跋
第53話
ひらひら、ひらり。
ひら、ひら……ひら。
ひらり。
さらさらさらら……
雲母のかけらのように日の光を浴び、その身に吸い込み、きらきらと輝きながら風に弄ばれて舞い散る花びらたち。
祇園社の裏手は、満開の桜の花の園。
玻瑠璃は社の前で手を合わせている。
「何をそんなに熱心に祈っているのさ?」
背後から吉平が訊ねると、玻瑠璃は彼を振り返って微笑んだ。
「おばば殿や姉さまが、迷うことなくあの世に行けますようにって」
「ここは疫病除けの神じゃないのか?」
「坊様もおられるし八百万の神々もおわす。祈っておけば誰かが聞いてくれるだろう」
「また、適当なことを言ってお前は……」
吉平は苦笑しただが、玻瑠璃らしいなと納得もしてしまった。
明け方に晴明とさまざまな話をしてから、玻瑠璃にはとても気になっていることがあった。
夢の中に出てきた、あの優美な男。
あの男は、一体誰なのか。
「なぁ……吉平」
「うん?」
「播磨にいたときに、同じ夢を何度も見たんだ。世にも美しい公達がよく夢に現れて、私を京に呼ぶんだ。うす色の狩衣に縹の袴の、すごく優美な男だ。私の手に持つ宝珠を指さして、仕切りと京へ行けと言っていた」
「ふうん。誰なんだ? 知り合いか?」
「いや。京に来たばかりの頃は、それは晴明殿だったと思っていたんだ。実際、よく似ているような気がしたし。でもなんていうか……なんか、どこか違うんだ。まあ、いずれにしてもあれが一体どこの誰なのか、なぜ私を京に呼ぶのかと気になって仕方がなくて……」
「お前がうちの父上と間違ったのなら……その夢の中の公達はもしや、その……ほら」
吉平は言いよどんでから、二本の指を立てて自分の目を差し示した。玻瑠璃はこくりとうなずいた。
「ああ、そうだよ。灰色の瞳をした人なんだ。もしかしたらあれは……ふと、思ったのだけど、私の父上なのかもなって……」
「そうか。そうなのかもな。どこかで生きておられるかもしれないな。会ってみたいのか?」
「うーん。会うことそのものよりも……会えればいろいろと訊いてみたいな。そうすれば、知りたかった謎が解けるかもしれないしな。でもまあ、別に会わずともよいとも思う。私にはもう、お前たちがいるから」
「うん、そうだな。父上も娘ができたみたいで嬉しそうだし。私も次郎も、お前がいてくれて嬉しいし。それに……」
吉平は遠くから自分たちのほうにちぎれんばかりに袖を振りながらぴょんぴょん跳ねる綱と、その横で同じく袖を振る忠平たちのほうを見て微笑んだ。
「あいつらも挙賢や義孝も、みんなお前がいてくれて嬉しいと思ってるよ」
「うん。だから、寂しいなんて感じる暇はないな。お前たちは精霊たち以外で初めての友達だから」
玻瑠璃も二人を見て微笑んだ。
「おぉい! おまえたちぃ、早く来いよ! 挙賢と義孝が舞を舞ってくれるよ! 玻瑠璃のために! 吉平は横笛を吹けってさ!」
綱が全身で叫ぶ。彼の声は少年と大人の男の中間で、酷く掠れている。
「わかった! 今行くと伝えておいてくれ!」
玻瑠璃も大声で返答した。
初めて京に来てひと月と半あまり。とても早く時間が経ったが、その間に様々なことがいっぺんに起きた。
最高の神変の力を持つ陰陽師に出会い、龍や鬼、生霊や亡霊、火性の強い男にも会った。小賢しい唱聞師や妖術使いの女にも会ったし、異国の動物の地縛霊にも会った。もとより神力は並みの術師よりは強かったが、ここひと月半でかなり成長した。
なにより、自分でも知らなかった封印が解きかけて、とてつもない力が発揮された。そして自分が何者なのか、なんとなく知ることができた。
失ったものは大きい。あまりにも大きかった。でもそれは成長するための定めだったと、夢の中の祖父は言った。
死んだ祖母も、その定めを知っていたのだとしたら……あまりにも悔やまれるけれど……
もう、前を向いていくしかない。
反魂された姉を救えたことが、ささやかな安堵感として胸に残っている。
(でもきっと、ひとりだったら気が狂っていたかもしれない。たとえ珠王がいてくれたとしても……)
自分に笑顔を向ける吉平を見て、玻瑠璃は奥歯をかみしめて泣きそうになるのを堪えた。
「行こう」
吉平が手を差し出した。玻瑠璃はにっこり笑ってその手を取った。
「そう言えばさ、お前に会わせたい私の友がいるんだった」
歩きながらが羅玻瑠璃はくすくすと笑う。
「うん? 誰?」
「神泉苑の黄龍や、巨椋池の雨龍。それから、鹿島の万寿様」
「えっ? こ、黄龍に雨龍だって? そ、それに万寿様って……?」
「万寿様はもう百歳以上のおじじの海亀さ」
「は、はは……楽しみにしておくよ」
「うん。いつか、な。それからあいつにもまた会いに行かないと」
「あいつって、もしや……」
「うん、野相」
にやりと笑む玻瑠璃を見て、吉平は力なく苦笑した。
吉平の肩に、玻瑠璃の袖に、桜不吹雪が降りかかる。あたりは一面あわい桜色に満ち溢れている。
既視感。
さらさらと花びらが小さなつむじ風に吹き上げられたが、それらはあの美しい公達の姿に変わることはなかった。
ひときわ大きな満開の桜の気のもとには、少年たちが座り、楽しげに話している。広い桜の園には、少年たち以外誰もいないのは、普段は親の権力を嫌う一条兄弟が、今日だけは権力を行使してこの桜の園を貸し切りにしたようだ。
一条兄弟は桜重ねのおそろいの狩衣姿で、舞を舞う気満々に見える。玻瑠璃と吉平がやって来るや否や、吉平を捕まえて横笛を吹けと催促する。珠王丸も玻瑠璃の懐から出てきて、篳篥を吹かされる羽目になる。
玻瑠璃は忠明と綱と三人で座り、一条兄弟の舞を楽しんだ。
そのうち玻瑠璃が義孝に引っ張られて、彼らとともに舞を舞う羽目になる。綱は大の字に寝転んで居眠りをはじめ、忠明はにこにこしながら三人の舞を鑑賞し続けている。珠王丸と吉平は合奏を続け、似たりの兄弟は玻瑠璃をはさんで優雅に舞い続ける。
京に来て、一番うれしかったこと。
それは彼らと出会ったことだ。
初めてできた、あやかし以外の人の友たち。
この先、何か大変なことや困難なことが起きても、きっと助け合えるだろう。助けられなくとも、助けると誓う。
父親代わりで師でもある晴明と、兄弟のような吉平と次郎。桜の精の花霞。そして吉平の友人たち。
春霞の桜の園には、その日は夕暮れまで楽しそうな声が響き渡っていた。
花闇 しえる @le_ciel
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