Op.45 第4曲 トゥーバ・ミルム(奇しきラッパの響き)

「心配だなあ。生者の姿を保つのは存外エネルギーを要するのだから定期的に補充せねばならないのに」

 古賀こがの境内本殿に浅い溜め息が響く。その声の持ち主は輝く四枚羽根のサク。傍で二枚羽根の真っ白なシュリーが神酒みきの香りでゆったりくつろいでいたがサクのその言葉と表情がいまいち一致していないのでキョトンとする。

「心配なわりにのんびり構えておいでですね」

「そう見えるかい?」

「露骨にそう見えます」

「相変わらずハッキリ言うねえ」

「天の氣が無限に降り注いでくれるからアイツをここに置いておられるのですね。なんと甘……お優しい」

「あの子だけではないよ。私には全てが可愛い。天界の皆も、『鍵付き』も、悪魔たちでさえもね。皆 愛しき隣人たちだ」

「サクさま……恐れ多くもお尋ねします。やはり、まだ……」


「ああそうさ、私はとても甘い。その甘さゆえ、未だに『自分だけが救われてしまった』ことに罪の意識が消えない。愛する妻が重く長い鎖を付けられ魔界に縛られていると思うと尚更。だがそれでも天の皆は私を赦している。大いなる『全』ですら。ただ『首輪』が取れたというだけで私だけが赦された。それがまた苦しい」


「もう過ぎたことです、どうかお気をラクに」

「でもねシュリー。私は、いつかこの役目を終えたらルシファーと一緒になりたいんだ。彼女は私を追い返すだろうけど折れてくれるまで今度こそ何度でもがむしゃらに執着してやりたい。だから余計にキリクのことが可愛いんだよ」

「サクさま……どうかそれ以上は……」

 語りながら物悲しい眼差しになっていくサクの周波数はそれでも高く安定しているままだった。おそらくそんな苦しみさえもどこか冷静に自覚して受け入れているのだろう。


 その会話の直後、わずかな差だった。

 ふと本殿の外にかのう美琴みことの気配を感じ取ったサクは柔和に笑って穏やかに声をかける。

「やあ。今日はここで過ごすのかい?」

 ビックリした美琴は「こんばんは」と挨拶しながら戸をすり抜けた。

「な、何も。何も聞いてませんから」

 何もかも聞いてしまったからこそ出てきたこのセリフにシュリーが「あはは! 素直だねぇ!」と声を上げて笑い手招きするので、美琴は二人におずおずと近づいた。シュリーは美琴を隣に座らせる。

「アンタも『足枷』の中ではキリク以上に有名になりそうだねぇ」

「!? 私がですか?」

「ああそうだよ。最初にアンタの捕獲に失敗したのは他でもないサクさまだからさ」

「ええ!?」

 驚いてサクを見ると、ニコッと爽やかに笑っているだけである。そして再びシュリーに目を移して「何かの間違いでは」と訴えた。


「おや。やっぱり知らなかったんだね。サクさまもヒトが悪い。アンタはもともとサクさまのテリトリーの子だったんだ」

「どういう……」

 もう一度サクを見ると、サクはおっとりとした口調で優しく語った。


「声をかけようとしたら怯え切ってしまっていて、キリクのエリアに逃げられちゃったんだ。あ~あって諦めたよ」


「諦めていいことなんですか!?」

「すまない、冗談だよ。私よりもキリクのほうが向いている気がしてね」

「それは……『足枷』だからですか?」

「それもあるけれど、境遇、というより、死に至るまでの理由が似ているからかな。キリクは知らないようだけどね」


 サクもまた美琴の鍵の場所は分からない。だからサクも納得の上 音羽おとわすずに託すことにしたのだ。覚悟の決まった美琴が鈴に憑依をすれば少なからず鍵にまつわる情報が視えるはずである。

 魂から過去が視られるのは生者を対象とした時のみであり死者を見たところで過去は分からないものだ。鈴が光景を共有できれば鍵に近い情報が推測できるのは確かである。


 しかし美琴にとってはどうも釈然としない部分が多かった。

「あの天使ったら鈴ちゃんに執着してばかりで。あ、失礼かもしれないけど時々、あの変態天使とサクさまの執着の仕方が少し重なるんです。もちろん嫌味などではなく」


「そりゃあ、ほら耳貸しな」

 シュリーは美琴にヒソヒソと耳打ちする。

「親子だからねぇ、似る部分もあるに決まってるじゃないか」

 美琴が「たしかに」とクスクス笑う。

 何を離しているのか声を落としたところで詳細はよく伝わってくるためサクも少しばかり照れているようだ。

「シュリー。あまり余計なことを吹きこまないでおくれ」


 一緒に笑うシュリーは美琴の頭を優しく撫でた。

「美琴、アンタかわいいねえ。サクさまが気にかけるのも分かるよ」

「こうなれたのも鈴ちゃんのおかげです。こんな浮幽霊の私を、いつも、ずうっと傍にいさせてくれるから」


 その言葉にシュリーは切なさを孕んだ愛しげな眼差しで美琴を見つめる。

「この地球に溶けて消えたいと、まだ願っているかい?」


 美琴は口元にだけ笑みを浮かべ、床を見つめた。

「この地球は好き。でも、記憶はないけど、生まれ変わるのはまだ怖い」


「……うん、そうだねぇ。足枷が外れたらアタシが中間生で担当してやるよ。そこで一緒にどうするか決めよう」

「本当に!?」

「ああ。たくさんお話しして、ゆっくり休んで、幸せになろう」

 それがたとえ一時の慰めであったとしても美琴は自分の中で少しずつだが光のような温かさが生まれるような気がした。


 同時に前半の会話への疑問が脳内を堂々巡りする。

 ルシファーがサタンとなったのだと悪魔たちは口をそろえて言う。しかしサクはまるでルシファーとサタンが別のような言い方をしていたことも気になった。

 それに加え、ルシファーを『妻』と呼んだ。更に以前聞いたときは、キリクのことは『吾子あこ』と。


 キリクの能力が天界で抜きん出ているのは、十二枚もの羽根をもつ最大天使だったと噂されるルシファーから受け継いだからなのだろうかと憶測してしまう。サクが首輪を付けていた、つまり死者だったことも初耳であるがそこにルシファーの堕天した理由が紐づいてしまってならないのだ。


 では、キリクと鈴が同じ道を辿ってしまうのはマズいのではないか、だからシュリーや天界が焦るのではないのか、なのにサクがのんびりと構えているのはなぜなのか。そこまで苦しんでいるのに、なぜなのか。


 このように低周波を行ったり来たりする美琴を、サクもシュリーも新鮮そうに、愛し気に眺めているだけだった。もちろん各々、正常である。

 この世界で起きるすべてのことは必然であり異常なことなど何もないのだ。



 ---


 翌朝、鈴をいつものように迎えに来るはずの犬神いぬがみこうが居らず、つづみの姿しか見当たらなかった。

「あら、今日は鼓ちゃんひとり?」

 鈴の母が尋ねると鼓は 「えっと、はい」 目を泳がせる。


 ―― (鈴! 起きて! 犬神くんの存在がバレちゃうマジで!)


 昨日、キリクは古賀の神社へは戻らず鈴の部屋にいたのだ、それゆえ美琴が気を遣って鼓のところへ移動しサクやシュリーと語らっていたのである。鼓も美琴から事情を聞いていたので焦って早めに出て来たものの、肝心の二人がまだ部屋にいることに内心では過剰なほど焦っている、が、バレたときが恐ろしいため決して顔には出さない。


 しかしすでに大学の春休みを迎えている鈴の姉、れい

「そういえばまだ起きてないわね」

 と呼びに行ってしまった。


 そして鈴の部屋を開けてしまっただろうことが明確に伝わるほどの悲鳴が響きわたった。


「にゃあああああ」


 その奇妙な悲鳴に二人が目を覚ます。

「ふぁ。お姉ちゃん……」

 鈴は眠い目をこすりながら起き上がるもまだ寝ぼけており状況が掴めていない。同じく状況の呑み込めぬ姉は出ない言葉を絞り出した。

「なんで、なんで犬神くんが!? 鈴と同じベッドに!?」


 キリクが状況を把握し『しまった』という表情を浮かべたときにはもう遅く、事態が深刻になることを予想して一旦諦めた。

 普通の天使は眠ることなどないのだが、昨夜、鈴が寝付くまで生者の姿のままで抱きしめていた際エネルギー節約のために仮眠状態に陥ったようだ。


 鈴もまた朝方にふと目を覚ましその状況に安心感を覚えて二度寝をしてしまったのだ。


 これを家族の前で以前のように弁解するという労力を費やしたが、どうやら事なきを得ることはできた。

 何故ならキリクも鈴も落ち着き払っていた上、父などキリクに恩があるため問うに問えずすんなりと黙認したからである。


 そして二人、いや、三人は遅刻寸前で無事、一学年の終わりを告げる終業式に出席した。



 ---


 慌ただしくも短い春休みを終えた新学期。鈴たちは高校二年に進級した。

 晴れやかな祝福を与えるように春の蒼天が地上を包んでいる。


 一方、魔界では七大悪魔のうち三体が人間界に入り浸っており秩序が乱れ始めていた。リヴァイアサン、ベルフェゴールに続き、目的は分からぬがアスモデウスまでもが満喫して魔界に戻ってこないため、統制が取れなくなりつつあるようだ。

「七大悪魔も終わったな」

「こんなんじゃ示しがつかねえ」

「チャラチャラと生者の中で遊んでるうちに勘が鈍ったんじゃないか」

「今なら七大悪魔のポジションも奪えそうだ」

「特にリヴァイアサンには散々やられてるからな」

「齢二百ふぜいがデカい面してきたもんだ」

「天界の奴らとつるんで腑抜けになっていたぞ」

「やるなら今だろ」

「いっそのこと、その天界の奴を堕天させるほうが魔界の力も強まるんじゃないか?」


 低級悪魔と言えど数が集まれば低く重い周波数は寄せ集められ強力になる。その動きを知らない面々はただ生者の学園ライフを堪能するばかりだった。



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