邂逅
第14話
音もなく床に降り立った珠王丸は、吉平の瞳をじっと覗き込んで感心したように目を見開いた。
「なるほど、金性なのか」
玻瑠璃は目をすがめ、いら立ちの声音で珠王丸の袖を引く。
「なんだ、珠王? 説明しろ」
吉平はきょとんと首をかしげる。
珠王丸はそれぞれの反応にはお構いなしにくるりと身をひるがえして出口へ向いた。
「ちょっとまた、晴明様にお尋ねしたいことができた」
「あっ、おい、こら、珠王!」
珠王丸はいつの間にか姿を消した。残された二人は茫然と、かすかに揺れた御簾を見つめた。
「なんだ? 私は何か失言したのかな」
吉平のつぶやきに玻瑠璃は肩をすくめた。
「さぁ? そんな感じではないようだな。むしろあいつ、どこか嬉しげだったな。このところ様子がおかしい時がある。播磨を発ってから、時々な。なにか私に隠しているような……」
――ふと、静寂。
と、次の刹那、どこか遠くからひどく近くへ、低い低い地鳴りのような音が響いてきて、まさか空耳かと顔を見合わせた玻瑠璃と吉平の体が、畳の上から宙にふわりと浮き上がった。
「う……わぁっ?」
「きゃあぁっ!」
突然目の前を、七色に光る白く巨大が胴体が横切った。ふたりはその風圧で左右に三尺(九十センチ)ほど吹き飛ばされた。
「——!」
体勢を立て直す暇もなく、今度は七色に光る巨大な黒い胴体が、反対側から横切っていった。
伽羅の香のごとき甘やかな芳香が、二人の鼻先をくすぐった。
「り……りゅ、龍っ!」
畳の上にしりもちをついた吉平が叫ぶ。
白と黒の龍たちは互いの胴体を絡ませあい、大きな影のような一迅の突風となって乱暴に御簾を吹き上げると、轟音を立てて外へ出て行った。いや、そもそも、いったいどこから入ってきたというのか。
ぱさり、ぱさり……
吹き上げられた御簾がはらはらと落ちてくる。壊れてはいないところを見ると、龍たちは物理的な存在ではなかったのかもしれない。
「——は」
玻瑠璃はへたり込み両腕を畳についている。吉平も茫然としている。
「い、今のは……」
「私が今朝見た夢と、全く同じだ……」
「これは、瑞兆だと思うが……こんなことは、初めてだ。これがもしや、万寿さまの言っていた、絶から胎への変動の兆しなのか?」
玻瑠璃の独り言に吉平が息をのむ。
「先刻、父上がおっしゃったいた。お前が私のそばにいることで、私の力も目覚めてくると。相生の関係のようだが、これがその前兆なのやも……」
「相生?」
「ああ、お前には見えるのだろう? 父上が私につけた、
「その頭上の小さな白い龍のことか?」
「そうだ。そして私の夢の中の黒い龍は、お前なのだって。お前は強い水性らしいね」
「なるほど。すると白……つまりお前は金性が強いのか。ふん。まだ珠王も晴明殿も教えてくれないことに、どうやら関係がありそうだ」
玻瑠璃は呼吸を整え両手の人差し指の先を合わせ、それを額に当てて目を閉じた。
「おい、何を……」
吉平が目を見開く。と、さっと御簾が揺れ上がったかと思うと、二人の目の前に珠王丸が驚いた表情で現れる。
「おい! 何があったのだ? お前たちまさか、さっそく喧嘩でもしたのか?なんだこの、千々に乱れて混沌とした、大嵐の海のような気の波動はっ」
「いや、いまここを……私たちの目の前をな、白と黒の龍が横切って行ったんだよ」
玻瑠璃の言葉に珠王丸はああ、と大きく口を開けたまま何度かうなずいた。
「なるほど! それでこんなか。この邸はな、水脈の上……つまり、龍の通り道に建てられているのだ。しかし……龍たちが人の世界を通り抜けてゆくなど、めったにないのだがなぁ……」
「ふうん、そうなのか」
吉平は平然と会話する玻瑠璃と珠王丸を交互に見つめた。
「ちょ、ちょっと待て、りゅ、龍の通り道って、いったい何の話を……うちが? そんなの、初耳だっ!」
「風水だよ、吉平殿。水脈とはこれ龍の通り道、すなわち龍脈なのだ。この邸の下の龍脈は、深泥池、神泉苑、そして巨椋池にも通じている、偶然などではないよ。それゆえに、晴明様はこの邸を住処になさっておられる」
「……」
吉平はあんぐりと口をあいたまま絶句する。
そんな話は初めて聞いた。
龍脈だって?
そのために父上はここに住んでいる? 龍、だぞ? 龍。それも、二匹(「匹」で数え方は合っているのか? いや、「頭」かな?)。
それなのに、このふたりときたら、まるで平気な様子で当然のように……
「うん。今までも龍は何度も見たが、家の中で見たのは初めてだったな」
玻瑠璃がはははと笑うと、珠王丸はうん、と首肯した。
「たぶん、龍が好むこの清浄な結界の中の水脈の上で、しかもお前という未知の存在が水性の相生の効果で吉平殿の力を引き出して、何らかの反応を起こしてお前たちにしてもあちらにしても、意志に関係なくお互いを強力に引き寄せてしまったのかもしれないな」
その言葉に玻瑠璃は目を丸くした。
「はぁ? それは困る! いつも龍を引き寄せて吹き飛ばされるのか?」
「いいや、たまたま龍たちが通りかかったところにお前が来て結界内の気が乱れたのだろう。慣れて落ち着けば吹き飛ばされることもなくなるだろう」
うそだ、そう呟こうと吉平が口を開きかけたとき、玻瑠璃が大きく目を見開いてあっと叫んだ。
ひとつ、瞬きをした瞬間、玻瑠璃の脳裏には息をするのも忘れるほどの圧倒的な映像が飛び込んできた。
満開の、濃き桃の花。
あたり一面に散り散りに舞い踊り、それは大きな竜巻に吹き上げられ、玻瑠璃の目の前で思い切り散らばった。
桃の花吹雪!
花吹雪に顔を殴られているような……
あまりのその量に、息もできない。
びくりと身をこわばらせて立ち上がると、玻瑠璃は六尺ほど離れた御簾めがけて両てのひらを突き出した。
「ああっ?」
吉平が短く叫ぶ。
玻瑠璃の気によって、触れてもいないのにすべての御簾がきれいに巻き上がり、
「あああっ!」
庭は一面の桃色に覆われていた。
満開の桃の花が乱れ飛び、高欄も廂も渡殿にも吹き降りていて、桃色のまだら模様を作っていた。
「うそだっ! まだ固いつぼみだったはずだっ!」
吉平の唇がわなわなと小刻みに震える。
ふわふわと宙を浮いた珠王丸が高欄に寄って、ぽんと手を打った。
「そうか! 水脈は磁場でもある。龍が通ってさらに強い引力が加わり、磁場が狂って桃の花が一気に咲いてしまったのだろうな」
玻瑠璃は困惑して首をかしげた。
「しかしなぁ。龍が通るたびにこんな風に何かが起こるのか?」
「いいや、言ったろう? お前がここに馴染めば、問題なかろう。今回は龍が来る前にたまたまお前が気を放出して遊んでいたからな。それでよけいに、引っ張る力が強くなったのだろう」
玻瑠璃はあきれてため息をついた。なんと、面倒なところに厄介にならなければいけなくなったのだろうか。彼女は廂に歩み出てみた。
濃い紅の花びらの絨毯。
庭もピンクの雪に埋もれているようにあちこちが花だらけだ。びゅう、と冷たい風が吹いて花びらをひらひらと宙に舞いあげる。
それらは小さな小さな桃色の蝶たちのようにひらひらと舞ってきて、玻瑠璃の髪に肩に手のひらにふうわりと降りかかった。
「——驚いたけれど、まあ、面白いことにはなりそうだね。ここは都のど真ん中なのに、龍が釣れるわけか」
玻瑠璃は灰色の美しい目を細めてくすりと笑んだ。
吉平はというと、桃が狂い散った一面桃色の庭を、ただただ、茫然と眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます