Op.34 アスモデウスの足跡

 夏祭りの誘いを丁重に断った音羽おとわすずの前に現れた一歳年上で二学年上の速水はやみかなで。彼には交際相手がいるにもかかわらず一人で出歩いている様子であり尚かつキリクを始め上級クラスの存在たちがいる中、堂々と鈴に近づいて来たのだ。


「これ翡翠ひすい? 瑞々しいグリーンは音羽さんによく似合うね」

 鈴のかんざしに手をかけようとした瞬間、キリクが奏の手を掴んだ。黙って奏を睨みつけるキリクを奏は黒ずんだ魂と同化したような顔で嘲笑する。

「怖いなあ、そんなに睨むなよ。天使が嫉妬なんてマズいだろ、そこの嫉妬エンヴィの化身みたいにさ」


 奏は口元だけに笑みを浮かべてレヴィを見た。視線を向けられたレヴィも鳥肌が立つほどのの気配を感じる。キリクたちを天使だと知っての言動はつい二か月ほど前までキリクの眼光だけでもおののいていた彼とはまるで別人である。

 つまり、やはり奏は悪魔と契約していたのだ。しかしレヴィは妙なことを口走る。


「契約をしたにしてはやけに頑丈な生体とメンタルだな」

 言いながら警戒を高め、腰の位置で手のひらに青白い炎をスタンバイした。黒い甚兵衛じんべえに竜神のような枝珊瑚の角、そしてコスプレのように小さくまとめたコウモリ羽根。それだけでも浮かれているのは目に見えているが、過去 彼ら悪魔が 『中級悪魔』 と呼んだ相手の実際が何たるやも気付かぬ様子で舐めてかかる姿に奏は「ははっ、上級悪魔も稚拙なもんだな」と軽く高笑いを上げた。


 ベルフは何らかの嫌な予感から咄嗟に防衛のための氷の膜を張るも、驚くべきことにそれは瞬時に溶かされた。


 によって。


 それが電気分解だと気付いた瞬間、バリバリと電流が走り火花を散らして奏の足元の『影』からヌルリとおぞましい周波数を放つ強靭な悪魔が現れる。


「ヤでしゅね、ワタクシの色香が通用しないなど野暮でしゅわ」


 その姿を目の当たりにした瞬間、レヴィもベルフも咄嗟に動きを止める。そして驚きのあまり名を呼んでしまったのだ、


「ア、アース……」


 そこにいたのは褐色肌でピンクのカールヘアをした幼女。とは言えその髪の両サイドから出るのは小悪魔型の尖った小さな角、そして体よりも大きなコウモリ羽根が生えている姿から容易に『悪魔』だと分かる。

 外見に惑わされる者が後を絶たない彼女の本質は齢五百を超える 色欲ラストの化身、かつ七大悪魔の一人、


 アスモデウスだ。


 レヴィとベルフがサタンよりも遥かに厄介だとして関わらないようにしていたのが彼女である。

 外見と中身が全く異なることは浮幽霊のかのう美琴みことだけならず音羽鈴や古賀こがつづみにも分かり、当然キリクとサクも一気に警戒態勢に入るほど歪んだ周波数を放っていた。


 その周波数は低級悪魔や浮幽霊たちを多量に呼び寄せる。異変に気付いた大天使たちがこぞってこの場所に集合し始めた。

「サク、キリク。これはどういうことだ」

「七大悪魔が三体も集まっているではないか」

 あまりにも重く低い周波数は天使のアンテナにかからない。それゆえ日ごろから手を焼いているのが上級悪魔だというのにそのような存在が三体も一箇所に集結していることに天使たちは慄いた。


「私どもの失態でも彼ら上級悪魔二名の仕業でもありません。この生者と中途半端に契約を仕掛けたアスモデウスらしき悪魔が急に現れただけです。私にも状況は分かり兼ねます」


 端的なサクの説明に納得いかない大天使たちは

「お前がそんなことでどうする! それに何だ、その……浮かれた格好は!」

 羽根を仕舞い込み周波数を落とした浴衣姿にもまた騒然となった。

「これは生者の中に紛れて監視するための作戦です」

 などと都合よく言い訳を連ねるサク。どうにも無理のある大義名分に思えるが、天界では言葉を要さず筒抜けのところ地球では意思疎通できないためそれを良いことに上手く誤魔化せたようだ。


 片や悪魔側、レヴィは警戒しながらアースに尋ねた。

「なぜお前がここにいる。その生者の魂を食らってないということは契約破棄でもしたのか?」


 アースはレヴィの愚問にクスクスとイタズラに笑った。

「レヴィたんもベルたんもまだまだ未熟でしゅね、契約が途中だからって食らわないわけでも破棄したわけでもないのでしゅよ。生かさず殺さず利用しているだけでしゅ」


 ベルフも緊張した面持ちでメガネを整え、「魂をそんなに真っ黒に染めておいて、不味くなるだけでは?」と時間を稼ぐ。

 しかしその時間稼ぎも虚しく、アースは若輩者のベルフになど目もくれずに鈴を見やった。アースの目はどことなくサクと同じ空気を漂わせており、目が合った途端 鈴は背筋に寒気を覚えた。そこに追い討ちをかけるようにアースはその視線で鈴を縛る。


「ふんっ。七大悪魔がうつつを抜かしゅほど清い魂の生者がいると聞いて興味が湧いたのでしゅわ。けれど天使の強力な加護があって近づけませんでしたの。だからその清き生者に劣情を抱いていたこのオトコを利用したのでしゅ。こんなにオーラが強いのに魂の脆い子も稀でしゅわね、使い捨てでしゅ」


「劣情…? で、でも、速水先輩は付き合ってる人が……」

 鈴が言うなりアースは酷く馬鹿にしたようにケタケタと笑う。


「お馬鹿なのでしゅかあなた! 人間のオトコに一夫一妻制など向いてないのでしゅよ! すぐ誘惑に負ける弱い生き物でしゅ! このオトコもあなたの姿を真似たワタクシに惑わされたのでしゅ、あ、でも交際相手とも別れてません、つまりこのオトコはあなたの形をしたワタクシとカラダだけを契って満足したのでしゅよ~ほほほ!」


 アースの言葉に鈴は気絶しそうになった。その衝撃で周波数が大きく乱れかけたことを皮切りに離れた位置からレヴィがアースに火炎竜を放ち、キリクは鈴の精神が乱れぬよう後ろからオーラで包み込んだ。


 更に同時、速水奏が気絶する。死んだわけではなさそうだ、魂は黒いままだが肉体を離れていない。


「レヴィ~~た~~ん」

 表面に多少のすすがついたのみで傷一つさえ負っていないアースがレヴィを睨みつけ、身内相手と言えど容赦なく両手に大扇子を広げた。一振りで 100 万ボルトの電流を放つことが出来るその扇子を目にしてベルフが固唾を呑む。「マズいです、」そう小さく呟いたのち「皆さん! 結界を……」 叫びかけたとき、


 突如、アースの動きが止まった。


 微動だに身動きが取れなくなったのだ。集まった大天使二体によって編み出された結界が彼女を縛り付けていた。

 しかしそれも一瞬の揺らぎであり電気属性の彼女にとって結界など組成ひとつ変えれば解除することは容易い。つまりいかに大天使のエネルギーを前にしようとひるむことがない、それゆえアスモデウスはとても厄介なのだ。結界は易々と解かれてしまった。


 それでも何故か、動けない。

 なぜ動けないのか。


「…………う、噂に聞いていた磁力属性は、あなたでしゅね……」


 磁力を司るサクが大天使の結界を目くらましにしている間に彼女の電力を無効化したのだ。


 エネルギーの格は明らかにアースが上である。しかし大天使による時間稼ぎもありアースが能力を使えないよう磁場をゼロにし電力を狂わせた。エネルギーの格差はあれど単に相性が最悪だったということだ。サクはアースに近づき、光も通さぬ瞳でじっと見つめてをした。


「初対面だねアスモデウス。さて、単刀直入に言おう。その生者との契約を完全に切り、音羽鈴の魂を汚さぬと約束してほしい。さもなければ私があなたという存在を消してしまいかねないから」


 もはや取引でも何でもない一方的な命令である。だがサクの瞳の奥にスタンバイされたヴォイドのような暗闇に対してサタン以上の恐怖を抱いたアースはギリギリと歯を食いしばり、ひとまずは撤退という形を選択する。


「ふん、四枚羽根ふぜいが。『鍵付き』なんて連れてるような間抜けオンナに揃いも揃ってなぜでしゅか。……まあいいでしゅ、ワタクシまでムキになっては七大悪魔の品格が落ちぶれましゅからね。そんな生者一匹に割く時間などありませんの。このオトコも用済みでしゅ、殺して食べるほどでもないので解放して差し上げましゅ」


 減らず口とはこのようなことを言うのだろうか、しかし損得を考えると大天使二体にサク、キリク、そして身内二体までが牙を剥いている敵陣に自分一人。サクに従うほうが無難であると判断したアースはただちに速水奏との契約を切った。


「この魂が汚れたのは他でもなくこのオトコ自身に問題があるのでしゅわ。いいこと? そこの間抜けオンナ。世のオトコは高尚な聖職者にも稀に透明な魂をもったまま平気で一夫多妻制を貫こうとする輩もいるのでしゅ。もしそんなオトコにかかったならワタクシに言えばタネを撒けないほど搾り尽くして魂を食らってやりましゅよ。あ、これ名刺でしゅわ」


 ピンッと投げられた名刺は不自然な風に乗り鈴の手に静かに収まった。その名刺に目を落とすと何やら怪しげな QR コードが掲載されている。


〈 浮気、承りましゅ。いつでもあなたの傍に色欲を。アスにゃん 〉


 いかがわしい斡旋あっせんそのものだった。キリクはそれを風で飛ばしてレヴィが燃やす。


 契約を切ったためアースはもう奏の影に入らず、体よりも大きなコウモリ羽根を広げて一振りで宙へ舞い上がる。


「ヒマになればまたいつでも遊んでさしあげましゅ。そのブラックホール天使以外ならば、でしゅけどね」


 そう捨て台詞を吐いて飛び立った。

 気絶した奏の魂は大天使により浄化されたものの、もともと濁っている部分もあり「やれやれ、『首輪付き』にならねばいいが」とボヤかれた。


 アースと大天使の姿は生者には視えていない。この一連の騒ぎはただ灯篭とうろうの作り出す陽炎かげろうに溶けていた。


 仮にこちらを見ている者がいるとすれば、例えば強い魂を持った動物やコウモリの化身、或いはこの世の者ならざる存在たち。

 そんな多くのエネルギー体が交雑するイベント、それがこの盆シーズンの夏祭りである。

 先ほどの騒ぎが幻術だったかのように気を取り直した彼らは思う存分 宵の祭りを満喫したのだった。



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