Op.19 恋路の邪魔

 音羽おとわすずには憧れている先輩がいた。

 一歳年上だが、入院中に一年が過ぎたので学年は二つ上である。中学の頃から憧れていたその先輩のためだけに難関校である現在の高校に入学したぐらいだ。たった一年間でも先輩と同じ学校に通えるのはかのう美琴みことのおかげだと常々思っている。

 その気持ちは憑依して共有した美琴も知っているが、魂を視ればその生者の過去が視える天使にも鮮明に伝わるわけである。


 キリクから見れば「俺のほうが百倍ルックスいいじゃねーの」とのことだが美琴は「そういう問題じゃないのよ 中身が大事なの」、鈴に代わってそう主張する。当の鈴は更に『そういう問題ですらないんだけど……』と言い出せない。

 まず種族の違いが大きすぎる。

 消極的な鈴にとってその先輩は天使や神と呼ばれる存在よりも遥かに輝いて見えたのだ。


 ――「傘持ってないの? これ貸すよ、どうせビニ傘だから明日にでもここに戻しといて」


 きっかけは、そんなベタ中のベタなものである。

 生者の恋愛などに無関心のキリクでさえ鳥肌が立ち、視えたものすべてを忘れようとしたほどだ。美琴も同じく何も言えないが、鈴の気持ちを共有している分やはり応援してやりたいと思っていた。キリクの言葉を耳にするまでは。



「……あいつ、例のあのセリフのあと小声で『俺の傘かどうかも定かじゃないし』って呟いてた。鈴には聞こえてなかったのに魂の記憶に映ってた」


「やめてよ、ぶち壊しじゃない」



 二人のやり取りは勿論、鈴には聞こえていない。

 当の鈴はというと、今しがた向かいの廊下を通り過ぎていったその先輩をポヤポヤとした眼差しで追いかけている。例えば学級委員長の古賀こがつづみが消極的な鈴を引っ張るときに手を繋いでくれる時と同じそれである。


「鈴ちゃんのこれは恋と言うよりはまだ憧れに近いわね。もう一押しだわ」

「いやあ、無理じゃねえ? なんか魂的に相性合わなさそ……」

「嫉妬は見苦しいわよ天使のくせに」

「一応俺だって御籤みくじぐらい視れるんだよ! ~っと、あぶねえ」



 御籤は生者にとって禁忌である。


 どれほど高尚な聖職者であっても生者が御籤を天に問うことは罪にほかならない。魂の情報を覗き見、本人に告げることで修行を邪魔するからだ。


 天に御籤を問うた者はその生に代償を受け魂に『首輪』が付く。それほど罪深いことなのだ。


 一方で己の直感、つまり天啓に従う意思を以て自身で『おみくじ』を引く、もしくはその意思で天の言葉を自身に降ろそうというのであればもちろん歓迎される。


 天使が御籤を視る分には勝手である。しかしそれは生者に伝えないことが大前提だ。仮にその生者の地球における魂の役目が視えてしまったとしても口にしてはならない。つまり先ほどのキリクのような『うっかり』が天使にとって命取りとなるということだ。


 例えば六枚羽根の大天使ならば羽根を四枚失うか鎖で繋がれる、或いは生者への影響の度合いによっては魂をエサにせねば消滅してしまうような堕天使となる、など。


 そしてそのような罪の数々から生まれたのが魔界である。

 御籤とも関連ある嫉妬エンヴィ怠惰スロウスと言った類いは特に『大罪』と呼ばれ、とりわけ大罪の化身と言われる悪魔は上級かつ七大悪魔と言われている。

『鍵付き』のように濁った魂でも食らうような低級悪魔とは異なり大層グルメな者たちだ。


 中でも透明で濃厚な魂をもつ鈴を執拗に狙うのが、嫉妬の悪魔リヴァイアサン、怠惰の悪魔ベルフェゴール、この二体。

 彼らは今、鈴の憧れの対象である『先輩』とやらをじっくりと観察していた。


 ふわふわとした茶髪から出る羊の巻き角のベルフがメガネの奥の茶色い瞳を半分虚ろに伏せ、腕組みした手を顎に添える。

「ふーむ。速水はやみ かなで。アストラル層くらいまでオーラ自体は強いようですが、……」

「ああ、ちょっと濁りすぎだな。マウント心の塊のようだぞ、悪魔になれそうだ」

 ツンツンとした黒髪から枝珊瑚のような角を生やしたレヴィ。(ベルフの)オペラグラス越しに真っ黒な三白眼を見開き、凝視していた。こと嫉妬の化身であるレヴィは奏の魂に対し「不味そう」という評価を早々と下した。

「右に同じく」

 コウモリのような羽根を揺らめかせながらベルフも降参ポーズをとる。二人の総評価としては『炙りすぎて焦げたハブ』とのことだ。このように下品極まりない会話に乗じてベルフはさりげなくレヴィに本題を振る。


「ところで先輩、僕のオペラグラス、そろそろ返してもらえませんか」

「お前の物は俺の物」

「チッ」

「いま舌打ちしたのか? この俺に?」

「まさか。虫の羽音ではないでしょうか」


 タッグの相性は良いが仲はすこぶる悪い。ほぼレヴィが振り回しているだけなのだが。キリクへの怒りに自分で叩き割ったオペラグラスを弁償しようともしないどころかあまつさえ自分の物を借りパクしている次第だ、舌打ちして然りである。


「おい、奴が動いたぞ」

 レヴィはオペラグラスで覗きながらベルフに手招きするがベルフは「ですから手招きされても困ります」と 一つしかないオペラグラスを持つレヴィに苛立っていた。

 しかし目で見ることの出来る範囲に移動してきたのでオペラグラスはもう不要である。むしろオペラグラスが邪魔だと感じるほどその面々は悪魔二人を集中させた。


 奏と鈴、に加え、犬神いぬがみこうとして学ランを着ているキリク、そして『足枷』の美琴。


「大道芸ですかね」



 意外にも、奏が鈴に「一緒に帰ろう」と誘ったのだ。



 突然どういう風の吹き回しかは謎だが鈴は脳内がポワポワと浮かれている。その後ろをキリクはさも当然のようについて歩く。さらにその後ろに美琴がいるが、奏にはもちろん視えていない。それでも当然キリクが付いてくることに奏は驚いた。


「え、なんで彼はついて来……」

「るせぇこっち見んな雑魚ザコ

「は!? (ガラ悪っ 態度デカっ)」

「キ…… い、犬神くん、言葉遣いに気を付けて下さいっ」


 遠目から傍観するレヴィは興味深そうに奏を観察し続けた。


「あの男、魂がイチモツ並みに黒く濁ったぞ。対抗心ハンパないな。俺の手下にしようか」

「絶対にやめてください (が増えるぐらいなら一匹だろうと今消しておかないと)」


 悪魔二人が狼狽えている間にあろうことか鼓までがあとを追ってきた。


「巫女まで来たぞ。カオスだな」

「ここまで来るともう恋路の邪魔としか思えませんね」


 奏が鈴に声をかけた理由。

 それは最近の鈴が事故に遭ったとは思えぬほど、いや、むしろ事故に遭う前の中学の頃よりも血色がよく艶があり、何かと噂が絶えないことで目に留まったからだった。


 おかげで鈴の望む形になったはずが、天使一体・巫女一人・浮幽霊一体が後ろに列を成す。

 奏が少し眉を寄せて苦笑いを浮かべ、キリクのほうに振り向いた。


「えっ……と、犬神くんだっけ? 有名だよね。でも少し派手だな、風紀委員から何も言われない? それ地毛? カラコン? ハーフってホント? 日本語うまいね、フランスの IB 校にいたんだって? なんで急に日本に……」


「ごちゃごちゃうるっせぇんだよ 前見て歩けっつってんだろ」


「怖い!」

 クラスメイトはもう慣れたようだが初めての学生にとっては免疫のないこのチンピラ感に奏は思わず叫んだ。

「か、彼は何様なんだ……」

 鈴にこっそりと尋ねるも、鈴もその質問には別の意味で顔を曇らせた。



「『神様』と呼ばれるととてもお怒りになるクラスメイト様です」



「!? どういう意味!?」

 ますます悪化するこの状況を面白がっているのはレヴィだけだった。


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