第54話 思いを通わせる

「側によっても、よろしいですか」


 それまで黙っていた春之信さんの声に、どきりとした。どうぞと頷けば、彼は私と向き合うようにして座りなおし、額を畳に擦りつけるように頭を下げた。


「貴女の側を離れたのは、不徳の致すところ……本当に、申し訳ない」

「助けに来てくれたじゃないですか!」

「貴女を守れなかった」

「春之信さん……そんなこと、ないですよ」


 私はハンカチに包んでおいた朱色の簪を取り出し、 顔を上げようとしない春之信さんの前に、そっと置いた。

 

「これがあったから、私、あの場を切り抜けられました」

「この簪は……」


 顔を上げた春之信さんは、血で汚れた簪を手に取る。そうして、今にも涙を流しそうな痛々しい顔で私を見た。


「初めて人を傷つけました。でも……私はこの簪に救われました」


 簪を握った春之信さんの手に手を重ねると、大きな手がぴくりと反応すると、熱い滴りが私たちの指先に落ちてきた。


「春之信さんは、これを見るのが辛いかもしれません。でも、私には大切な思い出です。だから……持っていていいですか?」

「……マグノリア殿が望むのであれば」


 そっと彼の指が開く。

 汚れた簪を受け取ってハンカチに包み直し、私はポケットに戻した。そうして、服の上から軽く叩いて笑う。


「もう一度、私に貴女を守る機会を与えてくださいますか?」


 涙にぬれた眼差しが私を見つめていた。

 よろしくお願いしますと返せば、春之信さんの大きな手が私の手首を掴んだ。引き寄せられ、しなだれるように彼の胸へと寄り掛かった私は、温かな手に抱き締められる。

 

「もっと、私を頼って下さい」

「……春之信さん?」

「どうすれば、貴女を恒和に繋ぎ止めることが出来るか、ずっと考えておりました」


 耳に触れる声が熱を帯びているようだった。

 優しい声に、全身が熱くなっていく。聞こえてくる鼓動は、私のものなのか。それとも、頬を当てている春之信さんの胸から聞こえてくるものか。


「マグノリア殿。これからも、私の側にいてください」


 これは都合のいい夢なんじゃないか。もしかしたら、あの甘い香りが見せる夢の中にいて、都合のいい妄想が繰り広げられているんじゃないかしら。

 一瞬考えたけど、春之信さんの胸から届く優しい香りが、これは現実だと教えてくれた。

 

「春之信さん……私……春之信さんが、好きです。ずっと、側にいさせてください」


 少しだけ春之信さんの腕が緩んだ。そっと顔を上げると、見開かれた漆黒の瞳と視線が合わさる。でもまたすぐに、私の視界は彼の着物の柄で埋め尽くされた。

 耳に優しい吐息が触れる。


「お慕いしています」


 熱っぽい声が告げた言葉をかみしめて、私は彼の大きな背中に両手を回した。


 こうして、盗人騒動はひとまず解決となった。

 今回のことでターナー商会は恒和への入国許可書を取り下げられることになったと、ドワイト商館長が言っていた。それに、その後ろ盾でもあるスタンリー家もただじゃすまないだろうって話だ。


 でも、ヘドリック・スタンリーはまだどこかに潜んでいる。もしかしたら、今もなお私を逆恨みしているかもしれない。

 不安は残る。それでも私は、恒和国で春之信さんと生きていく。そう、心に決めた。

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