宝珠

第51話

「かわいいちぃや。これは避けられない定めであったのだ。私もおばばもお前の母も、それぞれに深く悩んだのだ。お前が生まれたときあまたの星々が海に降り注ぎ、明け方に瑞雲が現れ、都から晴明殿が参られた。そして水鏡が命を落とした後、お前が龍族の血を引く者であると教えてくださった」


「……」


祖父は孫娘の頭を撫でながら語った。玻瑠璃は袖に涙を吸い込ませ、おとなしく話を聞いている。


「お前がお前の稀有な運命に負けぬよう、どんなひどいことが起きても道を失わずに生きて行けるようにと、その日私とおばばは誓ったのだ。われらの持つすべての智と力をお前に授けようと、厳しいことをたくさん課したな。幼子ながら恐ろしい程の神力を持っていたお前は、まっすぐに育ってくれた」


「おじじ殿……」


祖父の手のぬくもりが優しくて懐かしすぎて、玻瑠璃の目の端から暖かい涙があふれ頬を伝う。


「女子の身では過分な重荷を背負うことになるが、誇りを持ち、己の心の赴くがままに生きよ。お前は私のかわいい孫であり、唯一の弟子でもあるのだ。お前の幸せを願っている。今やお前は都で新たな師を得た。晴明殿は神力の扱い方ばかりではなく、人としての道も教えてくださるであろう。困ったことがあれば何でも相談して、実の父のように頼るがよい」


大きな温かい手の感触が、とたんに薄い陰となって消えた。


「おじじ殿……」


玻瑠璃は涙の筋を両頬に付けたまま、祖父の消えた空虚にそっと手を差し伸べた。


心は、日の光を反射させて輝く朝凪の播磨の海のように、穏やかで新しい何かに満ち溢れていた。





ひんやりとした細い手が、宙をさまよう玻瑠璃の手をそっととらえた。



ゆっくりと意識が浮上する。


目を開けると、玻瑠璃は微かな笑を口元に浮かべ、かすれた声で言った。


「珠王……」


生れたときから見慣れた、心配そうな表情が玻瑠璃を見下ろしていた。彼は宝珠の精霊だから、年を取らない、ずっと少年のままだ。だがひんやりと冷たい宝珠を握っていると体温が移り暖かくなるように、珠王丸にも一緒の年月を過ごすことで玻瑠璃に対する情が深くなっていると、玻瑠璃は思っている。


くす、っと彼女から笑いが漏れたのを見て、珠王丸は安堵のため息をついた。


「お前は幼い頃から、とんでもないことをやらかして私を振り回したけれど、最近は時にひどい。心配し過ぎて私がいきなり砕け散っても、知らないからな」


「はは。最近、こんなのばかりだな。いつも目が覚めると、お前の心配そうな青い顔が私を覗き込んでいる……な、珠王」


「都に来てから、いろいろなことが変わったから仕方がないことだとは思うけれど。それにこれが、成長なのかもしれないしな」


珠王丸は困ったような嬉しいような複雑な笑みを美しい顔に浮かべた。


「夢の中で……誰に会ったと思う? なんと、今まで一度も出てきてくれなかったおじじ殿に会ったんだ。すごく、嬉しかったよ」


「そうか……」


「うん。おじじ殿が言っていたんだ。誇りを持ち、己の心の赴くがままに行きよ、とな。私はまだまだ未熟者だから、復讐は諦めきれないけれど……晴明殿にもおじじ殿にも諭されたら、今すぐにはできないなと思いとどまることにした」


「玻瑠璃……」


「もっと力をつけて、自在に操り制御できるようになったときに、あらためて考えてみることにするよ。己の復讐心だけでなく、周りの人たちのことも考えられるようになってから、な」


「うん、いい考えだ」


「だがな、珠王。もし……もしも、何かが起きて私が私を止められなくなったときは、お前の手で私の胸をご神剣で突いて成敗しておくれ。お前は私の分身、私の神聖で高潔な一部なのだから」


「——お前が悪に染まって暴走したら、私も悪に染まるよ。だって、私はお前なんだもの」


「馬鹿を言うな。お前は私の守護精霊だ。私が穢れたら、お前があと始末をつけなくてどうする? もちろん……そうはならないように、十分気を付けるけどな」


玻瑠璃は疲労の広がる白い顔に穏やかな笑みを浮かべた。珠王丸は彼女が数か月前の孤児となった時から今までに、大きな成長を遂げたことを認めて嬉しさに内心震えながらもおどけた笑みを見せる。


「なに、馬鹿はお前だろう。そんなことが起こるはずはないんだから。晴明様がいらっしゃるもの」


「はは。お前が馬鹿なら私も馬鹿だし、私が馬鹿ならお前も馬鹿だ、当然だな。そうだな、ここはとても暮らしやすい。播磨のうち以外でこんな清浄な場所は初めてだ。晴明殿も吉平も次郎も花霞も……吉平の友たちも……皆優しく私の味方だ」


「親しいものたちが精霊ではなく人であることは、お前にとってもいい影響になるさ」


「うん……だが、私の一番の親しい友は、やはりお前だよ」


二人は見つめ合う。同時にこの世に生まれたもの同士が持つ特別な感覚でつながっている、二人にしかわからない確実な何か。


久方ぶりに、二人は心からくつろいだ。



「あーあ、すっきりしたら、なんだか腹が空いてきた」


玻瑠璃はぐんと伸びをした。腹をさすり苦笑すると、珠王丸は宙に浮きあがりぱん、と両手を合わせた。


「では、花霞に言って朝餉をいただいてきてあげるよ!」


彼は目にも留まらぬ速さで消えた。玻瑠璃はふっと笑みを漏らした。



珠王丸がいなくなってすぐに、渡殿を走ってくる軽い足音が響いてくる。


「はーるーりーっ! 玻瑠璃、いるっ?」


声と共に次郎が子犬のように転がり込んできた。

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