第26話 消えた日誌と残る後悔

 すべて夢なんだと思った。

 だって、夜に春之信さんが部屋を訪れるだなんて、非現実的すぎる。いくら会う約束をしていたとしても、夜に訪れるなんてあり得ない。だから、変な夢から醒めて寝ぼけたって思う方が現実的だった。

 でも翌朝、引き出しを見た私は絶望した。


「……ない。ない!」


 声を上げて机の上を漁っている所に、エミリーがやってきて何の騒ぎかと尋ねたけど、私はどう説明したら良いか分からず、あわあわと言葉にならない声を零した。


 鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。

 ぽたぽたと落ちた雫が、机の上に散らかった用紙へと落ち、インクがじわりと染みを広げた。


「マグノリア様、ひとまず落ち着きましょう。探しものですか?」


 真新しいハンカチを出し、私の頬を拭うエミリーはにこりと笑った。一緒に探しますからと言われたら、さらに涙が込み上げた。

 震えながら、やっとの思いでどうしようと呟いた私の背を、柔らかな手がそっと撫ぜる。


「……藤倉様の日誌が……ないの」

「それって、あの、お借りした本ですか?」

 

 こくこくと頷けば、さすがのエミリーも顔面を青くした。

 泣いたって、ないものはない。分かってるけど、言葉にすると余計に混乱してきた。

 だって、なくなる訳がない。昨日だって、ちゃんと引き出しにしまって鍵をかけたんだもの。なくなる訳ないのよ。


 もう一度、ちゃんと探そうと机に向かうも、やっぱり、見つかる気はこれっぽちもしない。

 

「……エミリー、ドワイト商館長に報告してきて……私はもう一度探してみる」

「かしこまりました」

 

 早々に部屋を出ていったエミリーがドワイト商館長を連れて戻る頃には、私の気持ちもだいぶ落ち着いていた。いいえ、落ち込んでいた。

 この世の終わりくらいの気分で、床に蹲っていると、さすがに厳しい顔をした商館長に名を呼ばれた。


「マグノリア。どういうことか、説明は出来るか?」

「……盗みに、入られたかもしれません」

「バカな!」


 ひときわ大きな声に、エミリーがびくりと肩を震わせた。怒鳴られることは想定内だった私でさえ、少し手が震えたわ。


「商館長……私も、信じられません。ですが、ぼんやりとですが、覚えているんです」

「覚えている? 盗みに入ったやつの顔をか?」

「この部屋に、確かに男がいました……彼は武士で……春之信さんに見えたんです」

「春之信殿? それこそあり得ないだろう!」

「はい。でも、私は彼に日誌を渡しました。そして、お茶の用意をしていないと気付き、エミリーを探しているうちに、男は姿を消したのです」


 今思うと、本当に春之信さんだったかは怪しい。

 だって、すごく綺麗な微笑みを浮かべていたのよ。いつもなら遠慮がちに笑うのに、まるで絵に描いたように綺麗だった。そう、違和感を感じるほどに。


「では、誰だと言うのだ?」

「分かりません。分かりませんが……何者かが、あの日誌のことをどこかで知り──」


 いいながら思い出したのは、藤倉様の庭を春之信さんと歩いた時のことだ。


 あの時、春之信さんは視線を感じたといっていた。今にも抜刀するのではないかと思ったほど緊迫していて、とても冷たい瞳をしていた。思い出しただけで、ぞくりと背筋が震える。

 彼が感じたものは何だったのか。あの時、私たちが交わした会話を誰かが聞いていたのではないか。


「商館長……大事なことを思い出しました」

「盗人に心当たりがあるのか?」

「顔は分かりません。ですが、もしかしたら、私と春之信さんの会話を聞いていた者がいたのかもしれません」


 そして、その人物が夜分に忍び込んで、盗みを働いたのかもしれない。

 どうしてその不審者を春之信さんだと勘違いしたかは、いくら考えても分からない。だけど、話を聞いた商館長は可能性があると思ったのだろう。すぐさま行動に移った。

 

「今すぐ、関所の記録を確認させる。それと、藤倉様にも遣いを出そう。マグノリア、お前はこの部屋に魔法の痕跡がないか確認をするんだ」


 てきぱきと指示を出してすぐに、商館長は慌ただしく部屋を出ていった。


「魔法の痕跡……」


 言われてこの時、嗚呼とため息がこぼれた。

 あの日、あの茂みに魔法感知を施していたなら、もしかしたら、こんな事態にはならなかったのかもしれない。

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