第28話 藤倉家で迎える穏やかな朝

 藤倉家での生活は、軟禁生活のようになるのではないか。日誌を失くしたことを本当は怒っていらして、私を罰するつもりなんじゃないか。心のどこかで、そう思っていた。


 なのに、こんなに穏やかで良いのかしら。


 大きなお屋敷の離れにある一室で、私は五日目の朝を迎えていた。小鳥の鳴き声を聞きながら外を眺めて佇んでいると、笑顔のエミリーが朝食を運んできた。


「おはようございます、マグノリア様。昨夜は眠れましたか?」

「エミリー……おはよう。やっぱり枕が合わないわね」

「やっぱりそうですよね」


 顔を見合った私たちは苦笑を浮かべる。

 床に敷かれた布団というのも初体験だった。畳から薫るほのかな草の香りが心地よくて、案外寝心地は良い。ただ、箱のような枕だけが高すぎて全く合わなかった。当然、すぐに外して横にしたけど、すぐぬ柔らかな枕が恋しくなってしまった。


「後で、商館から枕を持ってきますね」

「ありがとう。エミリーは大丈夫?」

「枕ですか? すぐに外しちゃいましたよ」

「えっと。それもだけど……」


 ちょっと口籠ると、エミリーは首を傾げた。

 私についてくる羽目になって、不安じゃないかしら。私と違って言葉だって全く通じない訳だし。


「不都合はない? 言葉だって通じないのに……」

「皆さん優しいので、身振り手振りで何とかなってますよ」


 笑い飛ばすくらい元気な様子のエミリーに、ほっと安堵しつつ、用意された一人分の朝食の前に腰を下ろした。


「今日もエミリーの分はないのね?」

「こちらの侍女さん達といただいてます。恒和の言葉を教わりながら食べてるんですよ」

「そうなの? それなら仕方ないわね……」

「皆さん、とても友好的なんですよ! 私は何とかなってますから、ご心配なく」

「そう……でも、一人のご飯は寂しいわ」

「食事が終わるまで側にいますから、ご安心ください」


 にこにことご機嫌そうなエミリーの手にはブラシが握られていた。

 

「マグノリア様、お食事が終わりましたら、髪を結わせて頂きますね」

「派手にしないでね」

「少しくらい派手にしないと、こちらの女性たちに負けてしまいますよ」

「恒和の皆さんは、とても大きく結い上げてるけど……あれは黒髪だから美しいし、髪飾りも華やぐのよ」

「そんなことありません! 先日の振袖姿、とても美しかったですよ」

「そんなことあるわよ」


 他愛ない会話と、エミリーのいつもと変わらない様子に肩の力が抜け、お腹がぐうっと小さく鳴った。


 並んだお皿を眺める。湯気を立てる汁物の横にあるのは炒り豆と一緒に炊いたご飯、野菜の煮物に、とろみのあるタレがかかった白いのは豆腐だったかしら。小皿に盛られた茹でた野菜は青菜ね。


 食べなれない恒和の食事に似つかわしくないフォークを手に取る。気をきかせたエミリーが商館から持ってきてくれたのだけど、こうして食事を前にすると、あの箸という日本の棒も使えるようになってみたくなるから不思議ね。


「恒和の人たちは、本当に器用よね」

「カトラリーの話ですか?」

「ええ。二本の棒を器用に使うし、食器を持ちながら食べるのも不思議だわ」

「器が小さいので持ちやすいですが、慣れませんよね」


 床に座り、テーブルよりも小さな台に並んだ器を手に取る。こんなこと、国でやったらお母様が驚いて卒倒するわ。その様子を想像したら可笑しくて、ふふっと笑みがこぼれてしまった。


「何か面白いこと、ありましたか?」

「こんな姿を見たら、お母様が泡を吹いて倒れてしまうかもしれないわ。考えたら、可笑しくて」

「そうですよね。きっと、私の母も『マナーが悪いですよ!』て怒りますよ。手を叩かれちゃうかもしれません」


 怒る姿をマネしたエミリーは、自ら手の甲をぺちんと叩く。そうしてお互いを見合うと、どちらともなく堪えきれない笑い声をこぼした。


 あぁ、エイミーが私の侍女で良かったわ。何とかなるかもしれない。

 そんな風に思いながら笑っていると、失礼すると声がかけられた。そちらを見ると、春之信さんの姿があった。


「春之信さん、おはようございます」


 慌ててフォークを下ろすと、春之信さんはそのまま気にせず食べて下さいという。

 人に見られながら食べるのって、何だか変な気分なんだけど。

 

「薬師殿、なにかご不便はございませんか?」

「いいえ。今朝も快適な朝を迎えました」

「そうですか。何か困りごとがありましたら遠慮なく申してください」


 にこりとも笑わない春之信さんだけど、その気遣いは伝わってきた。

 私が食事をしやすいようにと思ってくれたのか、こちらに背を向けて縁側に座って待ってくれている。


「エミリー、お茶を入れて差し上げて」


 そっとエミリーに耳打ちすると、彼女はにこにこしながら一度退出した。

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