第30話 家に囚われて生きる二人

「お国のご両親はさぞお寂しい思いをしているでしょ」

「私の両親、ですか?」

「家族とはなれるのは寂しいでしょう。末娘となればなおのこと」

「そうでしょうか?……母からの手紙は、結婚をする気がないのかって話ばかりで……正直いうと、それから逃げたいって気持ちもあって恒和に来たんです」


 母は私の心配をしていたのか、プレンティス家の心配をしていたのか。はたまた両方かもしれないが、その気のない私には重たい話だ。

 こんな話、春之信さんには迷惑かな。

 曖昧な笑みを浮かべると、驚いた顔の彼から予想外な質問が返ってきた。


「ご結婚の意思はないのですか? 許嫁がいるお年ではと思っていましたが」

「……いませんよ。結婚の話はたくさんありましたし、私も貴族の娘ですから、家のために嫁ぐべきなんですが」

 

 貴族の階級は、恒和国とは多少異なるだろうけど、春之信さんは何となく想像がついたのか、ふむと頷いて私をじっと見た。

 これは、話を続けろってことかしら。


「私は学ぶことが大好きで、淑女教育が苦手でした。それで、ランドルフ侯爵夫人に鍛えてもらいなさいって、お母様に言われて仕えるようになったんですが……夫人は、私がストックリーに憧れていることや、薬に興味があることを分かって下さりました」


 おかげで薬師になれただけでなく、ロゼリア様の元で働きながらストックリーや薬の研究を続けることが出来た。


「女子が働くことに理解のある方に仕えていたのですね」

「はい。でも、お母様は私の結婚を諦めませんでした」


 少し冷めたカップの中を見つめ、国での生活を思い出す。

 薬草園の手入れをしたり、ロゼリア様のお茶を入れてお話を聞いたり、新しい薬の調合に取り組んで。毎日が充実していた。

 ハーブティーを飲み干してカップを横に置いた私は、ほっと息をついた。


「仕事が楽しかったんです。それに、恒和国を訪れるって夢を叶えられなくなるのも嫌でした」

「だから、船に乗られた。思い切ったことをされるお方だ」

「そうでもしないと……私はきっと恒和に来ることは出来ませんでした」

「お仕えする夫人のように、理解を示す伴侶と出逢えたかもしれませんよ」

「それは、ないと思います」


 きっぱり言い切ると、春之信さんは驚いたように目を見開いた。


「恒和国は、お伽の国のように語られています。商船の行き来があるのに、その存在を信じない者もいます。だから、夢を語ると笑われました。夢なんて見てないで、結婚して屋敷を守ればいい。それが女の幸せだって」


 少し乾いた笑いを浮かべて春之信さんを振り返ると、彼は眉間にしわを寄せながら私を見つめていた。


「ごめんなさい! こんな話、つまらないですよね」


 慌てて謝ると、春之信さんは手に持っていたカップを縁側に置き、その大きな手で私の指に触れてきた。


「大変な思いをされたのですね」

「……え?」

「私も部屋住みの身ですから、そう好きに生きることは出来ません。なので、少しお気持ちが想像できます」

「部屋住み?」

「ああ……跡取りでない次男のことです。私の兄は体が弱いので、もしもの時に備え、私は婚約もせずここに残っているのです。そのおかげで、好きな書物に関われてますし、薬師殿よりかは気楽なものですが」


 それってつまり、春之信さんはお兄さんのスペアとして屋敷に住んでいるってことよね。あまりの驚きに言葉を失っていると、温かい手が優しく指を握りしめてきた。

 背景は違うけど、彼も家に囚われて生きることを強いられてきたのね。なのに、彼は逃げないでここにいる。私と違って、なんて強いんだろうか。

 黙って漆黒の瞳を見つめていると、春之信さんは少し口元を緩めた。


「恒和での生活は、楽しいですか?」

「それは勿論! でも……ここにいられるのは五年間なんです」

「五年……」

「その間に、恒和で後ろ盾を得られなければ、国に強制送還されます。そうなったら私は、結婚か修道女になるかを選ばないといけません」

「修道女……その若さで尼におなりか?」


 驚きを隠せなかったようで、春之信さんの手に力が込められた。


「行き遅れの令嬢は、そんなものです。修道院から出るには、誰かに見初められるしかない」


 勿論、そうならないためにも、私はここで何が何でも功績をあげ、新たな後ろ盾を得なければならない。こうして藤倉家でお世話になっているけど、それも商館という繋がりがあるからだ。私一人に援助してくれている訳ではない。


 私個人に援助してもいいという繋がりを作るか、帰られては困るという状況を創り出さなければ、先はない。


「では此度こたびの、花の露を作る仕事は幸いといえますね」

「そうですね。少しでも私を知ってもらえる機会になりますから。でも、それでは商館で名の知れた薬師止まりです。私は、商館を出て生きる道を見つけなければ……」

「藤倉が後ろ盾になれればよいのですが」

「え?」

「部屋住みの私ではどうしてやることも出来ませんが、お祖父様に相談してみるのも良いかもしれません」

「で、でも、ご迷惑になるのでは……今ですら、色々とご協力いただいているのに」


 突然の提案に驚いていると、春之信さんは小さな笑みを浮かべた。


「薬師殿は大胆なのか、謙虚なのか分からないお方だ。後ろ盾を得たいのであれば強気になられた方がよいかと存じます」

「強気に、ですか?」

「お祖父様は、貴女を気に入っておられる。藤倉で後ろ盾になれずとも、何か良き策を授けてくれるかもしれません」

「……そうですね。花の露が無事に仕上がったら、お話を聞いてまらえるよう、藤倉様にお伝えいただけますか?」

「伝えておきます」


 頷いた春之信さんは、それではといって立ち上がった。


「まずは母に、試作品を試してもらえるよう、取り次いでまいります」


 静かに頭を下げた春之信さんは、縁側の板をぎしぎしと鳴らしながら歩いていった。その後ろ姿が見えなくなるまで、私は温まった指先を自分の手で握りしめていた。

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