第42話 急変する空模様と顔の分からない魔術師

 霊孤泉の湧き水を採取して帰りの石段を降り始めた頃、空を雲が覆い始めた。さっきまでいい天気だったのに、一降りきそうな厚い雲だ。


「急いで山を下りた方が良さそうですね」


 前を歩く春之信さんが低く呟いた。

 ぞくりと背筋が震えた。嫌な感じがする。敵意……いいえ、これは魔力!


「春之信さん!」


 咄嗟に叫んで、彼の背に手を伸ばした時だった。強い風が背後から吹き上がった。木々がざわめき、木の葉が散る。


 明らかな異変に、春之信さんと武士の皆さんが身構えた直後、足元の石段がガタガタと音を立て始めた。かと思えば地面が突き上がり、太い木の根が蛇のようにうねり出した。木々も大きく傾いで今にも倒れてきそうだ。

 このままでは、鳥居が潰されて道が塞がれてしまう。


「エイミー!」

「お任せください。──皆さん、走り抜けてください!!」


 声を張り上げたエイミーはすっかり臨戦態勢だった。両手をひらめかせ、瞬時に強化魔法を発動させた。

 この場にいる武士たちの全身から陽炎が立ち上がるのと、春之信さんが私を抱え上げるのはほぼ同時だった。


 石段を蹴り、駆け降りる。それを妨害するように太い枝が鳥居を叩いた。まるで鞭のようにしなる枝に、鳥居はミシミシと音を立てている。鳥居をなぎ倒して行く手を阻むように倒れ始めた。

 

 春之信さんにしがみ付くしか出来ない私は、この現象を引き起こしている張本人の姿を探った。きっと、どこかにいる筈だわ。ヘドリック・スタンリーの手の者、あるいは本人が。


 感じる禍々しいほどの強い魔力に寒気がする。


 薄暗い中、目を堪えて茂みを探すもそれらしきものはない。だとしたら──ハッとして頭上を見ると、石段のさらに上、生い茂る木々の中に人影を見た。

 赤い光が放たれた。


「避けて!!」


 私が叫んだと同時に、赤い光は鳥居を貫く。それはまるで降り注ぐ矢の雨だった。

 咄嗟に、皆は木の陰に身を隠したけど、そのおかげで身動きが取れなくなった。


「マグノリア様……私に、行かせてください。私なら、木の上まで跳べます」

「駄目よ。相手の手数が分からない状態で、行かせられないわ」

「でも、これでは身動きが取れません」


 ぴたりとやんだ魔法の矢は、いつまた飛んでくるか分からない。

 しかし、隠れる魔術師も動く様子がない。こちらを伺っているのか、はたまた、魔力を練っているのか。どちらにせよ、魔法になれない恒和の武士たちに、魔法攻撃の中走り抜けろというのは酷な話だわ。でも、このままじっとしていても埒が明かないのも事実。

 考えあぐねいていると、春之信さんが私の肩をきつく抱きしめた。


「さっきの赤い矢が魔法ですね。効果は我らの知る矢と変わらないのでしょうか?」

「はい。他の魔法を組み込んでなければ、同じです」

「他の魔法?」

「例えば火の魔法を組み込めば火矢になります」

「なるほど。しかし、先ほど燃えた様子はない」

「他に毒や麻痺などの魔法を組み合わせることもあります」

「……それは厄介だが、防ぎようはありますね」

「防ぐ?」


 確かに、どうにかして矢を防いで前進するか、あの魔術師の動きを止めるしか道はない。でも、高速で飛んでくる矢を防ぐだなんて芸当、普通は無理だわ。


「あの男を、木の上から引きずり降ろしましょう」


 そう言った春之信さんは、私を地面に降ろすとエミリーを見た。


「侍女殿、先ほど不思議な力が足にかかるのを感じました。それが魔法ですね?」

「はい。身体強化をして、皆さんの速度を上げました」

「他にも出来ますか? 例えば、腕力を上げることは」

「勿論できます!」

「では、お力添えをお願いします」


 刀の柄に手をかけた春之信さんは「あの木を切り倒します」と言うと、その輝く刀身を引き抜いた。

 エミリーが魔法の詠唱を素早く唱えると、彼の背に白い魔法陣が浮かぶ。筋力増強を施したようだ。同じように、エミリーは他の武士にも次から次に強化魔法を施していった。


「待って! 木を切り倒すなんて、刀が折れでもしたら」

「確かにそうですね。では武器にも、強化付与いっときましょう!」

「かたじけない」

「エミリー、そういうことじゃなくて!」


 春之信さんの足が地面を踏みしめた。

 刀身が白くきらめき、彼が駆けだすと他の武士たちも一斉に飛び出した。

 春之信さんが口早に指示を飛ばしているのが聞こえたけど、内容までは聞き取れず、私の不安は募っていく。


 再び赤い矢が飛んできた。それを見て、咄嗟に足を踏み出そうとした私の肩をエミリーが力強く掴み、私を木の陰に引き戻した。


「エミリー、放して!」

「ここは春之信様にお任せしましょう」

「でも!」

「相手は魔術師でしょうけど、地の利は春之信様たちにあります。大丈夫です」


 エミリーの言葉に頷くしかなく、私は唇を噛んだ。

 私に攻撃を返せるだけの魔力があったなら、春之信さんたちを援護できるのに。自身の無力さを嘆きながら、ただ彼らの無事を祈って木の陰から様子を覗くことしか出来ないだなんて。その惨めさに涙が込み上げた。

 

 石段が乱れて足場がさらに悪くなった山道を、春之信さんたちは事も無げに走っていく。

 チカッと赤い光が走った。

 私が危ないと声を上げる間もなく、それは放たれた。直後、足を止めた春之信さんは、降り注ぐ赤い矢を刀で払ってかわす。彼だけではない。周囲の武士の皆さんもだ。


 一瞬のことだった。

 降り注ぐ矢の雨をかわした春之信さんたちは、次の攻撃が来る前に、大きな木の幹に刀を振り下ろした。

 枝が大きく揺れる。

 あれが倒れたら、石段も崩れるんじゃないかしら。この場にそぐわない心配が頭をよぎったその時だった。暗い木の上で何かが動いた。それを見て、春之信さんはもう一度刀を振り下ろす。


 メキメキと幹の割れる音がした。そうして、大木はすぐ側の木々を巻き込むようにして山肌に倒れた。

 もうもうと土埃が上がる。

 これって、修繕費が大変なことになるんじゃないかしら。そう心配せざるを得ない状況になったが、顔の分からない魔術師の反撃はこなかった。


 その何者かは、土煙の中、姿を消してしまったのだ。

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