最終楽章:モーツァルト・レクイエム

Op.42 第1曲 レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)

 音羽おとわすずにとっては高校入学以来初めての学園祭が本日から二日間開催される。勿論、鈴だけでなく一歳年下の同級生たちにとっても、そして浮幽霊のかのう美琴みことにとっても高校では初めてである。

 古賀こがつづみの浮かれる様子には古賀が祀っている上級天使サクもソワソワと落ち着かない様子だった。安定の高周波は維持しているが同じ場所に住所を構えている中級天使キリクを露骨にチラチラと意識していることは鼓の祖父であるひびきにも伝わっていた。


「サクさま、まさかあの夏祭りで味をしめられたのですか」

 ポソリと囁くと、サクはブラックホールのような瞳をふと細めて

「何を言ってるのか分からないねぇ。学園祭など微笑ましいだけだよ」

 そのようにキリクに聞こえるように言う。キリクは相変わらず素知らぬフリをし、クラスの出し物 (お化け屋敷) に最後まで妥協せずオンライン会議でもスパルタ指導していた。

「だから人間が一番恐怖を感じてる瞬間の音響はそのタイミングじゃねぇんだよ。あと血のりが嘘くさい、もっと時間経過したようなびた感じを出せ」


 犬神いぬがみこう、つまりキリクは幽霊や妖怪にしては神がかった輝きが滲み出ているとのことでキャストから外されたものの指示が的確なあまりいつの間にやらリーダーと化したようだ。


「結局、本物の幽霊って生前の思い入れある姿でのこるから外見的に怖くないのが多いのよね」

 と鼓が呟くたび画面越しに称賛の声が上がる。

『おお~古賀さん、さすが巫女。霊感あって羨ましいなあ』

「まだお祓いする力はないけどね」

『でもフランスホラー? に詳しい犬神くんと巫女の古賀さんがいれば最強だよ』

『音羽さんもホラーとか苦手そうなのによく犬神くんと一緒にいられるね』

『ホントだよ、犬神くんがここまでホラーオタクだとは思わなかった』

『音羽さん大丈夫? 嫌だったら無理に犬神くんに合わせなくていいからね』

『あ、ありがとうございます皆さん……』

 一緒にオンライン会議に参加している鈴は何度も本当のホラー体験をしているため少し複雑な気分で苦笑いを浮かべていた。しかしキリクの後ろにソワソワしているサクの姿を見るやサクに向かって何気なくニコッと笑顔を向けると、それに気付いた鼓が

 ―― (ハッ! さすがは鈴。サクさまにかんなぎ衣装を着せろと言うことね!)

 と何やら勘違いをし、更に空気を読んでしまったキリクはその無駄なイベントを全力で阻止しようと決意した。


 一方、黒戸くろとほむら碓氷うすいよりの悪魔組はオンライン会議に参加しなかったにせよ会議の翌日からすでに校内で騒動を招いている。


「二人ともバンパイア衣装めっちゃ似合う~」

 不思議なほどしっくりと当てはまるコスチュームから二人して吸血鬼役を押し付けられてしまっていた。当の二人にとっては悪魔役ならまだしも吸血鬼役などまっぴら御免である。

「あんな生き血を好むコウモリの化身ふぜいと俺たちを同列にするな」

「そうですよ心外です。せめて七大悪魔でお願いします」

 しかしその七大悪魔が揃って懇願するも「七大悪魔???」 と誰もが首を傾げるため二人は堂々と説明を加えた。


「七つの大罪の化身だ」

「リヴァイアサンやベルフェゴール、聞いたことぐらいあるでしょう」


 自分の正式名を他人に明かすことは弱みを握られる降伏と同じ行為であるが七大悪魔ともなると弱みさえ無いも等しい、ただしそれは悪魔同士の暗黙の了解であり契約対象である生者には捨て身の覚悟で教えているのだ、が。


「なにそれ、マイナーじゃん」

 往々にして無宗教の日本では悪魔の名も浸透しておらず芸術や歴史学などで耳にしたことがあったとしても『吸血鬼のほうがわかりやすいから』と却下され二人は結局吸血鬼役を押し付けられた。


 なぜ生者に振り回されねばならぬのだという葛藤が込み上げたレヴィは条件を提案する。

「いいだろう、だったら衣装は持参するぞ」


 無茶難題でもなくむしろ有り難いことである。

「黒戸くんたちってレイヤーなの?」

「そういえば夏祭りでも甚兵衛に悪魔コスしてた!」

「見た見た! 可愛かったよねー」

 すんなり受け入れられたようだ。遠巻きにこの一連の様子を見守っていた鼓や美琴は「なんでこういう時こそ催眠使わないんだろ」とただただ不思議でならなかった。


 そして待ちに待った学園祭当日。

 キリクと鼓の作り出したクオリティも絶賛を浴びた上、悪魔二人のコスプレもといスッピン姿も大層な反響を呼び、かなりの盛り上がりを見せていた。その『お化け屋敷』は他校を始め中学校や大学からも見に来る者がいたという。


 鈴と鼓の巫女装束は特に男子生徒から人気だった。二人のツーショットも写真や動画に収められたが、

「音羽さん似合いすぎ」

「いつもと雰囲気違って良いね」

「俺と写真撮ろ…あ、犬神くん、音羽さんと一枚だけ撮っていい?」

 鈴との写真を撮りたい男子生徒はなぜか犬神吼の承諾を得るというナゾのルールが発生していた。当のキリクは禁止していたわけでも何でもないが一人が許可を請い始めると軒並み続いていく。


 学内を騒がせた人物はもう一人いた。それは部外者の者でありそこにはすでに人だかりが出来ている。

 中心を探ると姿を現した人物は、まごかたなき、サク。

 鼓の指示通り巫の姿で参上していた。羽根を仕舞い周波数を肉眼で可視化レベルに落としてはいるがサラサラの黒髪に憂いを帯びた黒い瞳はご健在である。


「古賀鼓の親戚にあたる者ですが、鼓の教室がどちらにあるか教えていただけますか」

 キリクのように魂の位置を把握するようなスコープが使えないサクは手っ取り早く近くの女子学生に声をかけるが、しっとりとした切なげな眼差しを真っすぐに受けた生徒は絶句したまま硬直してしまった。


「あれ? おかしいな。この子は一般の生者だと思ったのに第六感が強いのか? もしくは私の姿に問題が?」


 これ以上は見るに堪えかねたキリクがパーカーを羽織ってフードをかぶり、人だかりの中心にいるサクの腕を引っ張って誰もいない場所に連れ込んだ。


「何考えてんだテメェ」

 キリクが言い終える前にサクは 「犬神くん!」 ずっと言ってみたかったセリフを口にするが周囲には誰もいないので 「茶番はよせ」 とあしらわれる。この冷淡な反応は予想がついていたため次の手段にかかった。生者のように頬を少し染めて切なげな流し目を向け、胸の辺りをギュッと握り締めて遠慮がちに笑うのだ。

「来ちゃった」

「帰れ」


 二人は結局クラスにおもむくも、悪魔たちがサクの姿を見るなりサァッと撤退。お化け屋敷の名物が二体もいなくなったことに衝撃を受けるクラスメイトをよそにサクは鈴と鼓のツーショットを目にし「かわいらしいね」と声をかけ、さりげなく美琴にも同じ衣装を着せてやり喜ばせた。それ以降はクラスの女子生徒に囲まれてしまい、

「もしかして夏祭りで犬神くんたちと一緒にいました!?」

「おいくつですか!?」

「犬神くんとはどういう」

「古賀さんの親戚って、いずれは跡継ぎをされるんですか?」

「学生さん? 学校どこですか?」

 予想以上に質問攻めだったが一切取り乱す様子もなく全てでっち上げて適当に誤魔化した。キリクは何やら自分より人気を集めるサクに対抗心を抱き

「そいつニートでヒモでめちゃくちゃ年くってるから」

 と酷い言い掛かりをつけたがそれが逆にクラスの女子生徒を敵に回す結果となり、その子供じみた様子には鈴も鼓も美琴までも呆れ果てていた。


 学園祭そのものはある意味成功だったがキリクは不満げに愚痴をこぼす。

「ああクソ、あいつ仕事してりゃいいのに何しに来たんだ」

 自身も悠々自適に生者ライフを送っているにもかかわらずサクには人一倍厳しく当たる様子に鈴は眉をひそめて微笑んだ。

「そんなこと言わないで下さい。鼓さんや美琴さんはとっても嬉しそうでしたよ」


 夕暮れの屋上で二人きり。

 冷えた空気に包まれながら困ったように笑う鈴は巫女装束だからかいつもと雰囲気が違う。それを改めて実感したキリクは戸惑いを隠すように悪態をついた。

「あ、あの『足枷』、いつの間にサクの側に付いたんだよ」

「サクさまがお優しいからでしょう」

 いくら強がっても穏やかに笑う鈴を見るとやはり強く出られなくなる。

 何より『どうも俺は鈴にだけは弱いよな』などというセリフを吐かずとも伝わってしまう。このようなときエネルギーの共有を恨めしく思う。不思議なほど『格好つかない』と羞恥心が込み上げてくるのだ。

 そんな照れくささやコンプレックスも尚、鈴は愛しげに受け入れる。だからキリクも素直にならざるを得ない。


 夕陽を反射する黒真珠の瞳と目が合った途端、真っ白な鈴の腕を取り、その手の甲、そして頭に口づけをした。

「生者のスキンシップがクセになりそうだ」

 鈴の冷えた身体を抱き込みしばらく熱を移したあと、ふと離れて耳の下から熱い手を滑らせて細い首を支え、親指で紅葉色の唇をなぞった。両手を腰に添えてゆっくりと顔を近づけ軽く唇をついばむ。


「あの、エネルギー……でしたら、満ち足りてます」

 雪のように白い頬を夕陽に染めた鈴は、濡れて微睡まどろんだ瞳をキリクに向けた。唇を薄っすらと開けて吐息を漏らすと、

「悪い。そういう意味じゃないから」

 と、キリクはその唇に蓋をする。


 どれほどの時間が経っただろう。


 キリクが唇を離すと、「はぁっ、」 鈴は軽い喘鳴を上げて息を乱していた。

「ど、どこで呼吸をすればいいのか……」

「マジか」

 鈴は頬を火照らせてキリクの学ランをギュッと握りしめたまま、伏し目がちに黙り込んでしまった。黒い瞳を覆う長いまつ毛を上から眺めて愛しさを覚えたキリクはその目蓋まぶたにも口づけし、そして真っ赤に火照った耳にも、ちゅ、っと吸い付いた。

「ひゃっ」

 くすぐったさから鈴は咄嗟に耳を覆って離れる。

「お前を揶揄からかうのは楽しいな」

 キリクは笑ながらそう言い、ハグをして頭に頬ずりした。


 平気そうに振る舞っているキリクも、そして本当は揶揄われているわけではないと知っている鈴も。


 ―― もう少しこうしていたい。


 同じ気持ちでこの甘ったるい空気に浸っていた。この先に待っていることを予想だにもせず、ただ二人だけの世界に浸っていた。



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