第31話 エミリーの密命

 春之信さんが去ってから、ぼんやりと庭を眺めているとエミリーが声をかけてきた。とてもニコニコしているのが気になるんだけど。


「春之信様とずいぶん打ち解けられたご様子でしたね」

「そうかしら?」

「ええ、そりゃもう! これはランドルフ侯爵夫人にご報告をしなければなりませんね!」

「は? ちょっと、待って。どうしたらそういう話になるの?」

「こちらに来る前、夫人からマグノリア様にいい人が出来たら報告するようにって、密命を受けております」


 自信満々に、どんっと自分の胸を叩いたエミリーは満面の笑みだ。

 密命って、私にばらしてしまったら、すでにもう失敗じゃないのかしら。

 

「いい仲って……春之信さんとはそういうのじゃないわよ」

「でも、見つめ合ってたじゃないですか。手を握りあって、熱い眼差しで!」

「ち、違うわよ! あれは、私が恒和に来た経緯を知った春之信さんが、大変でしたねって励ましてくれただけで」

「国での男事情をお話になったんですか!?」

「男事情って……私の夢を理解してくれる人がいなかったって話しただけよ」

「それを大変だったと分かってくれたということは、やはり、春之信様はマグノリア様を思って下さっているのですよ!」

「……もう、どうしたらそう飛躍できるのよ」


 力説するエミリーに呆れながらも、つい先ほど握りしめられた指先が気になった。

 温かくて大きな手だった。ごつごつとした指で、お父様やお兄様と同じようなタコが出来ていて、きっと、毎日のように刀を振るって鍛錬をしているのだろう。


 ふと、刀に手を添えた春之信さんの姿を思い出した。

 物静かな彼とは違う、鋭い気配。あれは、私を守ろうとしてくれていたのよね。それに、さっきだって私のことを気にかけてくれていた。ご好意は感じる。でも、きっとそれは彼の優しさで……


「好きでもない女性の手を握ったりしないと思いますよ」

「そうかもしれないけど……でも、きっと彼は誰にでも優しい人よ」

「どうしてそうなるんですか?」

「だって……彼は部屋住みだもの。自由に恋愛をできる人ではないわ」

「部屋住み?」


 エミリーは、さっきの私と同じように首を傾げた。


「嫡男でない男児をそう呼ぶそうよ。そして、彼は……体の弱いお兄様にもしものことがあった場合、後を継ぐため、ここにいるんですって」

「へー、そうなんですか」

「何よ、その軽い反応」

「だって、そんなこと二人の間に関係ないですよね?」

「え?」

「ご結婚問題となれば、とんでもない壁ではありますが、お二人とも婚約者がいないとなれば、いい仲になっても可笑しくないですよ」

「いやいや、駄目でしょ! 私は国外の女よ。それも、五年後にはいなくなるかもしれない」

「マグノリア様は、ここで生きていくために、今、頑張っているんですよね? なら、問題ないです! なんなら、春之信様と結婚できるくらいの大きな後ろ盾、見つけちゃいましょう!」

 

 なんて前向きなんだろう。

 きっと大丈夫ですと、根拠のない自信で突き進むエミリーを見て、可笑しくなってきた私は堪えきれない笑い声を零した。


「もう、だから何でそういう話になるのよ」

「だって、マグノリア様。こちらで伴侶が見つかれば、堂々と帰国しないで済むじゃないですか!」

「だからって……私のワガママに、春之信さんを付き合わせたらいけないわ。そもそも、そういう仲でもないし」

「私には、そういう仲に見えます」

「一度、診療所で目を見てもらった方が良いかもしれないわよ」

「では! ランドルフ侯爵夫人にご報告をして、私の目が節穴かどうか判断していただこうと思います」


 密命だといっていたし、これはどう私が止めても手紙を書くということか。

 肩をすかして「ご自由にどうぞ」といえば、エミリーの顔がぱあっと華やいだ。


「ではでは、マグノリア様、詳細をお伺いしますね」

「詳細って……」


 そんなものはない。といって、このあとエミリーは、春之信さんのことをどう思っているのか根掘り葉掘り聞き出そうとした。

 春之信さんは優しいし、頼りになるし、とても誠実な方なんだろうなって思ってる。好きか嫌いか聞かれたら、好きだけど。この時はまだ、それが恋心なのかと問われたら、そうだと頷くことは出来ないでいた。

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