第53話 藤倉の罪滅ぼし
捕らえられた男の名はロン・シルビー。ドワイト商会と並ぶ実績を持つターナー商会の薬師だった。
船を調べると、輸出が許されていないものや、恒和の地図などが見つかったそうだ。どうやら、密輸船に私は乗せられていたらしい。その中に、藤倉様の書もあり、彼が藤倉様の日誌を盗んだ犯人である証拠となった。
一通り事情聴取を終えた後、私は藤倉の屋敷に戻ることが出来た。
私の姿を見たエミリーは大泣きで抱き着き、今はお茶を淹れてくれている。
部屋を訪れた藤倉様にいたっては、頭を座敷に擦りつける勢いで謝りだした。
「マグノリア殿、怖い思いをさせてしまった。申し訳ない」
「藤倉様、頭を上げてください。皆さんのおかげで、私は無事でしたから」
「しかし……女子ひとり守れぬとあらば、藤倉の名折れ。ここは──」
「本当に、大丈夫ですから!」
切腹を言い出しそうな勢いの藤倉様に、慌てた私は駆け寄ってその背に手を添えた。
「怖い思いはしましたが、春之信さんが助けてくれました。それで十分です」
「なんとお優しい……これからも、藤倉の力をお貸しいたそう。それが、そなたを危険な目に合わせた、藤倉の罪滅ぼしと思って下され」
またとない言葉だった。だって、それはつまり、藤倉家は私の後ろ盾となってくれるじゃない。
目を見開いて驚いていると、藤倉様は穏やかな笑みを浮かべた。
「マグノリア殿、これからも藤倉を、いいや、春之信をよろしく頼みましたぞ」
「……え?」
「いやなに、そなたが船に乗せられたと知った時の、春之信の慌てようといったら!」
背筋を伸ばした藤倉様は肩の力を抜くと、くつくつと笑い声を零した。それを見て、春之信さんが困ったように「お祖父様」と低くいう。
一瞬にして、いつもの空気が戻ってきた。
ほっと胸を撫で下ろした私は、ふと思い出した赤い霧のことを藤倉様に尋ねた。
「そういえば、あの赤い霧なんですが」
「赤い霧とは、何のことだ?」
「え?……それを吸って、私は気を失ったんですが」
「霧などなかったぞ。マグノリア殿が突然気を失ったゆえ、わしが女中を呼んだのだが」
その隙に私の姿がなくなったのだという。当然、大騒ぎになって屋敷中を探したが見つからなかったらしい。
「では、甘い香りはしませんでしたか?」
「甘い香り……そういえば、実の熟したような匂いがしておったの」
つまり、あの霧を認識できたのは私だけだったけど、藤倉様にはなんの影響もなかったということね。
幻惑魔法をより効果的に発動するために香りを使ったのかしら。でも、それなら藤倉様も魔法にかかりそうなものだけど。
「マグノリア様、難しい顔をされて、どうしたんですか?」
「え? あの香りは何だったのかなって……」
「犯人は捕まったんだし、もう、心配することないんじゃないですか?」
ハーブティーの入った茶器を配るエミリーは、春之信さんの顔を見て含み笑いをした。
そういえば、春之信さんはさっきから一言もしゃべっていないわ。責任を感じているのか、固い表情のままだ。
「春之信様、怪しい船の報告が来た時、凄い剣幕だったんですよ」
エミリーが嬉しそうに話すと、春之信さんは「それは」と呟いたけど、すぐさま口を閉ざしてしまった。
「それにしても、よく船を突き止められましたね」
「沖に見覚えのない船があると遠見番所から報告があったのだ」
「遠見番所?」
「港に出入りする船や、沖にある船を監視する者が詰めている場所のことだ。その報告で、侍女殿が船体の特徴に見覚えがあるといってな。そなたの侍女は本当に頼もしかったぞ」
ハーブティーをずぞぞっと啜った藤倉様は、ちらりと春之信さんを見た。
「そこで、春之信に手勢を預けて向かわせたのだ。のう、侍女殿」
「エミリー、船に詳しかったのね」
「実は、私たちが航海に出る時、乗る船を間違えそうになりまして。その時、ドワイト商館長とは仲が良くないっていう船もあると、船員さんに話を聞いてたんです」
「エミリー……ありがとう」
偶然って重なるものなのね。
照れ笑いをするエミリーの両手を握りしめてお礼を言うと、彼女は「マグノリア様のためですから」とはっきり言い切った。
「でも、動いている船に乗るのは大変だったんじゃないですか?」
「マグノリア様、お忘れですか?」
「何を?」
「私の得意魔法は強化魔法ですよ!」
「それって、つまり……」
「武士の皆さんをバンバン強化して、船から船へ突入してもらいました!」
胸を張ったエミリーの自信満々な顔を見て、私はぽかんとしてしまった。何とも頼もしい話だろうか。エミリーは世界一の侍女ね。
「エミリー、至急、ロゼリア様に手紙を出しましょう」
「今回のことを報告するんですね」
「ええ。それと……藤倉家が力になってくれることになったと伝えるわ」
「しっかりとご報告させていただきます!」
「……誇張はしないでよね」
「何のことでしょうか?」
ふふっと笑ったエミリーは、胸を叩いてお任せくださいといった。
「さて、わしは部屋に戻るとしよう。マグノリア殿、また後日ゆっくり話をしよう。そうそう、侍女殿。美味い十三里があるのだが、取りに来ぬか?」
「じゅうさんり?」
「昼間、マグノリア殿にお出ししようと思っていたものだ。侍女殿の分もあるゆえ、二人で食べるといい。栗より甘くて美味いぞ」
「栗よりも!? いただきたいです!」
「そうかそうか。では、ついて参れ」
上機嫌で笑う藤倉様についていくエミリーは、スキップをしそうな足取りで部屋を出ていった。
春之信さんと二人きりになった部屋はしんと静まり返った。
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