の中で寝転がり、玻瑠璃は天井に向かって両手を掲げている。彼女の小さな両手のひらと指先からは、青白いプラズマのような光がパリパリと放出されている。手と手を近づけると光も近づき、遠ざけると光も長く尾を引いて遠くなる。両手はじんわりと温かい。


「ほら見ろ。こんなにもたくさんの強い気が満ちている。晴明殿が霊どもを払ってくださったとき、あのかたの気が私の中に流れ込んだようだね。それにこの邸の清らかさ! ああ! まるで播磨の家にいるようだ。鬼どもが一匹もいない」


うっとりと両手を見上げる玻瑠璃の傍らで、胡坐をかいて宙に浮かぶ珠王丸も同じような恍惚とした表情を浮かべる。


「ああ。回復というよりも、晴明殿の気を吸収してさらに力が増したようだな、玻瑠璃。私も久々に体がとても楽だ」


「うん。晴明殿の気は、なんと心地が良いのか。なんというかこう、自信がみなぎってくるかのような、誇らしい気分になる」


玻瑠璃はうっとりと自分の指先を見つめる。青白いオーラが普段では感知できないほどはっきりと見えている。




「——おや、誰か来るよ」


珠王丸は渡殿をやってくる誰かの気配をその足音よりも先に気づいた。玻瑠璃は上半身を起こす。やがて御簾の向こうに衣擦れの音とかすれた少年の声がした。


「あのぅ……吉平だけど」


「ああ、どうぞ」


玻瑠璃が答えると御簾がふわりと上がり、吉平が遠慮がちに顔をのぞかせた。


「ちょっと、いいかな」


「うん、入れば? さっきは助かったよ。ありがとう。私は玻瑠璃。これは珠王丸という。以後、よろしくな」


床の上に置いた畳に座る玻瑠璃の目の前に、吉平はおずおずと座る。すこし緊張気味に息を吐くと、彼は首をかしげて玻瑠璃を見た。


「ほんとうに、驚いたな。あれだけのものたち・・・・を、しょい込んでくるなんて」



「ああ。あれはちょっと、油断しすぎたな。都をなめていた。でももう、気の調整が済んだから外を歩いてもどうもないさ」


玻瑠璃は屈託なく笑った。先ほどまでの蒼白な顔とは違って、生気に満ちている。薔薇色のほほを見ればなるほど、の子に見える。


しかも、かなりきれいな子。


吉平の父と同じ、神秘的な灰色の瞳。




その瞳が好奇心できらきらと輝いて、吉平を見つめる。


「ねぇ、お前には弟がいるのだって?」


「うん、今日は賀茂家に遊びに行っていて、まだ帰ってきていないな。というか、まあ、いつものことなのだけれど。賀茂家のことは知ってるの?」


「まあ、世間一般的には。忠行殿が晴明殿の師で、今の陰陽頭の保憲殿がその長子で、晴明殿の兄弟子なのだろう? 陰陽道の一臈いちろう(第一人者)の家だろう?」


「そうだよ。保憲殿の長子の光栄殿も、暦得業生なんだ」


「しかし、忠行殿のほかの子供たちは学者になる道を選んだらしいね。菅公(菅原道真)の孫にあたる菅原文時殿に弟子入りしたとか」


文時は、昌泰の変と呼ばれる事件によって左遷された右大臣菅原道真の血を引く、当代一の学者の一人である。


「よく知ってるね。そうさ、次男の保胤やすたね殿と三男の保章やすあきら殿は賀茂家を出て慶滋よししげの姓を名乗り、文章生となっておられる。末の保遠殿も、兄の保胤殿の養子となって慶滋姓だが、彼は今、陰陽寮の学生なのだよ」


「慶滋保胤殿の評判は、播磨にも届いていたよ。父の忠行殿とはそりがあわずに家を飛び出して、学問を究めんと大学寮に入ったのだろう。三年前には学生や坊主どもと勧学会という念仏結社を創設した。だが何よりも、すばらしい漢詩をたくさん生み出す天才として高名だな」


「よく知っているね。私も幼いころに、保胤殿から漢文や漢詩を手ほどきしていただいたよ」


「ほう。すごいな。それで、晴明殿の長子であるお前は何を?」


「陰陽学生だよ」


「そうか。晴明殿は天文博士だよな」


「父上には出世欲というものがおありでないのさ。今のままで十分なのだって」


「なるほどね。もう一つの仕事・・・・・・・のほうが大繁盛だからな」


玻瑠璃はふふふと笑った。吉平はため息をつく。


「ほんとうに、よく死なないなって感心するよ。好きなことを仕事にしているともいえるけど、私と次郎のためでもある」


「お前たちのお母上は……」


「次郎を生んですぐ、儚くなった。それ以来、私たちの母代ははしろは花霞だ。花霞は母上に生き写しで……私たち兄弟が母上のことを忘れないようにと、父上が作った式神なんだ」


「桜の精霊だな。では、お前たちのお母上は、とても美しいひとだったんだな。うらやましいな。私は父の顔どころか何者なのかも知らないし、生みの母の顔も知らない。まあ、おじじ殿やおばば殿、育ての母や姉がいたから、寂しいと思ったことはなかったがな。それに珠王もいつもそばにいるし」


玻瑠璃に微笑みかけられた珠王丸は、照れながら上下左右にくるくると宙を回転した。


「宝珠の精霊か。生まれたときから一緒なんだって?」


「正確には、ともに生まれてきたのさ。珠王は私の分身だな」


「——黒龍」


吉平はふと、何も考えずにつぶやく。それを耳にした珠王丸が驚いて宙でぴたりと静止する。玻瑠璃は眉をひそめて苦笑する。


「何を言う? お前の頭上でひらひらしているのは、黒龍ではなく白龍だが」


「ええ?」



吉平はやっと被り慣れてきた烏帽子のあたりをおそるおそる手で探った。それを見て玻瑠璃はくすくすと笑う。


「触れられるわけないだろう? それにしてもなぜ、それ・・を黒龍と言ったの?」


「は、玻瑠璃、違う。吉平殿は自分の守り龍のことを言ったわけじゃない。なぁ、吉平殿?」


珠王丸がとっさに口をはさんだ。


「ああ、うん。今朝がた、私の夢の中に白と黒の龍が現れて……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る