第45話 モデルになんてなりたくなかった!


「無理ー! もう、それ以上は無理!! 吐く。ぜーったい、は──うぷっ」

「何を仰いますか! だから、あれほど日頃からドレスをお召しになって下さいと、申し上げているんですよ!!」

「だから、ドレスは嫌なのよ!」

「ほら、しっかり柱に掴まって下さい!!」

 

 語尾に力を込めたエミリーがコルセットの紐をぐんっと引っ張る。さらにウエストが絞られたことで、私は声を上げる余力を奪われた。


 これって絶対、お腹の中で内臓が行き場を失っているわよ。なんでこんな体に悪いことをしないといけないのよ。一種の拷問だわ。そう長年思ってきたけど、久々のドレスを身に纏い、改めて思う。やっぱり、私はエウロパでの貴族生活なんて無理!


 抗議の声すら上げることを止め、私はただ耐えるしかない。

 エイミーの成すがままになる私を見た藤倉家の女中さん達は、はらはらとした様子だった。大丈夫だから心配しないでともいう気力は、残念ながら残っていなかった。

 

 そうして出来上がったドレス姿を見た藤倉家の女中さん達から、感嘆の声が上がった。


 艶やかな緑色のドレスにあしらわれた銀糸の刺繍が、夏の日差しを跳ね返してキラキラと輝く。私がそっと動くだけでも、裾のドレープが優雅に波打つ。

 見た目だけなら美しいでしょうね。

 自分の姿だから鏡に映さないと分からないけど、ドレスの生地ひとつにしても上等品だから、そのくらいのことは想像つく。


「さぁ、次は髪をきますよ!」

「……もう、好きにして」


 商館から運ばれた椅子に腰を下ろした私は、水を得た魚の如くてきぱきと動くエミリーにされるがままとなった。救いは、視界に入るお庭がとても美しいことくらいね。


 髪をまとめて結い上げられ、仕上げとばかりに宝石やリボンがあしらわれたウィッグを装着させられる。これがまた重たいのよ。

 その様子を興味深そうに見ていた女中さんが「豪勢なかもじだこと」と呟いた。


とは、恒和の付け毛ですか?」

「え? あ、はい。髪が少ない者や、歌舞伎役者の方が使われます」


 突然話しかけたことに驚いた様子の女中さんは、ゆっくりと答えてくれた。


「恒和の人は皆、髪が長いのだと思ってました」

「ほとんどはそうですが……髪が豊かであればあるほどよいと言われるので、皆、多く見せるのに必死でございます」

「ふふっ、エウロパと似てますね」


 何だか可笑しくなって、ちょっとだけ笑うと女中さんも笑ってくれた。

 最近では、こうして女中さんも話に応えてくれるようになったし、私も随分と恒和の言葉を使えるようになっているみたいね。慣れるものね。

 

 そうこうして化粧まで終えた頃、春之信さんとお銀様が部屋を訪れた。


「なんとお美しいことでしょう」


 感嘆の声を上げたお銀様は私の側によると、大切そうに抱えていた箱を女中さんに渡した。


「エウロパのお召し物を間近で見るのは初めてですが、ことのほか、華やかでございますね」

「恒和の振袖には劣ります」

「そうでございますか? ふふっ、無い物ねだりでございましょうかね」

 

 上品に微笑まれるお銀様は、女中さんを手招き、彼女に持たせていた箱を開けさせる。中から出てきたのは、美しい銀のかんざしだった。花を模したその姿は華やかでいて、とても上品だ。


「お義父様から、薬師様の御髪おぐしに合う簪を揃えるよう言いつかりました。こちらをお使いください」

「よろしいのですか?」

「エウロパのお召し物に合えば良いのですが」


 そっとかんざしを挿して下さったお銀様は、仕上がりを見ると、まぁと小さく声をこぼした。

 その驚きはかしら。

 ドワイト商館長の思い付きで始まったエウロパと恒和の融合のような姿は、もしかして失敗なんじゃないのか。ガッカリさせてしまったか、あるいは、とんでもなく面白い姿が出来上がったんじゃないかと不安が込み上げてきた。


「あの……おかしいですか?」

「いいえ。そのようなことはございません。美しい御髪によう似合っておいでですよ」


 にこにこと微笑むお銀様の横から、エイミーが遠慮がちに、あのと声をかけてきた。いつもなら黙っているのに珍しいわね。


「あの……こちらの簪も使えませんか?」


 遠慮がちに差し出してきたのは、あの朱色の玉がついた簪だ。それを見た私の頬が少し熱を持つ。


「まあ、可愛らしい簪ですこと。エウロパにも簪があるんですね」

「いいえ、これは先日、春之信さんから頂いたもので……」


 私が何気なく説明すると、お銀様は少し驚いた顔で春之信さんを振り返った。

 一瞬の沈黙の後、春之信さんは少し頷く。


「霊孤泉に行った折、参道で見つけたものにございます」

「まあ。そうれはそれは……贈るなら、もっと良いお品を作らせたものの」


 少し笑ったお銀様は赤い簪を手に取ると、銀の簪に添わせるように挿した。


「ふふっ。赤い蕾のようで愛らしいこと。春之信も、そう思いますよね?」

 

 お銀様の楽しそうな声に釣られ、私は春之信さんを見る。すると、彼もまた私を見て、切れ長の瞳を眩しそうに細めた。

 

「まさに国色天香こくしょくてんこう。庭の牡丹も霞む美しさかと」


 朗らかに微笑む春之信さんの言葉に、頬が熱くなる。

 それって、初めて振袖を着た日に藤倉様が言っていた言葉だわ。牡丹の花を表した言葉だって。でも、その牡丹すら霞むだなんて、ほめ過ぎよね。

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