Op.24 喧嘩

「あの番犬、生者の姿でも周波数をコントロールできたんだな」

「当然でしょう。素粒子だけであれほどの再現性が得られるのもすごいですが周波数まで生者に等しく落としている、まさに神の成せる技。どうあっても中身は天界の 4096 Hz、またはそれ以上ですよ、彼は実によくブレますけど」

 よもや自分のオペラグラスまで割られてしまうのではと、苛立っているレヴィからそれをそっと取り上げたベルフ。


 例えば人間は 20〜20,000 Hz の音を聴き分けると言うが実際に自分達の過ごしている空間、発しているそれらの周波数はせいぜい 100〜400 Hz がいいところだろう。巫女見習いの古賀こがつづみでようやく 528 Hz と言ったところだ。

 それは細胞の修復に関与する第五層オーラの強い者が放つ周波数であり、オーラを第三層まで強化した音羽おとわすずの周波数はまだ 369 Hz 付近である。いや、付近だった。



 雨の中、濡れた身体を震わせる鈴をキリクが傘に入れる。鼓のほうが早く追ったものの、やはりキリクのほうが先にいた。いつだってキリクは誰よりも鈴のことを遅く理解するが誰よりも速く鈴の所に辿り着く。


「泣くほどのことかよ、生きてる限りこんなことは茶飯事だし、こんなんで『足枷』になる奴だって五万と見てきたぜ (とは言え第二層まで薄れてる、少しヤバいな)」


 いついかなる時においても生者を慈しむべき存在。この不便な世界で自身の周波数を地球に合わせて落としたとしても尚その中身は天のエネルギーに満ちている。それは時に救いであり、時に生者の心を置いてけぼりにしてしまうのだ。


 キリクのこの上なく崇高で無神経な言葉によって、この先の関係性が大きく変わることは誰も予想だにしなかった。



「魂の修行だと受け入れて平静を保て。あの速水はやみかなでって生者は悪魔と契約してんだよ。むしろ結ばれなかったことが天の救いだったと思えばいい」



 鈴の気持ちを誰よりも知っている浮幽霊のかのう美琴みこと

「あんたこんな時に…… あの悪魔のイタズラのほうがまだマシよ」

 キリクに言い返すも、それを遮るように鈴自身が乗り出した。



「キリクさん、私は、いつもキリクさんには感謝してます。でも今はそんな気休めは聞きたくないです。ごめんなさい。生者には時間が必要なんです」



 初めて鈴が意見した。

 それはキリクを少しだけ揺らがせた。なぜ揺らいだのかキリク自身にも分からない。だが鈴が離れそうに思えたこの瞬間、確かに負の感情が生じたのだ。


 ――(生者の体に馴染みすぎたか? 駄目だ、俺まで地球に呑まれたら鈴を守るどころか自分さえ……)


「鈴、時間が必要なのは分かる。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないんだ。この梅雨の時期にオーラが弱れば今のお前じゃ……」


「数日、いえ、一日でも駄目なんでしょうか、心の整理をする時間もいただけないのですか?」


「そ、そうは言ってない、けど、俺はお前の魂が心配で……」


「『でも』、『けど』、キリクさんは否定ばかりです。私の魂を気にしてくださるのはキリクさんのご都合じゃないですか。私の心までは分からないのにどうして支配しようとするんですか。押し付けですか。決めつけですか」


 やはり揺らぐ。

 揺らぐはずの鈴ではなく揺らがぬはずのキリクが揺らぐ。あの鈴が目を閉じながらも勇気を出してここまで主張をするのだ、理由があることは一目瞭然。それでも未熟なキリクは自分が言いたいことのほうが勝ってしまい子供のような態度で鈴を突き放してしまった。


「せっかく善意で付いててやってんのになんでだよ、俺の助言を聞き入れずに憑依されて低級悪魔にでも食われたらどうなるんだ」


『せっかく』『~のに』

 おそらく、上司のサクがこの場で耳にすれば牽制けんせいにかかるだろう。実際には鼓を通して視えているが、今回サクは口出しをしなかった。これが『生者』の問題だからである。キリクが一度は通った道でもあるのだ。



 何度も何度も『足枷』をつけて地球に繋ぎ留められてはサクに見つかり、

 わめき、すがり、衰弱して、

 そのたびにサクが鍵を見つけて外してやった。



 いつも孤児みなしごとしての生を選び、「今度こそ」と繰り返す。

 いつも愛に飢えては勝手を繰り返して自分の首を絞め、命を落とす。

 鍵など毎回同じ場所にあることすら、錠を外すまでいつも忘れるのだ。

 六度目でようやく人生をまっとうしたが、「もう地球は懲り懲りだ」と言ったので天使になった。


 そんな目的すらも忘れて生者の中に溶け込み、また身勝手に自分の身を滅ぼさんとする危なっかしい天使だからこそ『かわいいキリク』と、サクはいつも見守っている。

「音羽鈴と叶美琴、彼女らを放っておけないのは、片やには必要とされたく、片やは救ってやりたい。生者の記憶の名残なごりだろう」

 神社の社務所にて帳簿をつけている神主のひびきの近くで大量の護符に真言でエネルギーを込めているサクが急に呟くので、響も「何か視えられたのですね」と返す。

 サクは憂いの重力を秘めた真っ黒な瞳を細めて微笑んだ。


「鼓を強くしてくれる優秀な『生者』たちが視えたねぇ」



 そのような高次の視点に立つこともなく発したキリクの言葉に鈴もワナワナと震えた。

 必死で涙を堪え、唇を嚙みしめている。そして一歩、ローファーで後ろに下がる。



 傘の外に出たのだ。



「頼んでません」

「鈴……」

「私、キリクさんに守って欲しいだなんて頼んでません。キリクさんは自己責任だけで私に付いているのでしょう、それに加えて、私の気持ちにまで勝手に口出しするなんて酷いです」

「人聞き悪いな、何が不満なんだ。中級の俺がわざわざ付いてるんだぞ」

「確かに天界ではすごいのかもしれないですが生者の気持ちよりも万物の調和だけを見ているじゃないですか、そんなの……」


 鈴の口から思わぬ言葉が飛び出す。それがこの関係性を大きく変えることになるのだ。



「そんなの、居ても居なくても生者にとっては変わらないです! これ以上押し付けるのでしたら、絶交です!」



「絶交!?!?」



 傍で野次馬していた悪魔たちのほうが叫んだ。

 もちろん美琴も、鼓も。

 キリクに至っては言葉も出ない。


 鼓を通して視ていたサクは社務所で思わず笑い声を上げていた。

「ははは! ……おっと、護符のエネルギーにムラが出来てしまった」



 唖然としていたキリクだが、言われてみれば確かにそうだ。なぜこうも無理をして鈴に付きっ切りだったのだろう。たかだか難易度の高い『足枷』の美琴のために。最初は鈴を利用して錠が外せたらそれでよいのだと思っていた。それがいつの間にか鈴のオーラを補填して、魂の純度までも気にして。


 馬鹿馬鹿しく思えたキリクもまた更なる稚拙な言葉を突きつけた。


「じゃあ勝手にすりゃいい! せいぜい汚れないうちにそこらの上級悪魔にでも食われてしまえ!」


 鈴とキリクという当人たちを除いては誰もが呆れる展開だった。


「僕たち上級悪魔に丸投げするとはなんて無責任な……」

「天使にあるまじき発言だな、サイコめ」


 無論、美琴は鈴から離れるつもりもなく、鼓もまた全力で鈴の味方をするつもりである。つまるところキリクが普通に孤立しただけだった。悪魔たちにも何の関係もない、それだけの話である。

 しかしそれでもこれを機に、二人は大きく変わるのだ。



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