第11話

奥から吉平が父をせかしてやってくる。


 ひさしに出て外の明るさに目を細めて、きざはしにぐったりと寝転がる童姿の玻瑠璃を見ると、晴明はあきれて苦笑した。


「おい。ずいぶんと、たくさん引き連れて入ってきてくれたものだな。この邸は結界が張られているから、くっついてきた者たちもお前から離れるに離れられず身動き取れずにとどまっているのだよ。不浄なものの持ち込みは今後遠慮願おう。外で落としてから・・・・・・連れてくるべきだったな、忠明よ」


 はじめは玻瑠璃に、そして後半は忠明にそう言う。「私の専門外ですが」と忠明は苦笑する。




 涼やかなその低い声を聴いた玻瑠璃は苦し気に呻きながら答える。


「む、無理だって……いったのに、こいつら、どんどんのしかかってきたから……うう、頭が割れそうだ。首が重すぎて、気持ち悪い……」


 晴明はやれやれとつぶやいて印を結び九字を切った。「四縦五横」と省略形の真言を唱え、袈裟懸けに刀印を切る。


 すると、真っ青だった玻瑠璃の顔色がみるみる赤みを帯びた。胸を押し付けていた苦しさから解放され、玻瑠璃はようやく呼吸することができるようになる。



「う……わあっ……!」


 吉平の目の前を陽炎かげろうのような霊たちが、ものすごいスピードで空高く散り散りに飛び去って行った。横にいた忠明は吉平の視線を追うが、何も見えずに口をぽかんと開いている。


「あ、あんなにたくさん乗せていたのか? そりゃあ重いはずだな……」


「吉平、お前何か見えたの?」


 忠明の問いに吉平はこくりとうなずいた。


「ああ。かなりの数の亡者どもだった。人とか、犬猫とかね……」



「あー! 重かった! ふぅ。助かった……」


 玻瑠璃は上半身をひねって階に肘をつき、その反動で身を起こした。


「まったく。京中のすだまどもを、おなもみのようにくっつけてくるなよ」


 深呼吸して表情を緩める玻瑠璃を見下ろし、晴明はまた苦笑して、玻瑠璃を心配そうにのぞき込んでいた珠王丸に視線を落とした。珠王丸はその視線にはっと気づくと、晴明にぺこりと頭を下げてうれし気に言った。


「お懐かしゅうございます、晴明様」


 晴明はふっと微笑んで小さくうなずいた。


「十数年ぶりか、珠王丸よ」


 玻瑠璃は息をのんで顔を上げる。そして驚きのあまり叫んでしまう。


「ああっ!」


 それと同時に、玻瑠璃の顔を見た吉平と忠明も驚きの叫び声をあげる。


「ああっ?」


 玻瑠璃は晴明の瞳の色が自分のと同じ灰色なことに驚き、吉平と忠明も、晴明と玻瑠璃の瞳が同じ色なことに驚いたのだ。


 しかし晴明は少しも動じることはなかった。玻瑠璃の顔ではなく、その頭上をしばし何かを目で追うように見つめてからにっこりと笑んだ。


「どうやら待ち人来る、といったところだな」



 

 西の対。


 日当たりのよい簀子縁。二人の少年は庭を向いて座っている。高欄の向こうの庭には、大きな紅梅の気が満開である。



 春。


 のどかな春だ。



「おおぉい、よーしーひーらーぁ!」


 庭を横切ってかけてきた少年が、薄萌黄色の狩衣の袖をちぎれんばかりに振りながらやってくる。


 二人の少年たちは子犬のように元気に走り寄ってくる狩衣の少年に気づいて微笑む。


「お、綱」


「来たか」


「よお! 忠明も来ていたのか。二人とも、久しぶりだな」


 吉平よりも一寸くらい背が高いが、体格はそう変わらない。しかし、日に焼けていて腕白坊主といったかんじ。少年は軽い身のこなしで階をひらりと飛び越えて、吉平と忠明の前にどっかりと座った。


「おおおぉ? 何喰ってるんだ? 菓子(果物)かぁ? 甘いにおいがする」


 二人の前に置かれている黄色い菴羅マンゴーの果肉を見て、そう言うか言い


「ほえぇ! 珍しいものなのだな。瓜や甘蔓あまづらとは違った甘さだな」


 少年は屈託なく笑った。




渡辺源次綱わたなべのげんじのつな



彼はもうひとりの吉平の親友で、貴族ではなく武士もののふである。ご近所に住んでいて、年は吉平より一つ下の十四、すでに元服していて剣術の腕前はなかなかのものだ。


貴族ではないとはいっても元をたどれば嵯峨天皇の血筋に当たる。武蔵の国生まれで幼くして両親を亡くし、母の妹である叔母夫婦のもと大自然の中でのびのびと育った。


そして十二の時に祖父・多田源次満仲ただのげんじのみつなかの家に引き取られ、母のもう一人の妹夫婦の養子となって京に住んでいる。今は叔父にあたる――とはいっても五つしか年が違わない――頼光に、弟のようにかわいがられながら武芸に励んでいる。


天真爛漫で武勇に優れ、心優しく人が好い、素直な少年である。


彼が京に来るなり吉平と知り合い親友となったのは、ご近所で年が近かっただけが理由ではない。必然の偶然というか偶然の必然というか綱には見鬼の才があり、それが彼らを引き合わせたというか「類は友を呼ぶ」というか、そういうことだった。



「あれ?」


綱はきょろきょろとあたりを見回して、こてんと小首をかしげた。


「なに? どうかしたの? 綱」


吉平の問いかけに綱は反対側に首をかしげる。


「うーん、珠?」


「え? たま?」


綱によると、彼の脳裏にはなにか白くて丸いものが思い浮かんだらしい。


「なんだろう……ここに来た途端、なぜか頭に白っぽい珠がぼんやりと思い浮かんだ。このうち、なんだかいつもと雰囲気が違う。何かあった?」


吉平と忠明は顔を見合わせた。そして綱を見て忠明が尋ねる。


「綱、それって、いつもの……鬼やらすだまやらが見えるっていう、そういうたぐいのものかな?」


「よくわからない。でも、目の前に海が見えた」


「海?」


吉平が首をかしげる。忠明はああ、と首を縦に振る。


「あれじゃないか? あの二人の気か何かを、感じ取ったんじゃないか? ほらたしか、播磨の国から来たって言ってなかったっけ?」


「あーぁ、なるほどね。確かに二人ともそれぞれにすごい気の持ち主だな」


「吉平、お前も見えたのか?」


「うん、特に倒れていたほうの子の気は何て言うか、言葉ではうまく表せないけれど、しいて言えば、うちの父上と同じような感じに似ていたな」


「……」


「……あ」


忠明が眉をしかめる。吉平は忠明が考えたことに思い当たり、はっと息をのむ。綱は好奇心を丸出しにして二人の顔を交互に見つめる。


「なに? なんのこと? 二人って、誰と誰のこと?」


「実はさ、つい半刻ほど前に父上に客人が来たんだよ。私たちくらいの童が二人で……播磨の国から来たらしいんだ」


「へぇ? それではそいつらの気が、ここの結界の波動を揺らしているのか。童なのに、こんなにすごい気の持ち主か」


「それがさ、綱。ひとりは父上と同じ色の目をしているんだ」


「えっ? それって、つまり、その子はお前の……」


綱は吉平にずいと詰め寄った。しかし吉平が目を反らしてうつむいてしまったので、今度は忠明を振り返った。彼は年長者らしく落ち着いて綱の視線を受けてゆっくりとうなずいた。


「うん、今、そのことについて話していたんだ。晴明殿と同じ色の目をしているということはさ、つまりは……」



繊細な話題に言葉を選び、慎重に話そうとする忠明の意図を遮り、綱は悪気なく切り込む。


「あ、吉平と次郎の、異腹ことばらの兄弟なのか?」


忠明はひっと息をのむ。


吉平ははぁ、と深いため息をついて丸く目を見開く綱を一瞥して頭を抱えた。


「そう思うよなぁ、普通。一緒にいたもう一人の童は、実は人の子ではないみたいだし。播磨からはるばる父上を訪ねてきたのだものな……」


「うぅん? その子は似ているのか?お前のおやじ殿に……?」


「似ているも何も……同じ色の目をしているのだよ? 私も、次郎も受け継がなかったのに。今、寝殿で父上と話しているが、寄る辺のない身の上らしいから、ここに住むことになるのだろうな。だからたぶん、あの子は父上の……」


「ふん。お前よりも年が上なのか?」


「十四、と言っていたからお前と同じだね。私より年下だ。でもまだ元服前のようだ」


吉平の言葉に、忠明はえ、と驚く。


「なに? 忠明」


吉平が首をかしげる。忠明は首を横に振った。


「あ、いや、なんでも……ないよ」


男の格好をしていたけど、あれはどう見ても女だぞ? 元服はまだしていないのではなく、一生しないだろう? そう思ったが、忠明は力なく何でもない風を装った。


「あいつ……ただものではないよ。すだまをあんなにごっそりと背負っていたのに、正気だったんだから。目の色だけじゃない、気の色まで父上と同じだ。それに、連れの童はきっとあいつの式神だな」


「へぇ。童なのにもう式が使えるのか。それはすごそうだ」


「うん。だからきっと、私や次郎よりも濃く、父上の力を受け継いでいるに違いない」


吉平は小さな頭をがくりと垂れた。その隙に忠明は綱に目配せをする。綱はそれを受けて、落ち込む吉平の肩を叩いてあははと力なく笑った。


「はは、うん、まあ、もし異腹ことばらの弟であっても、仲よくすればいいさ。そのうちおやじ殿が話してくれるだろう。それにさ、お前が安倍家の長子であることに違いはないみたいだしな!」


「そ、そうだよな。そうすればいいさ、な、吉平」



忠明も綱とは逆側から吉平の肩を叩いた。


「うんうん。おれもさ、多田家では養子だけどさ、みんな良くしてくれているよ」


あはは、と力なく笑う親友たちを交互に見て、吉平は再び深いため息をついた。




別に、異母兄弟の出現がショックなのではない。


ただ、その子が自分は受け継がなかったものを父から受け継いでいたことに、妙にむなしさを感じたのだ。


そして明らかに自分より高い神力を持っているであろうことに対しても、大きな敗北感を感じたのだ。今まで、誰に対しても感じたことのない大きな焦燥感に重くのしかかられて、ただただ戸惑っていた。


「あ、そ、そういえば次郎は? あいつは、なんて?」


綱の言葉に忠明は首を横に振った。


「いつものごとく、今日も賀茂家に遊びに出ているようだよ。あいつが帰ってきたら、またひと騒動かな」


「あぁ、そっか」


綱は苦笑した。


吉平の弟の次郎は十二歳、まだ元服前である。どじでおっとり者の吉平とは違い、気が強く好き嫌いがはっきりとしていて、なんでも器用にこなす。将来は優秀な術師になると見込まれて、賀茂保憲にかわいがられている。


晴明の兄弟子である保憲は、目の中に入れてもいたくないほど溺愛している愛娘を、次郎が元服した折に添わせようと考えているらしい。それは保憲が吉平をないがしろにして次郎をかわいがっているということではなく、ただ単に保憲の娘が次郎の幼馴染だからである。そして吉平は、保憲の愛娘が苦手なのだ。


「本当に私の異腹の弟なのだろうか……」


吉平の悲観的なつぶやきに、綱と忠明は途方に暮れてまた顔を見合わせた。

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