Op.44 第3曲 ディエス・イレ(怒りの日)
奏に憧れて近づきたいがためにこの高校に入学した鈴は一年かけて現実を知り受け止めて安定し、今に至る。それらのあらゆる出来事の原因となった奏が今、鈴の目の前にいる。
「お、音羽さん。大学に行っても、俺と連絡取ったり、た、たまには個人的に会ったりできない、かな」
そのようなことを口走る奏に鈴はただ感情も動かされることなく呆然とした。
奏を闇雲に追い続けていた理由、妄信的に見つめていた理由、奏が他の女子生徒と交際してショックを受けた理由。それらの理由が確かに存在したはずなのに思い返すと鈴が接した記憶の中の彼は輝いていない。夏祭りのあとに恋人と別れた、と聞いた時でさえも右から左に素通りしたほどだ。冷めたわけでも嫌いになったわけでもなくどうでもいいということでもないのだが、初期以上に好意を向けることもない。
この誘いに乗ればこの者はどんどん距離を縮め始めるだろう、そして一度心を許せばこの者はまた別の女性に目移りし、その女性で失敗すれば鈴を利用するのだ。荒んでしまったわけではないが手に取るように未来が視える。
鈴は思わずクスッと笑ってしまった。嘲笑ではない、そして悔しくもない。
むしろこんなことを考える自分が馬鹿馬鹿しく思え、そしてこの子供のような生き方を繰り返す奏を可愛いと思えた。
「先輩のおかげで、こんなに良い高校に入学できました。いろんな感情を学ぶことができました。友達にも出逢えて、それから……世界で一番信頼できる存在を身近に感じることもできました」
「?? つ、つまり、じゃあ、オーケーって事……」
「速水先輩。先輩はずっと私の憧れでいて下さい。これ以上近づかずに、遠くから眺めているだけで充分です」
夢は夢のままであってほしいと言っているようだ。
この言葉には影で聞いていた悪魔三人、レヴィ、ベルフ、アースらも笑い声を殺して悶絶し、窒息寸前である。
「嫌味にしか聞こえないぞ、残酷すぎる」
「音羽さんの性格って案外サイコですね」
「天界がサイコでしゅから関わればサイコになるんでしゅ」
「あんたたち趣味悪すぎよ……」
かくいう
「それより番犬はどうした」
レヴィがキョロキョロするも肝心のキリクの姿はない。そのキリクはというと、教室にシュリーと二人でいた。
卒業式ということもあり授業もないため校舎にいるのは部活生ぐらいである。写真を撮るなどして賑わう三年生たちの声が窓の外から聞こえるだけの空間でキリクは静かに鈴を待っていた。
「よっぽど信頼してんだねぇ」
「あんなもの、見られて良い気分にはならないだろ」
すると、その卒業ムードの音に混ざり「キリクさま、シュリーさま」と二人を呼ぶ声が二階の窓の外から聞こえた。
「なんだ下級。誰の許可で俺のテリトリーにいる」
キリクは声をかけてきたその者に見向きもせず腕組みをして目を閉じている。しかしそのふてぶてしい態度にシュリーは回し蹴りを入れた。
「アンタが仕事しないからだろ! サクさまがお許しになったからって調子に乗ってんじゃないよこのヒモが!」
「ぅぐはぁっ!!!」
シュリーの蹴りが腹にヒットしたキリクは吹き飛ばされて教室の壁に激突する。そんな瀕死のキリクを目前に震え上がる下級天使は混乱のあまりとんでもないことを口走った。
「シュリーさま……し、下着が見えておいでです、差し出がましいようですがいささか、いささかお転婆かと存じ上げます……」
パンツが見えて不愉快である旨を遠回しに告げているようだ。
下級天使が使いで来たのは鈴の状態に関して天界から逆報告がなされたということを伝えるためである。
簡単に言うと今や第五層にまでオーラが強化されている音羽鈴はもはや中級天使が付きっ切りになる理由はないではないかとの文句だった。残るは美琴の足枷を外すだけでありそれを終えればキリクがここに縛られる日は終わる。
「生者の領域に対する干渉が過ぎるとのこと、そして音羽鈴の魂が肉体を離れるまで接触を絶てば彼女の魂と統合しても構わないのだそうです」
シュリーはその言葉に眉を寄せて溜め息をつき、真っ白なウェーブヘアを掻き上げた。
「そりゃアタシも同じことを言ったさ」
そして不良のような目つきで下級天使を睨みつける。
「けど、第三者の口から聞くと嫌な気分になるもんだねぇ。自由意思の法則を天界自らが無視していいのかい。アタシも最初はキリクの奴がイカれてんだと思ったんだがね、よく考えれば天界の
シュリーの鋭い眼光を受けた下級天使は蛇に睨まれた蛙のごとく縮こまり、その真意をよく読めずひたすら沈黙を貫く。そんな彼に、いや、キリクに追い討ちをかけるようにシュリーは一言付け足した。
「別に天界が咎める必要はないことだろ? 交わらなきゃいい話さ」
キリクはシュリーの言葉に少しだけ揺れる。その揺らぎはシュリーにも下級天使にさえも分かる。だがシュリーはそれについては何も触れずに下級天使を追い返した。
「下級。ジジイどもに返事しな。音羽鈴の生涯を見届けてからでも遅くないだろってさ」
「は、はいっ」
「そうだろキリク。アンタが鈴を信じるように、アタシもアンタを信じるよ」
このときキリクはひたすら沈黙を貫いたが、その夜、古賀の神社には戻らなかった。
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