第49話 出来上がった廉価版

 秋風が心地よく吹き抜ける頃、出来上がった化粧水が大名家に献上された。藩主様は大層気に入って下さり、早々に白江城下の大名屋敷に届けようといってくれた。これで、奥方様も気に入って上手く話しが進むと良いのだけど。


 それからしばらくした、ある日のことだ。

 盗人も霊孤泉襲撃の犯人も見つからず、大人しく藤倉の屋敷ですごしていた私のところに、ドワイト商館長は献上品の廉価版を持ってやってきた。


「これが新たに売り出す姉妹品だ! どうだ。なかなかの出来だろう」


 パッケージは二つ。どちらも浮世絵があしらわれ、とてもお洒落な仕上がりだった。

 一つは柚子をもった緑のドレス姿の女、もう一つは白い花に囲まれた紺色のドレス姿の女が描かれている。すました顔の赤毛姿は、私だそうだ。


 瓶を手にとって、恥ずかしさが募っていく。

 献上品に浮世絵は描かれていなかったから、没になったもんだと思っていた。まさか、廉価版に使うだなんて。献上品なら、そう周りに見られることもないって思っていたのに、これでは、多くの人に見られてしまうではないか。


「……てっきり、私がモデルになったものは没になったものだと思っていました」

「はははっ、何を言い出すかと思えば。市中に出回るものこそ、パッケージが重要だろう!」

「マグノリア様、お美しいです~!」

「この絵の女が噂の薬師だと噂を流せば、宣伝効果は倍増だと思わないか?」

「噂好きな女中さんにも、いっぱい宣伝しましょう!!」


 上機嫌なドワイト商館長とエミリーは、楽しそうに笑い合っている。


「なかなかよい見た目だな。廉価版と言っても、品質は良いのだろう?」

「当然でございます。井戸水を使って生成してますが、量産品とは思えない質となっています」


 誇らしげに言い切るドワイト商館長を見て、藤倉様は満足げな顔でうんうんと頷く。


 献上品は霊孤泉の水を使って私が生成する特注品だ。廉価版も商館にいる薬師たちによって生成されているが、限られた魔力で大量生産するとなれば、多少の質が落ちるのは致し方ない。だからこそ、お手頃価格を銘打てるという訳だ。

 

「その噂を流す手伝いは、こちらでもしよう」

「ありがとうございます」

「なに、女中に一本ずつ買い与えればすむだけのこと。後は勝手に市中で触れ回るだろう」


 これは面白くなるぞとばかりに、藤倉様とドワイト商館長は顔を見合って笑った。


「そうと決まれば、私は早急に取引相手と商談をしませばなりませんな」

「なんだ、ドワイト。茶の一杯くらい飲んで行けばよかろう」

「善は急げといいましょう。お気持ちだけいただきます」


 そういって、ドワイト商館長は忙しそうに退室していった。飽きれるくらい彼は根っからの商人ね。あの年になっても結婚もせずに商売を続けられる理由が、なんとなく分かったように思えた。


「やれやれ、忙しい男だ」

「でも、頼もしい限りです」

「であるな。しかし、ドワイトの好物、十三里も用意しておったのだがな」

「じゅうさんり?」

「まだ食したことはなかったか? なら、今すぐ用意をさせよう。春之信、厨房にいって参れ」


 私の反応に気をよくした藤倉様がそういうと、春之信さんは席を立って厨房へ行ってしまった。

 さて、十三里とはなんだろうかと首を傾げていると、藤倉様は少し冷めたお茶を啜って一息つき、私を呼んだ。


「マグノリア殿、こちらの生活にはもう慣れたか」

「はい。皆さんが親切にしてくださいますし、最近では、女中さんもエウロパの言葉を知りたいと話しかけてくださいます」


 実は、女中さん達の休憩時に会話の勉強会までやっている。私やエミリーは恒和の言葉を知ることが出来るし、とても有意義な交流会となっていることを話すと、藤倉様は嬉しそうに頷いた。


「そうか。良き交流が出来ておるのだな……春之信はどうだ。少しはマグノリア殿と会話が弾んでおるか?」

「勿論です。いつも春之信さんには助けてもらってばかりで。感謝をしてもしきれません」

「ほう、あの春之信が……あまり口数の多い孫ではないが、そうか、マグノリア殿から良い影響を受けているようだの」

「通訳をして下さるとき、悩まれることもありますが、いつも丁寧に分かりやすい言葉で言い換えて──」


 いいかけて、はたとあの手紙のことを思い出した。そういえば、まだあの文の意味を春之信さんに聞いていなかったわ。


「ん? どうした、マグノリア殿」

「え、あの……『行く水に数書くよりも儚きは思はぬ人を思ふなり』とは、どういう意味でしょうか?」

「古い和歌であるな。どこでそれを聞いたのかね?」

「先日倒れた時、春之信さんから頂いた手紙に書いてありました」


 やっぱり和歌だったのね。古いってことは、誰かが詠んだものを引用したということかしら。

 私が首を傾げていると、藤倉様は少し驚いたように目を見開いた。その表情が、どこか春之信さんに似ていて、少しだけドキリとする。


「ほほう、あの春之信が。恒和には、思いを伝える文に和歌を載せる風習があっての。春之信は、随分古い和歌を引用したようだな」

「そうなんですね。その意味をお教えいただきたいのですが」


 それを知れば、喉に小骨が突っかかったような何かがすっきりするような気がした。


 不安と期待に鼓動が早くなる。

 藤倉様は、さてと呟いて顎辺りを少し摩る。古い和歌だといっていたし、意味を思い出そうとしているのだろうか。その答えを待ちわびていたその時だった。

 ふわりと甘い香りが漂ってきた。それは次第に濃くなっていく。


「これは……藤倉様?」


 何が起きたのだろうか。

 目の前にいたはずの藤倉様の姿がなくなっている。それだけじゃなくて、赤い霧がどこからともなく流れ込んできた。


「藤倉様!?」


 ゆらゆらと揺れ、次第に濃くなっていく霧の中で叫んでも返答はない。その代わり、知らない声が、といった。

 きいたって、どういうこと。


 まるで果物が熟したような、濃い匂いが不安を掻き立てていく。

 ここから逃げた方がいい。そう判断するのは、どうやら遅かったようで、立ち上がろうとしても膝に力が入らなくなっていた。


「藤倉様……逃げて……」


 霞む視界の中に人影を見て、私はそう呟くのが精いっぱいだった。どうにか藤倉様を助けようと、手を伸ばした時、後で何かが倒れるような音を耳にした。


 背筋をつめたいものが滴り落ちる。

 身の危険を感じる中、譫言のように、私は春之信さんの名を呼んでいた。すると、それに応えるかのように、霧の中、彼の顔が浮かんだ。

 

「薬師殿、ここは危険です。お逃げ下さい」

「危険って……藤倉様は?」

「すでに、部屋を出ました。失礼します」


 そう言った彼は、唐突に私の手を掴んだ。ひやりとした手に引き寄せられ、私の体は軽々と抱え上げられる。

 甘い香りがさらに濃くなっていく。それは、春之信さんからいつも漂ってくる香袋の香りを消してしまうくらい濃厚で、思考を痺れさせていった。

 腕に抱えられ、どうすることも出来ずに息を飲む。

 あれ、これって……もしかして、毒なんじゃ……


「春之信、さん……これ……吸っちゃ、だ……」


 吸っちゃダメと言い終える前に、私の意識は混濁した。

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