第55話 結婚への第一歩
あくる日のこと。
私は春之信さんと連れ立って、藤倉様の部屋に続く縁側を歩いていた。これから私たちは、藤倉様に心を通わせたことを報告する。
藤倉様は、春之信さんをよろしくと私にいった。でも、まさか恋仲になるなんて想像していないだろうし、歓迎してもらえるか考えたら不安になるわ。
エウロパ諸国に置き換えて考えたら、なかなかに凄い話よね。
国外の娘が突然現れて、そこそこお家柄の良い貴族子息が「国外の娘と一緒になります!」ていいに行くのよ。それも、春之信さんのお家は大名家に連なる武家。救いは彼が嫡子じゃないことくらいだ。
あれこれ考えると、今すぐ報告しないで、ちょっと様子見をした方が良いんじゃないかって気になる。
でも、春之信さんの良いところは真面目さだから、報告に行くと言い出したのを止めることは出来なかった。
前を歩く大きな背中を見つめ、彼の言葉を思い出す。
『貴女とのことを、隠したくはありません』
どうやら、春之信さんの中では黙っていることも隠していることになるみたい。
もしも知られた時、どうして黙っていたんだって大騒ぎになることもあるかもしれないわよね。それくらい、国外の娘と恋仲になるなんて珍しいだろうし。
報告と同時に怒られたりしないかな。
考えれば考えるほど不安になって、指先が震え出した。
だけど、私を迎えた藤倉様はしたり顔で「報告とはなんだ、春之信」とあっさり尋ねた。同席される春之信さんの父、
これって、もしかして、分かっていている?
内心顔を引きつらせ、背中にびっしり汗をかいている私の横で、春之信さんは姿勢を正した。
「お祖父様。私、春之信はマグノリア殿を妻に迎えたく、その旨をお伝えしに参りました」
真摯な眼差しで、はっきりと告げた。
藤倉様がふむと頷けば、彼はさらに話を続ける。
「部屋住みの身でありながら、我が儘を申すこと、お許し下さい。私は……いかなることがあっても、マグノリア殿を守り、共に歩みたいと思うております」
首を垂れた春之信さんの横で、私も座敷に手をついた。
「藤倉様。恒和のことは知らないことばかり。作法も、武家のことも分かりません。それでも、お許しいただけるのでしたら、生涯、栄海のために精一杯、働かせていただきます」
精一杯の言葉で許しを請う私たち。
きっと藤倉様は許してくれる。そう分かっていても、恥ずかしさと不安で指先の震えが止まらない。
しばしの無言が、私の背を冷たくしていく。
押し寄せる不安の中、ずずっと、藤倉様がお茶を啜る音を響かせた。そうして、ほうっと吐息をついたかと思えば、大きな笑い声を上げた。
「はははっ! いやぁ、そうなるのではないかと思うていたが、予想を上回る速さだったな!」
驚いて顔を上げると、笑いながら膝を叩く藤倉様の姿が飛び込んできた。それから、頷いて微笑まれるお銀様と目が合いう。さらに横を見れば、啓義様が眉を下げて「まことに」と呟いた。
やっぱり、皆さんそろって分かっていたのね。
不安が吹き飛ばされ、もの凄いウェルカムムードにどっと恥ずかしさが込み上げてきた。さっきまで不安がっていた私って、バカみたいじゃないですか?
呆気にとられている私を見て、藤倉様はしたり顔となる。
「歓迎されるとは思っておらなんだか?」
その質問に大きく頷いて返答すれば、また大笑いされた。
「はははっ! 藤倉の嫡子であれば許すことは出来ないが、春之信であれば問題なかろう」
「……そう、なのですか?」
「わしは兼ねてより、異国とより深く繋がりをもった象徴が欲しいと思っていた」
「象徴?」
「そうだ。エウロパと繋がれば、この国はより豊かになる。その象徴だ」
突然の話に驚き、私と春之信さんは顔を見合った。
「この栄海藩は、国外との交易のおかげで潤っているが、それを疎ましく思う藩もある」
「疎ましく……」
「内陸の国元ともなれば、なおのことだ。ゆえに、ドワイトには今以上商売に精を出してもらって、恒和の国中にエウロパの良さを広めてもらわねばならん」
つまり、藤倉様は交易によって恒和国をより良くしたいということか。その邪魔をする者たちをどうにかするより、有無をいわせる隙を与えないくらい、商館の力を大きくしたいと。
「しかし、国外の者が大きな顔をすれば、反発も生まれるのではありませんか?」
「であるな。だからこそ、エウロパとの繋がりが富を生むと知らしめる象徴が欲しいと思っていた。わしとドワイトの友好では、そこまでたどり着けなくての」
苦笑を浮かべた藤倉様は、春之信さんと私を交互に見て頷く。
「二人が
藤倉様は、どこまで先を見ているのだろうか。
ただの薬師でしかない私に、何が出来るのか考えると、とてつもない不安が押し寄せてきた。
横に座る春之信さんを見ると、彼は静かに頷いて「心配はありません」という。
「私たちの繋がりがより多くの富となることを、必ず証明いたします」
「よくいった、春之信」
上機嫌で膝を叩いた藤倉様は、宴の用意だと声を上げた。すると、閉ざされていた襖が開き、お雪ちゃんとエミリーが飛び出してきた。
「マグノリア様、おめでとうございます!」
「お蘭様! 雪は嬉しゅうございます。お蘭様が、姉上になられるのですね!」
腕に飛び込んだお雪ちゃんを抱きしめ、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
そうか。春之信さんと生きていくって……新しい家族が出来るってことなんだ。そんな当たり前のことに今更気付いた私は、ふと国の家族を思い出した。
お母様は歓迎してくれるかしら。
一抹の不安に押し黙ると、私の肩にそっと春之信さんの手が添えられた。
「お国のご家族にも、手紙を出さねばなりませんね。出来れば、一度お会いしに伺いたい」
恒和を出るのは難しいのだろう。少し申し訳なさそうな顔をした春之信さんは、私の髪をそっと撫でる。
そうよ。私は春之信さんと生きていくって決めたんじゃない。今更、親が恋しいとか言ったら、それこそお母様に笑われるわ。
「ありがとうございます。そうだ、皆さん写真を撮りましょう!」
目頭に浮かんだ涙を指先で拭って笑うと、首を傾げた春之信さんに「ほとぐらひ、とは?」と尋ねられた。
あれ、もしかしなくても、恒和国では魔導写真が知られていないのかしら?
「エウロパの魔道具で、鏡に映った姿を絵にすることが出来るんです」
この説明であっているのかな、と思いながら話すと、聞き耳を立てていた藤倉様が、一度撮ったことがあるぞと口を挟んできた。その横で、啓義様はあまりいい顔をされていない。もしかして、写真が嫌いなのかしら。お雪ちゃんは、面白そうといって大はしゃぎだ。
賑やかな中で、しばらく思案する様子を見せた春之信は、ふっと笑う。
「ほとぐらひ、興味深いですね」
「きっと、素敵な思い出になりますよ!」
この後、ドワイト商館長に色々と報告をして、写真を撮る用意をしてもらうことになったのだけど、初めての写真撮影に藤倉家は大騒ぎとなる。
出来上がった写真が海を越えて届くのは、ほんの少し先になりそうだった。
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