第20話 夜空の星に祈る

 しばらく藤倉家を訪れることが出来ず、忙しく商館での仕事に従事する日が続いた。

 春之信さんの写してくれた日誌を読む時間はあったけど、恒和の植物を調べる作業は頓挫してしまったような状況だ。

 ドワイト商館長は急ぐ必要もないといってるけど、このままではせっかくのチャンスが流れてしまうのではないか、気が気ではない。


 食堂で夕食を終えた私は、ふと足を止めて窓の外を見た。

 夜空には満天の星空が広がっている。


「マグノリア様、どうされたんですか?」

「……ミルキーウェイが綺麗だなと思って」

「そうですね。まさか恒和でも見ることが出来るとは思いませんでした」

「ふふっ、そうね。地面が繋がっていないと思うと、不思議に感じるわね」

「マグノリア様。あの星々に願ったら……弟のお嫁さんは、お乳の出がよくなるでしょうか?」


 星空を眺めていたエミリーは唐突に、真剣な面持ちで尋ねてきた。


「お乳? 赤ちゃんが生まれたの?」

「こちらに来る前に手紙で……お乳の出が悪くて、おっぱいが腫れてしまったんですって」

「お乳が詰まってしまったのね。産んですぐに起きやすいって聞いたことがあるわ」

「熱まで出たそうなんです。私、心配で……ミルキーウェイは女神さまのお乳ですから、お願いしたらよくなるかなって」

「そうね。一緒にお願いしましょうか」


 本国から恒和までの航海は、魔道高速船を使っても三ヵ月の月日がかかる。それを考えたら、きっと今頃は症状も落ち着いていると思うけど、遠く離れた私たちに出来ることは、祈るくらいよね。

 両手を組んで瞳を閉ざした私たちは、しばし祈りを捧げた。きっと、よいお乳で赤ちゃんはすくすくと育つだろう。そうであって欲しいと。


「エミリー、遠いところまで連れてきて、ごめんなさい。もしも国にいれば──」

「何を言っているんですか! 恒和に来ていなかったとしても、そう簡単に田舎へは戻れませんでしたし、きっと今と同じで神様に祈ってましたよ」

「そう……ねえ、こちらからお祝いを送りましょう」

「お祝いですか?」

「ええ。お乳には栄養のあるものが良いわ……ロゼリア様にお願いしてみましょうか?」

「そ、そんな! 夫人にお願いだなんて恐れ多いです」

「ロゼリア様なら、きっと喜んでくださるわよ。それに、こちらから食べ物を送るには遠いし」

「マグノリア様、お気持ちだけで十分ですから!」

「そうだ。こちらの浮世絵を送ってお願いしてみましょう。恒和の美術は珍しいし、きっと喜んでくださるわ」

「な、なんだか大事おおごとに……」


 あわあわと唇を震わせるエミリーだけど、懐かしいロゼリア様の微笑みを思い出して懐かしく思っていた。

 まるで聖母のようにお優しい夫人だ。きっと侍女の血縁に赤ちゃんが生まれたと知ったら、喜んでくれるに違いない。脳裏に、一緒になって喜んでくださる姿を想像すると、ほんの少しだけ寂しさも感じる。


「マグノリア様?」

「……ロゼリア様、お元気かしら」


 ほんの少ししんみりとして呟いた時だった。背後でカタンッと物音がした。

 振り返るも、そこに人影はない。ただ、廊下の角にあった台の上、置かれた花瓶に飾られた花が揺れて花びらを散らしていた。


「誰か通ったのでしょうか?」

「そうね……」


 床に散った花びらを拾いあげるエミリーを見ながら、私は眉間にしわを寄せた。

 急いで廊下を曲がった時にぶつかったのかしら。だけど、足音一つなかったのが気になる。いくら、私たちがお喋りに夢中だったからって。

 廊下を覗き込むけど、そこに人影はない。この先はゲストルームだけど、泊っている人なんていたかしら。

 悶々と考えていると、後ろから声をかけられた。


「マグノリア、ここにいたのか」

「ドワイト商館長。どうされたのですか?」

「昨日、ランドルフ侯爵夫人から手紙が来ていてな。お前宛ても同封されていた」

「ロゼリア様から?」


 差し出された手紙を受け取り、すぐさま確認したそこには、私を気遣う言葉が綴られていた。

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