Op.51 第10曲 オスティアス(賛美の生贄)
魔界では、サクについて来た七大悪魔の三体だけならず多くの悪魔たちが見物に集まった。
その光景を
だが誰ひとりとしてサクに手出しをしないのは、
サクを取り囲むのが七大悪魔の中でもひときわ強靭な三体であること、
そして向かった先が魔界の最果て、
サタンの元であるからだ。
サクは微塵も揺るがぬ高周波を維持しながらその輝く四枚羽根を綺麗に折りたたみ、サタンにひれ伏した。
「貴女の子が今、風前の灯火にあります。どうか、情けを頂戴したい」
相手は
美しき金色の長髪に禍々しくも妖艶なヤギの角を持つ彼女は、
真っ黒な十二枚羽根を大きく広げて伸ばし、
自身も伸びをして気だるげな
一言、返す。
「其方は妾に何を差し出す」
「四枚の羽根を。足りなければすべてを捧げましょう」
即答だった。
一切の迷いもない返事にサクをよく知る者たちは目を見張る。
『サクをよく知る者』の一人であるルシファーは黙っていられなかったようだが。
長く重い鎖につながれたまま、
二千年もの間この場所に縛り付けられている堕天使。
その悲しみに満ちた鳴き声は魔界中に響き渡り、サクの覚悟をも揺るがし兼ねないほど『慈悲』を刺激する。
サクは拳をギリッと握りしめ、
「願わくば、かの者にも救いを」
ルシファーを想い懇願するもサタンは認めなかった。
認めないというよりは、不可能というべきか。
「それは別の対価を払わねば叶わぬ。かの鎖は其方であり鍵もまた其方だ」
サタンのこの言葉の意味に気付いた者はサクとルシファーのみである。
レヴィにもアースにも分からない、
ベルフはもとよりこの『鍵付き』という制度に疑念を抱いていたが。
死者の『鎖』は、魔界へ繋がっている。
始まりはルシファーだった。
「まさか『錠』と『鍵』の関係とは……」
ベルフが呟きかけた時、
サクは祈るように目を閉じて天を仰ぎ、
震える涙声の中にルシファーとキリクへの想いを込めた。
「そうか。そうか…… 私が貴女を縛り付けていたんだねルシィ。どう償えばよいのだろう。ああ、
---
サクの最後の生には『首輪』が付いていた。
二千年もの昔、既に何度も転生して魂の磨かれたサクは皇帝の元で神官をしていた。その崇高な経験が大罪を招き『鎖』を創り上げる。
大罪とは、大いなる『全』に一番近しい存在を貶めたことである。
その存在は、金色に
十二枚の羽根をもつ最高位の天使ルシファーと呼ばれていた。
彼女を愛し地に堕としたこと。
彼女との間に『全』の摂理を超えた『
生まれたその我が子を『鬼の子』として贄に差し出したこと。
『鬼の子』は清めの儀で惨殺され、サクも皇帝の命で極刑を受けた。
ルシファーは魔女狩りで羽根を
地球の周波数で
サタンという『個』となり強靭な低周波のエネルギーを持って魔界に君臨した。
サタンに苦しみはない。
苦しみを担い続けてきたのはルシファーであり、
重く長い鎖で魔界に繋がれ続けている。
天に許しを請うように、或いは、自身を憎むように。
サクの魂もまた『首輪』から長い鎖を垂らし延々とこの世を彷徨い続けていた。
そして五百余年が過ぎた時、
一人の少年に出逢う。
目が合ったその子はキョトンとしていたが、何が嬉しかったのかヘラッと笑った。
その瞬間サクは目を見張り、動けなくなる。
記憶の中で、真っ黒に塗りつぶされた子供が楽し気に声を上げて笑う。
――『ちちうえ』
「吾子……」
遠い遥か昔に口にした覚えのある言葉を無意識に呟いた。
「どうして首輪が付いてるの?」
その純粋な問いかけにサクは自身の首輪をそっと触り、虚ろな目で下を向く。
「…… 分からない」
「どうして誰にもみえないの?」
「死んだから」
「どうして死んだのにここにいるの?」
どうして。
それすら思い出そうともしなかった。
ただただ懺悔の念だけの存在と化していた自分は今なぜここにいて何をしているのだろうかと苦悶する。
思い出せない、思い出したくない、思い出してはならない。
救われてはならない。
まるで消滅を願うかのように重力に従順に降り、
地を這うように地面に額をつけて拳を握りしめ悶えた。
「私は………… 大罪を働いた…………」
絞り出すような声とその苦しむ姿に少年が困った顔をし、駆け寄った。
「わるいことをしたの? 苦しいの?」
悪い事。
自分は何をしたのか。
なぜこんなにも苦しいのか。
なぜ。
「ああ。悪いことだ。けれど何も思い出せない。苦しい。死んでも尚苦しい」
消え入りそうな声で話すサクの前に少年はしゃがみ、その頭をなでようとする。
だが透けてしまい触れられない。
触れられないが、そのとき少年はすり抜けた自分の手をじっと眺めた。
「ふしぎだなあ。ぼく、みなしごなのに」
少年の言葉にふと顔を上げるサク。
「あなたを知ってる気がする」
「………!?」
突如サクの中で走馬灯のように映像が流れだす。
鍵に関することではない。
美しかった記憶が黒く塗りつぶされたまま蘇ってくる。
――『ちちうえ』『文字をおぼえました』『ちちうえ』『父上のお名前です』『父上』『見て下さいませ』『父上』『父上のようになりたいです』『父上』『お役に立ちたいのです』『父上』『どうか悲しまないで下さい』『父上』『父上』
『私の愛しい人』
金色に輝き
優しい霧雨のように柔らかな音色が響く。
『後悔などしていませんよ』
それは讃美歌のようだった。
記憶は『鍵』に秘められているはずなのに目の前の子を見ていると愛しくてならない。
抜け落ちたピース以外の部分がつながるように、
葉脈に水が行き渡るように。
「ぼくを、ギュウ―ってしてみて」
触れられるはずのないその子供を、サクは言われるがまま抱きしめようとした。
手を伸ばし、頬のあたりに触れ、そして胸の中に収める。
無論、自分自身を抱きしめるようにすり抜けた。
霊体と重なり合う少年は、明るく笑った。
「やっぱり! 父上! 父上だ!」
キリクの最初の生がサクの子だった。
サクの元へまた生まれたいと願ったが叶わぬため二度目以降はひたすら
「ぼくは皆のために人柱になったんだ! 父上と母上がもう苦しまなくていいように!」
そのような無残なことを、この上なく嬉しそうに
黒塗りのフィルムがサクの脳裏を駆け巡る。
サクは声にならぬ声を上げた。
悪魔のごとく巨大なそのエネルギーは大地震や火山の噴火に津波や洪水をも巻き起こした。
人への憎しみと愛する者への懺悔だけがサクにエネルギーを与え続け、多くの死者を生み出した。
ノアの方舟の後のような光景の中 生き残ったキリクによりサクの波長が徐々に安定していく。
「その首輪に合いそうな鍵があるよ」と、キリクは言う。
キリクに導かれた先は、ルシファーと出逢った場所だった。
それからは言うまでもない。
これらの偶然の一致と犠牲が天からのサクへの『情け』だったと気づくのは中間生に戻ってからである。
大いなる『全』はルシファーを赦していた。
だがサクが自身で気付かぬ限り枷を外すことも出来ない。
サクがルシファーの鎖を解いてやるしかないのだ。
『全』はサクとルシファーへの愛から、
キリクと同じ『足枷』の
自身の目で確かめなければならない、だから相応の試練を与えたのだ。
---
ルシファーを繋ぐ鎖が自分の後悔だったことにサクが自身で気付いた時、
ルシファーに繋がれていた鎖は消えた。
魔界中が騒然となる。
鎖に繋がれているのが当たり前だったルシファーが自由になったのだ。
そこで皆は悟る。
鎖とは、ただ自分自身が魔界に繋げていたのだと。
この場にいたサクや悪魔たちだけが理解した。
サタンは言う。
「ルシファーの座を埋める次の七大悪魔が必要だ」
悪魔たちはサクの手前、誰も名乗りを挙げない。
―― (どう見てもこの流れだと……)
皆、サクを見た。
当然サクは断固 拒む。
「私はサタンへこの身を捧げに来た一介の天使なのです。キリクを助けて頂きたい」
サタンは溜め息混じりに「其方は変わらぬなぁ」と黒く長い爪をサクに向け、
四枚の羽根のうち二枚を、食らい、そのエネルギーで魔界より天界の大いなる『全』へ直接交渉に出る。
「全知全能の主よ。其方の『ルシファー』は返そう。代わりに我が子を返したもう。さもなくばこの二枚羽根の中級天使を食らって消してやろうぞ」
物々交換というよりは脅迫に等しいものを感じるが、
それを聞き入れた『全』はキリクを牢から出すよう大天使たちに命じた。
ひとつの目的を果たした『全』は、再び静かなる愛を天界全域に、地上に、そして魔界に与え始めた。
まるで日常に戻るかのように。
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