Op.50 第9曲 ドミネ・イエス(主イエス)

 天界がキリクへのエネルギー供給を絶った、とサクが口にしてしばらくの間はキリクも生者の姿にならずに音羽おとわすずの家にいた。


「最近、吼くん来ないわね」


 古賀こがつづみと共に犬神いぬがみこうとして鈴を迎えに来ていた姿を見かけなくなり母親が残念そうにしていたが、視えない者には分からない。


 学校でも急に登校しなくなったことで最初の内は周囲もざわついていた。


「あれほど音羽さんにベッタリだった犬神くんが居ないのって不思議な感じ」


 キリクが動けぬ今、古賀鼓やシュリー、そして浮幽霊のかのう美琴みことが鈴を見守っている。



 不幸中の幸いだが、鈴のオーラが一般人より強くなったために浮幽霊から勝手に憑依されたり低周波な存在に影響を受けたりというマイナス面は自分で補えるまでになっていた。




 問題は、キリクへのエネルギー供給が絶たれ鈴のエネルギー補充もできなくなったことだ。


 サクの神社でも、シュリーからの補充も効かない。


 鈴とエネルギー勾配をしていることを見通している天界がエネルギー供給を絶ったということは、つまり鈴との縁を切らねばキリクも鈴も消えてしまうことを意味していた。




 更に問題だったのはキリク自身の結界の中で鈴もキリクも少しは消耗が抑えられているが、キリクの消耗分を鈴が補おうとしてしまうことだ。


 鈴もまた消耗し、オーラは第三層の一般人レベルをギリギリ保つ状態となった。




 そんな鈴の姿に耐えかねたキリクは、


 降参するかのように天界に向かうことを決意する。




 その日は 12 月 25 日、天が盛大に祝福を成す日である。


 地球にも多くのエネルギーが注がれる、二人を避ける形で。




「随分と手荒な真似をするもんだねぇ天界の大天使ジジイども」


 ボヤいているシュリーにキリクが言う。


「俺さえ降伏して済むならそれでいい。鈴と永遠に離れるわけじゃないし」


 存外、軽く考えていた。



 その先に待ち受ける犠牲を考えもせず。




「鈴のことはアタシたちが見ておくよ」


 波長の揺らぐキリクをなだめるようにシュリーが言う。




 鈴と一瞬でも離れなければならない。

 その思いを口にするように鈴の名を呼んだ。


「鈴……」


「キリクさん、ごめんなさい、ごめんなさい。私のせいで」


 オーラのすり減った状態でも尚、キリクの身を案じて涙をこぼす鈴をキリクは やるせぬ思いで抱きしめた。


「違う、俺が意地を張ったせいだ。シュリーにも言われたのに。大罪だって知ってたのに。交わらなきゃいいだけなんて考えてた俺が浅はかだった。お前に『首輪』だけは付けさせないから。絶対に俺が守るから」



 レヴィが鼓を突き放したように自分も鈴を突き放せばよかったのか、それ以外に本当に方法はないのか。


 キリクの葛藤はこのような時にまで鈴に伝わってしまう。



「キリクさん、私、後悔なんてしてません」



 それはいつかどこかで、遠い昔に誰かが言っていたような気がした。



『誰か』



 キリクはふと金色の十二枚羽根の天使を思い出す。


 それは知るはずのない顔、自分の最初の母である。




 ---



 周波数が高いほど意識だけで意思疎通ができる、言葉の要らぬ彼ら。


 つまりキリクは天界に出向いた瞬間、『何をされるか』把握した。




『鍵付き』浮幽霊を入れる牢に繋がれたのだ。




「あ~畜生。これは想定してなかった。スコープも使えない、風魔法も出ないどころか燃料切れ。洒落になんねぇ……」




「少しは懲りましたか、キリクよ」


「懲りたように見えるかよ、大天使さま。こんなことされると知ってりゃもっと対策を練ってたかもな。これ、おかみに内緒でやってんだろ。檻の中ってこんなにも波長を抑制されんだな。助けも呼べねぇやしねぇ」



「私の意思は大いなる『全』の意思です」



「嘘くせっ。なら俺の意思もその一部じゃねえのか」


「お前は更生が必要ですから、そのように『鎖』がついているのですよ、自覚なさい」


「自覚してっから足掻いてんじゃねえか。頭の固てぇお役人が。お前らみたいのがいるから魔界で『公安』だの『サイコパス』だの言われんだよ」



「………… 能力が高く出世が早かったからと調子に乗るな、悪魔サタンの子め」



「はは。とんでもねえ反発因子だな、あんたも、俺も」




 それを機に、キリクは拷問を受け始めた。


 繋がれた鎖から自身の意識に入り込んでくる『足枷』の記憶。


「ひ……」


 孤児みなしごとして何度も転生しては愛に飢えて騙され陥れられ続け、何度も自害を繰り返した自分の記憶が生者と同じ周波数で与えられ続ける。


 悲しみと憎悪、惨めな思いや自己否定、孤独や絶望、押し寄せるそれらは天界で把握するものとは程遠い、地球に生きている状態そのものの感覚である。



 何度もその精神崩壊寸前の状態まで堕とされては鎖を外され解放される。



 生者が地球でそれを繰り返すことは魂の修行に繋がるが天使のこれは単なる拷問に過ぎず、キリクはただエネルギーをすり減らし続けた。




 それは地球にいる鈴にも共有されてしまい、鈴も幾度となく自殺未遂まで図りかけていた。


 家族も心配し、欠勤して看病する日もあった。




 今は一番安全な家の中に静かに寝かせられている。


 キリクの張った結界がかろうじて負の周波数を遮断し鈴の精神を安定させているに過ぎないが。




「いつまでかかってんだい、これじゃあ鈴が本当に死んじまうよ」


 様子見に行くにも鈴の傍を離れられず、気休めに鈴にエネルギーを与えてみるもののシュリーのエネルギーもまた鈴の体を素通りするだけだった。


 美琴も鼓も涙ながらに鈴の手を握りしめて見守るのみ。



「鈴…… やだよ、しっかりして。初詣で振袖着るって言ったじゃない」


「鈴ちゃん、私が最初に憑依なんかしたから。自分でケジメつけなきゃいけなかったのにこんな目に遭うなんて。ごめん、ごめんねえ」




 サクもシュリーも天への門を閉ざされ、一時的に天界に出入りできぬよう細工をほどこされていた。




「本気でキリクと鈴を消す気か」




 鈴の家に様子見に来ていたサクがそう呟くなり、


 周りに重力が生じ始める。




 光も通さぬ真っ黒な瞳を見開き、これまでにないほど空間を歪ませるサクに背筋を凍らせ、鼓が呼び止めた。


「サクさま!?」


 ふとサクは鼓に目を向け、美琴とシュリー含めこう告げた。



「しばし魔界におもむく。それまではこの家か境内に居るように」



 空間を捻じ曲げながらゆっくりと外に出ると悪魔三体も一気に怯えた表情を見せる。


「サイコがキレるとこうなるのか」

「まさかこの歪み、魔界へ?」

「そのようでしゅね。この上級天使はこっちのほうがお似合いでしゅ」


 興味本位ではないが、

 サクの魔界への道をアースが作り、「こちらでしゅわ」と案内する。


 その様子を二体は唖然と見ていた。


「手のひらを返したように寝返りましたね」

「俺たちも付いて行こう」

「ええ!? 本気ですか」

「理由は『面白そうだから』の一択だ」

「僕に選択権は?」

「あるわけがないだろう」

「はああああ」





 その直後である。


 もちろん時間という概念がない天界や魔界ならではの速さだが。




 一羽の下級天使が、キリクを拷問していた大天使に耳打ちした。


 大天使は何かを承諾したように頷く。


 そしてキリクにこう言い放った。



「『全』の御意思だ」




 ---



 鼓も美琴もシュリーも、ただ鈴の傍でサクを待ち続けていた。


 すると鈴の部屋の外に太陽でも昇ったかのような神々しい光たちが降りて来た。



 大天使二羽が降臨したのだ、


 キリクを入れた鳥かごを運んで。




 ボロボロの姿で鳥かごから引きずられ部屋の床に放り出されるキリクを見たシュリーは頭に血が昇ったように周波数を乱して大天使に歯向かう。


「大いなる『全』の愛のもと、なんてことしてんだい! なぜ『全』は何も言わないのかと思ってたらこんな小細工してやがったんだね!」



「黙れ、中級ふぜいが」

「見苦しい」



 瞬き一つしない無表情の『神』たちに鼓も美琴もゾッとする。




 キリクが目を覚まし、「犬神くん!」鼓が呼びかけるも、誰のことも目に入らぬ様子で這うように鈴のもとへ向かう。


「鈴…… 鈴、ごめん。つらい思いさせて、ごめん。弱くてごめん。もろくて、ごめん」


 ひたすら懺悔を繰り返した。


「俺は消えてもいい。でも鈴だけは助けたい…… 鈴は生者だ。罪人は俺だけでいい」


 弱り果てても尚、鈴を抱き起してエネルギーを注ごうとするキリクの姿からシュリーは目を背ける。




 大天使たちは無表情で いとも簡単に二人にエネルギーを注ぎ込んだ。


 今までと相当のエネルギーを。


 まるで何事もなかったかのように。



「見逃すのは今回だけだ。サタン…… いや、『全』の思し召しだ」


「次はない。猶予ぐらいはくれてやろう。生者の時間で言えば、うむ、そうだな。三か月ほどでよかろう」



 それは高校二年が終わるころである。


 たった三か月、


 その間にキリクは美琴の『足枷』を外し、




 それを以て鈴との関わりを絶たねばならないということだ。




「その娘ならば第七のコーザル層までオーラを強化すれば天界での仕事も与えることができよう。望むなら魂の統合も可能だ」


「だがキリクよ、統合は天界でのみ。生者と交わることは禁忌である。お前の母が身を以て示したことだ。今一度 自身の中に刻み込んでおけ」




 大天使らはそう言い残し、天へと昇る。


 彼らの去ったあとも明々と光が照らされているのは回復したキリクがいるからだ。




 血色が戻り静かに寝息を立てている鈴の姿を愛し気に眺め、


「鈴……」


 呼びかけながら手の甲で黒絹のような髪を掻き分け、頬をなでる。




 すると鈴は目を覚ました。


 綺麗な黒真珠の瞳を細め、再会して一番に伝えたかったことを告げる。



「おかえりなさい、キリクさん」



 キリクは胸の詰まる思いで答えた。



「ただいま、鈴」






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