第8話 恒和国の武士は早口!? 言葉を聞き取るのも一苦労です
エミリーと共にドワイト商館長の執務室を出て、自室に戻る途中のことだった。
中庭に面した窓を見ると、鮮やかな緑が広がっているのが見えた。
「素晴らしく手入れの届いた薬草園よね」
「商館の食堂で使うお野菜も育てているそうです」
「薬に使うだけじゃないのね」
「マグノリア様、あそこにいらっしゃるのは、薬師の方ではありませんか?」
「そうね。薬草を摘みに来たのかしら……あら?」
庭で籠を抱えていた薬師と思われる二人に、見慣れぬ武士が近づいてきた。何か話をしているようだけど、薬師の一人はその場からそそくさといなくなってしまった。
「商人以外の方も、簡単に出入りできるんですね」
「診療所に来たのかしら」
「……マグノリア様。あの方たち、困っているように見えませんか?」
「行ってみましょう!」
急いで中庭に向かうと、困り顔の薬師がこちらに気付いて顔をぱっと輝かせた。
「どうかされましたか?」
「そ、それが……彼らが何を言っているのか、さっぱりでして」
「通訳の人は?」
「今、呼びに行っています。でも、それすら伝わらなくて」
どうやら、この薬師は恒和国の言葉が分からないらしい。通訳もいるから、言葉が分からなくても働けるとは聞いていたけど、やっぱり多少は話せないと困るわね。
横を見れば、二人の武士も困った顔をしている。
通訳を呼びに行っていることくらいなら、私でも伝えられるかもしれないわね。
一度深く呼吸をして、足を踏み出した。
「あの、すみません」
「おお! 言葉の話せるものがおったか! すまぬが──」
声をかけると、年上と思われる武士が大きく安堵した様子で私に向き直った。かと思えば、ペラペラと早口で何かを話し始めるではないか。
ちょっと待って。恒和の人たちって早口なの? それとも、この人がやたら早口なのだろうか。
「ま、待って! 聞き取れないです!」
慌てて、武士の早口を止めようとして、私は無意識にエウロパの共通語を混ぜて返していた。
目の前で口をぽかんと開いたまま、彼は小さな目を見開いて、横に立つ若い武士を振り返る。
「この
「聞き取れないと……
ゆっくりと話す彼は、私をちらりと見た。どうやら私の言葉を理解してくれたみたい。
私よりもずいぶん若く見えるけど、そのいで立ちは間違いなく武士のものだろう。腰に刀を差しているし、着物もずいぶん品質が良い。年上の彼よりも家格が上なのかもしれないわね。
それにしても、二人ともとても艶やかな黒髪で、瞳も黒曜石のようだわ。恒和国の人って、本当に黒髪で黒い瞳なのね。
二人を見比べていると、年上の武士が首筋をしきりに擦った。
「ゆっくり話せば伝わるか?」
「あー……私が分かる言葉は、少しです」
「
「ありがとうございます。……困っているのは、何ですか?」
「ここに大層効く軟膏があると聞いて参った」
「軟膏……薬ですね」
断片的に聞き取れたけど、どうやら、この武士は薬を求めているようね。それだったら、通訳を待たずに診療所の商館医のところへ案内した方が早いかもしれない。
「医者のいるところは」
方角を指差して、場所が違うと説明しようとすると、武士は「ぷれんてす殿を探している」と言った。
「今朝方、その者の薬が大層効くと聞いてな。しかし、医者にそのような名の者はいないと言われたので、困っておった」
「あー……えっと、多分それ、私です」
もしかして、入港時に渡した軟膏の話を聞いたのだろうか。
この商館にいる薬師でプレンティス家の者は、当然、私だけだ。似たような家名の者はいないはず。とすれば、
自分を指差して、ぎこちない笑みを口元に浮かべると、武士は目が飛び出るんじゃないかってくらいに見開いた。
「藤倉殿! 腕の良い薬師は女子だと聞いていたが、どう見てもこれは
「落ち着いてください、高羽殿」
早口でまくし立てる武士を、若い武士が宥めようとしてる。
それにしても、あまりの早口で、ほとんど聞き取れなかったわ。えっと、ふじ何とかって若い武士を呼んだことと、おなご──女の子って意味だったかしら──それと、騙す、騙される? そんな言葉を聞いた気がする。
あぁ、先輩からは、日常会話くらい大丈夫だろうって言われたのに、これでは全く話にならないわね。聞き取れないのは致命的だわ。
私が小さくため息をつくと、武士は口を閉ざしてこちらを振り返った。同時に、庭の植木に停まっていた小鳥がぴちちっと鳴いて飛び立っていった。
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