Op.43 第2曲 キリエ(憐れみの賛歌)

 年が明け、音羽おとわすずが高校生になってもうじき二度目の春がくる。それは同時に鈴がキリクやかのう美琴みこと、そして古賀こがつづみと出逢って一年という月日を物語っている。

 その一年の間に天界でも魔界でも変動があった。


 キリクのテリトリー内に、見慣れぬ女天使と女悪魔が一羽ずつ。

 その二羽は、意図せずして偶然に鉢合わせた。


「おや ご挨拶だねえ。この中級天使のアタシに喧嘩売るために真正面からご対面かい? 上等上等」

「イヤでしゅわ、下品な天使もいたものだこと。そのデコトラのような品のないライトアップ、やめていただけましゅか?」


 幼いお嬢様口調の一羽はアスモデウス。夏祭りで騒ぎを起こしたメスの悪魔だ。彼女は色欲ラストの化身にして七大悪魔、そして齢五百余り。褐色肌にピンクのカールヘア、シンプルな小悪魔の角をもつ幼い少女の姿ではあるが僧侶のように高尚な魂をもつ男性でも惑わし食らうことのできる強力な淫魔である。雷という属性から結界の組成すら変えることも出来、違う意味でオスをもてあそぶことも出来る。


 もう一羽のガラの悪い彼女はサンスクリット語で『श्रीシュリー』という。二枚羽根で植物属性の中級天使。白く輝く長いウエーブヘアをなびかせる白人系であり、グラマラスな体つきだが男を翻弄する気はない、天使であるがゆえ。そしてキリクの同期である。


 彼女らがなぜここにいるのか。

 アースは単純にバレンタイン前の狩りで地上に顔を出したがシュリーについては天界からある仕事を任され派遣されていた。その仕事とはエリート天使キリクを犬神いぬがみこうとしてこの地球に留めている存在、鈴の監視である。



 ---


 このような経緯にて、二人は転入してきた。


「はい、えー……クラス編成したいぐらいの人数になってきましたね。なぜこのクラスに (しかもこの時期に) 密集するんでしょうね」


 担当教員も半ば諦めている様子だ。


「アタシは吉祥きちじょう けい。口答えするやつはぶっ殺すよ」

 口は悪いことはさておき高校生とは思えないシュリーのスタイルに男子生徒は騒ぎ立てた。

畜生イケメンしか来なかったこの惨めなクラスにもようやく春が!」

「しかもバレンタイン目前に!」

「見ろよあの胸。苦しそうだな」

「スカート丈がケツのサイズに追いついてないぞ!」


 騒がれているシュリーを横目にアースは嘲笑し教壇に飛び乗って腕組みした。

「下品なオスどもでしゅね。ワタクシの自己紹介も聞きなしゃい!」

 叫ぶや否や淫靡いんびな催眠をかけ、男子生徒の視線を一気に自分に集中させる。

「ふむ、よろしい。ワタクシは驫木とどろき もえと申しましゅ。色香担当はワタクシにお任せあれ、でしゅ」


 催眠は男子生徒だけであるが当然ながらキリクや悪魔二体にも効くわけがなくキリクはレヴィとベルフにヒソヒソと耳打ちした。

「前にも思ったがなんであのアスモデウスって奴はあの風貌であんなに自信満々なんだ」

 珍しくキリクが人の外見に口出しをしたと思ったが内容が内容であるだけに碓氷うすいよりことベルフは苦笑いを浮かべ、やはりヒソヒソと説明する。


「彼女は色欲の悪魔ですからね。それも齢五百超えですから魔力が強大なんですよ。アース一人でこの校内、いえ、町内の男は全員服従させることができます。人に流れる微弱な電流を操作して生者の ED を無理やり何とかすることも可能です」


「こぇぇ……」

 キリクが引いていると黒戸くろとほむら、つまりレヴィが補足した。

「魔力だけじゃなくアッチの体力も半端ないぞ、町内のオスを搾り尽くしてもケロッとしてるはずだから」

「搾り尽くした『ソレ』は一体どこに行ってんだ」

「イチゴ牛乳やチョコミントと同じ原理さ」

 人が異空間と呼ぶ不可視の次元の話である。アイドルは排泄をしないという説に近いものだが体内に摂り入れた段階で素粒子まで分解され『物質』よりは『霊体』に近いものになる。つまりオスがアスモデウスから搾り取られてもそれは生命としての役割を果たすことなく消滅するということだ。説明しておきながら悪魔は二人して股間がヒュッと縮まる気分に苛まれた。


 レヴィは真後ろの席を振り返り静かに注意喚起をほどこす。


「とにかくアスモデウスには関わるな、転入してきたからと言っても無視をしろ。いいな、音羽鈴」


「? は、はい」

「なんで鈴にだけ言うんだよ」

アースやつの目的はおそらく音羽鈴だからだ」


 意味深な言葉を呟くレヴィをよそにふとキリクが壇上からの視線を感じて目を向けるとシュリーがジットリと睨みつけているではないか。その眼差しときたら天使のそれではない、まるで昔の不良の番長のようである。キリクも何の対抗意識か負けじと同じ眼差しで睨み返した。

 視線だけのバトルが繰り広げられる異様な光景にレヴィもベルフもおののき、その様子を傍観していた美琴が別の観点から嘆いていた。

「サクさま以外の天使が皆そうなのか中級天使がそうなのか今のところガラ悪いタイプしか見てないわ」



 緊迫していたのも束の間、昼休憩になった途端にランチを広げ教室内でゆったりと過ごす鈴たちを目にしシュリーとアースが近づこうとした時である。席を立った瞬間二人はみるみるうちに男子生徒たちに取り囲まれ質問攻めに遭い始める。

 特にシュリーはキリクの転入時と同様、他のクラスや学年からも見物に来る生徒が絶えず、生者を押し退けるわけにもいかず結局キリクに近づくことすら叶わなかった。


「大変そうなのになんで助けてあげないのよ」

 鼓が尋ねるとキリクはイチゴ牛乳のパックを置き、鈴の手を握りしめて鼓に見せる。

「ほら俺、忙しいから。それにあれってこの学校の洗礼なんじゃねーの?」

 この人だかりを洗礼だと思っているのはおそらくキリク、レヴィ、ベルフだけである。

 キリクがシュリーを放置するのと同様、悪魔たちもまたアースに用もないため生者の男子生徒たちに丸投げしている次第だ。

 結局夜になればアースに捕まり狩りを手伝わされる羽目になるとは露知らぬ呑気なレヴィは女子生徒から貢がれたチョコミントアイスを満足げに口にしていた。


 そして高を括っていたキリクもまた放課後、ついにシュリーに捕まってしまう。更にシュリーに捕まった途端、学生たちにも捕まった。金髪と白髪の白人が並んで異国と化したため注目を浴びたのだ。

「この空間だけすごい派手になってる」

「写真撮ってもいい!?」

「犬神くんカメラちゃんと見てよ」

「吉祥さんこっち向いてー」


「ていうか二人って似てるけど親戚?」

 その唐突な質問にキリクは答えを用意していなかったがシュリーは

「そうさ、住所も同じだよ」

 とさりげなく恐ろしいことを言う。


「「へ?」」

 シュリーのとんでもない発言に驚いたのはキリクだけではない、鼓もである。


 ようやく人だかりを撒き終えた帰路の道すがら、すでに鼓はシュリーと打ち解けて雑談感覚で話していた。

「吉祥さんは、じゃあお爺ちゃんのコネで入ったってこと?」

「そうだよ、サクさまから許可を頂いたのさ。よろしくねぇお嬢ちゃん」


 シュリーも本殿に居付くのか、サクだけでも鬱陶しいのに、そんな煩わしさが重なったキリクはつい最近まで考えていた思いを言葉にしてしまう。

「鈴の家に住所を移そうかなあ」

 しかし言い終えるまでもなくシュリーがキリクの胸倉を掴み上げた。

「生意気言ってんじゃないよ青二才!」

「ゲフッ……てめぇも同期だろうが……」

 投げ捨てるようにキリクの襟首から手を離したシュリーは舌打ち混じりに悪態をつく。

「弱っちいね。アンタ、このままじゃ本当に地球に呑まれちまうよ。アタシの手が見えなかったろ、今」

「……油断しただけだ、同期から攻撃されるとは思わねえだろ」

 少しの動揺を隠そうと襟を整えながら目を背けるキリクにシュリーは痺れを切らし本題に入った。


「どうだか。率直に言うよ、こんなところで遊んでないでそろそろ戻ってきな」


 傍で聞いていた鈴はそのたった一言に揺らいだ。いつかは、と薄々感じていた別れの気配を直視せぬようにしていたがシュリーの言葉で現実に引き戻され、改めてキリクが天使であることを思い知らされる。その揺らぎはキリクにも伝わった。

「やっぱそれが目的だったか。大天使ジジイどもから良いように使われやがって」


 揺らいで強がるそのキリクの姿を目の当たりにしたシュリーは言葉を失った。


「キリク。アンタね、それは…………大罪だよ」


『大罪』、その響きはますます鈴の波長を揺るがす。キリクはそのことに耐えきれず、話題を替えた。

「シュリー、俺さ、お前に言いたいことがあるんだ。もちろん生者に紛れてるとは言え俺だって天使だ。だから外見じゃなく、中身を見てる、つもりだぜ」

「はん。何を言いたいのかサッパリだねえ」

「魂を見てるっていうこと前提でお前に伝えておきたいんだ」

「何さ。今さら改まって。らしくな……」


「お前のさ、外見なんだけど。高一女子って言うには無理ありすぎると思うんだよ (ババァ)」


「暴風域でも折れない柳で縛り付けてやんよ」

 バキボキと指を鳴らすその形相は到底天使とは思えない、強いて言えば阿修羅さながらである。それでもキリクは鈴と繋いでいる手を放さなかった。


「天界の掟なんかクソくらえだ。堕天しようが羽根を二枚とも折られようが鈴の傍にいる。鈴の傍で生者のことを学んで、そして鈴の魂と一緒に還りたい。それって一瞬なんだよ。だから大事にしたいって思ってる。何なら俺だけだったら魔界に堕ちたって構うもんか」


 呆れ果てて唖然とするシュリーとは反対に美琴と鼓は口元を覆い、目を潤ませた。

「やだ犬神くん……」

「それってもう魂レベルのプロポーズ」


 そして金髪金眼のその青年は普段下ろしているウエーブがかった前髪をヘアピンで上げ、こう付け足す。


「俺は見たいものを見るときは前髪を上げる。誰の前でも降ろしてるけど鈴の前では上げてんだ。天界で俺の顔なんかハッキリ見たことねぇお前には口出しする権限もないってことだ。俺はな、鈴を不安にさせるぐらいなら鈴が迷惑に思おうがこうしてくっついてるよ。寝てるときも起きてるときも、歩くときも座るときも離れたりなんかしない」


 子供のような理屈だ。だが子供じみているあまり今しがたまでの不安が払拭された鈴は脱力して笑った。


「やっと笑ったな」

 ホッとしたキリクは鈴に向き直り、ヘアピンでハッキリと露出した金眼で見つめながら鈴の頬を覆う。

「そうやって何も心配せずに笑っていてくれ」


 この時シュリーは確かに二人の周波数が高い領域で安定したことを確認し、サクがこの二人を放っていた理由を垣間見た。

「……面倒だけど仕方ないね。天界から文句言われてもアタシは時間稼ぎしかできないよ。いよいよとなった時は自分たちで何とかするんだ、いいねキリク」

「ああ。恩に着るよ、シュリー」


 安堵しているわけではない、キリクもシュリーも気付いていた。交わってはならぬ存在が地上に何体も集結していることにより天界も魔界もこの地上も少しずつ均衡が壊れかけている。シュリーを使った警告はその兆しに過ぎず、それはじわじわと確実に浸食を始めていた。



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