第29話 朝餉は穏やかに楽しくすごしたい
なるべく音を立てないように気をつけながら食べていると、春之信さんがちらりとこちらを見た。
「お口にあいましたか?」
「ええ、とても美味しいです。エウロパにはない優しいお味です。特にこちらの茹でたお野菜……」
小さな器に入っている青菜は、ほんのりと塩気がする。でも塩味ではない。エウロパにない調味料で和えられているのだろう。
「私の国では炒めることが多いので、こうして食べるのは初めてです」
「そうですか。お気に召して良かった」
「お米も、とても柔らかくて美味しいです」
エウロパでは、あまり米があまり出回っていないし、恒和に来るまで食べたこともなかった。噛み締めると優しい甘みが口に広がって、病みつきになりそうな味だ。これを毎日食べたら、固いパンの生活には戻れないわよ、きっと。
称賛しながら食べてると、春之信さんは繰り返し、それは良かったと頷いた。
「この豆腐というのは、食べるのが難しいですね」
「そうでしょうか?」
「恒和の方は箸で食べられるのでしょ。崩れませんか?」
スプーンですくって口に運んだ私が首を傾げると、春之信さんはああと頷く。
「上品に食べるのはコツがいるかもしれません」
「上品に?」
「忙しい朝は、雑に食べることもありまして……豆腐を米にかけてしまうんですよ。そうして、箸で崩して」
春之信さんは何も持たない両手でお皿を持つふりをすると、片方をひっくり返すような仕草をした。さらに右手の人差し指と中指を箸に見立て、左手を少し傾け、そこから何か、口に流し込むような動きをする。
「こうして流し込むように食べるんです」
「まあ!」
想像すると、それはとても不躾な食べ方だ。それこそ母が見たら泣き崩れてしまうだろう。
興味本位で残っている豆腐の皿を手にし、ご飯の上に流しながら「こうですか?」と尋ねると、春之信さんは心底驚いた顔をした。
あ、これってもしかして、私がやるとは思っていなかった感じね。
「……薬師殿、私の母の前ではされないよう、気をつけてください」
「え?」
「
「あー、やっぱり……はしたないことなんですね」
「見目が悪いと母は咎めますが、多くの者がやっているのも事実です」
「ふふっ。それじゃ、見つからないようにしますね」
スプーンで豆腐を崩しながらご飯とすくい口に運ぶと、なるほど、これなら食べやすいと頷けた。ただ、流し込むように食べるというのは上手く出来なさそうだった。後で、エミリーにも教えてみよう。きっと、面白がってくれるわ。
食後は縁側で春之信さんと肩を並べ、エミリーが用意してくれたハーブティーを飲みながら話をした。
「春之信さん、今日はお仕事に行かなくて大丈夫なんですか?」
「はい。私の仕事は主に栄海藩の書物の管理と翻訳ですが、藩の文庫に勤めるのは三日に一度ほどです」
「そんなに少ないんですか」
「翻訳は屋敷でも出来ますし、藩での仕事は持ち回り制ですから」
「色々な働き方があるんですね」
「薬師殿は、新しい花の露を作られると聞いていますが、進んでおられますか?」
「試作品はほぼ出来たんですよ。でも、恒和の方の好みが分からないので決めかねてる感じです」
白江城下で流行っている花の露を、ドワイト商館長に取り寄せてもらったけど、どれもこれも似たり寄ったりの品だった。詳しいことを聞いたら、どこそこの役者が使っているとか、人気のある物語に出てきた品だとか、売れた理由は品質以外のものだった。
だからこそ、恒和の人の心を掴むような香りや効能を持たせたものが出来たら、きっと、人気商品となるに違いない。
「女子の意見が欲しいということですか?」
「はい。出来ましたら、複数人……あの、お屋敷の方々に試してもらえないでしょうか?」
「そうですね。母に相談してみましょう。妹のお雪も興味を示すかもしれません」
「妹さん?」
「年の離れた妹です。後程、紹介しましょう」
「ありがとうございます。春之信さん、ご兄弟がいらしたんですね」
「ええ。屋敷に参られた時、薬師殿と会われた現当主、父の横にいたのが兄です。他に姉が三人いましたが、皆、嫁いでいきました」
春之信さんにいわれ、ああ確かに彼と似ている男性がいたなと思い出す。でも、少し線が細くて顔が青白かったから、もしかしたら体調が優れなかったのかもしれな。
「昨日、妹さんはいませんでしたね」
「花の稽古中だったようで、薬師殿に会いたかったと泣きつかれました」
「まあ、そうだったんですね」
「末娘ということもあってか、家族中に甘やかされて育ちまして……ご迷惑をおかけすることもあるかもしれません」
申し訳なさそうな顔をする春之信さんだけど、私はその子に早く会ってみたい気持ちになっていた。
「案外、妹さんと私は気が合うかもしれませんよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。だって、私も末娘ですから」
ふふっと笑うと、春之信さんは何か思い当たるふしがあったのか、短くなるほどと呟いた。
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