第四章 交差する思惑

第40話 赤い簪は誓いの証

 早朝、馬に跨がり目指した場所は、賑わう町から離れた農村をすぎた先だった。山の麓にある馬宿うまやどで乗ってきた馬を預け、私たちはお詣りをするため大きな神社に向かった。入山祈願というものらしい。


 神社に続く参道は随分と参拝客でに賑わっている。屋台も並んでいて、床几台しょうぎだいと呼ばれるベンチのようなものに腰かけた人達は、お茶を飲んだり食事をしたりしている。ちょっとした観光地のようだ。

 きょろきょろと辺りを見回して歩いていると、春之信さんが声をかけてきた。


「気になるものでもありましたか?」

「神様にお詣りすると聞いて、どれほど厳かな場所かと思っていたのですが、ずいぶんと賑やかなんですね」

「そうですね。ここは参拝を口実とした、一つの娯楽の場ですから」

「娯楽?」

「例えば、ほら──」


 春之信さんが指さした先には、いくつもの旗が並んでいた。それには人の名前と思われる文字が書かれている。


「あの旗は何ですか?」

「のぼり旗です。あれは芝居小屋に出る役者の名ですね」

「お芝居が観られるのですか?」

「ええ。この神社の成り立ちなどを演目にしているそうです」

「食事が出来るところもあり、芝居が観れてお土産も買えるとなれば、立派な観光地ですね」

「神社の運営も何かと物入りでしょうから、あの手この手で参拝客を呼び込む努力をしているのでしょう」


 春之信さんの説明になるほどと思い、ふと馬宿のあった辺りを思い出す。あの辺りも随分と賑わっていたから、この神社の恩恵というのは周辺に住む者たちにとって大きいものなのだろう。

 露店に並ぶ色とりどりのかんざしくしが目についた。思わず足を止めると、春之信さんに立ち寄りますかと尋ねられた。


「……いいえ。今日の目的は霊孤センの湧き水ですから」

「簪は、お守りでもあります」

「お守り?」


 断った私に構わず、春之信さんは露店の前に歩み出た。その中にあった、朱色の玉が先端についた簪を手にする。そうして、「これをいただこう」といった彼は、さっさと支払いを済ませると、私に向き直った。


「失礼つかまつる」


 そういって、彼は私の髪にそれを挿した。


「私ではうまく挿せませんので、侍女殿に直して頂くと良いでしょう」

「あ、あの、春之信さん、これは……」


 そっと簪に触れると、彼は静かに微笑んだ。


「朱色には魔除けの力が宿るといいます。貴女を守る誓いとして、受け取って下さい」


 生真面目な春之信さんらしい、所謂けじめといものなのだろう。それでも、突然の贈り物を嬉しく思った私の頬は、自然と火照りを覚えていた。きっと、この赤い簪に負けず劣らず、顔が真っ赤になっているわよ。

 エミリーが手早く髪を結いなおして簪を挿し直してくれる間、頬のほてりが静まるのをただただ祈った。


 お詣りをすませた後、私たちは賑やかな参道からそれた道をしばらく進んだ。それは、神社の裏手にある山へと続いていた。


 山道は踏み固められているとは言え、でこぼことした木の根や石ころが転がっていて、歩きにくさ満点だ。

 そんな中、春之信さんやお供として来てくれた武士の方々は、平然とした顔で歩いている。皆さん履いているのは藁で編まれた草鞋わらじというものだけど、擦れて痛くないのかしら。想像するだけでも痛そうだわ。


「マグノリア様、リスがいましたよ! 恒和にもいるんですね」

「本当だわ。豊かな森なのね」

「あれはブナの木でしょうか」


 田舎育ちのエミリーは、山を歩くのが好きなのかもしれない。生き生きとした表情で周囲を観察している。

 私はといえば、少しだけ息が上がっていた。薬草園の手入れで土いじりは慣れているけど、こうして山を登るのはそう滅多にないから、無理もないけど。


 木漏れ日の下で、ふうっと息をついて額の汗を拭うと、春之信さんが先を行く武士たちに声をかけた。

 一同が立ち止まった。

 

「少し休みましょう」

「そんな。皆さんに申し訳ないです」

「慣れない山道でしょう。無理をなさいますな」

「……私、足手纏いになっていませんか?」

「その様なことはありません」


 そう言う春之信さんは少し大きな木を指し示す。飛び出した太い根っこが丁度よく座れそうな形をしていた。促されるままに腰を下ろすと、彼は腰に挿していた竹の水筒を差し出してくれた。


 ありがたく受け取り、水を一口飲むと同時に、心地よい風が吹き抜けて汗を冷やした。

 すうっと気持ちが落ち着く。これを生き返る心地と言うのかもしれない。


「馬での移動も疲れていたのでしょう。先ほど、団子屋で休めばよかったですね」

「大丈夫です! 私、これでも体力はありますから」

「頼もしいことです。それにしても、馬にまで乗れるとは思いませんでした」

「一応、子爵家の娘ですから、馬術の心得もあります」

「そういうことでしたか。おかげで予定よりも早く進んでいますよ」

 

 だからこそ、休んで良いのだという春之信さんは私の横に腰を下ろす。すると、お供の人たちも思い思いに休み始めた。

 風が吹き抜けた。

 木々を見上げれば、青々とした葉が煌めいていた。

 

 この道を行き来する人はあまりいないようで、通ってきた賑やかな参道とは違い、小鳥のさえずりが聞こえるような、穏やかな時間が流れていた。

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